世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

我が故郷・宇都宮

2011年11月08日 | Weblog
仕事中、本社に来ていた某店舗スタッフのみなさんと話す機会があった。
「お住まいは?」
と訊かれ、
「出身は栃木なんですが…」
と前置きをしたところ、歓声が上がった。
どうやらスタッフの一人が栃木出身とのこと。しかも鹿沼。

「私は宇都宮です」
と答えたら
「大都会じゃないですか!」
と讃えられた。そうなのか?

私が育ったのは宇都宮の南端に位置するその名も雀宮。宇都宮駅から電車で1駅隣の町だ。
今はそうでもないが、私が子供の時は夕方、雀がびっちりと電線に停まっていてキモかった。ヒッチコックの「鳥」のような様相を呈していたのである。祖父曰く、昔は銃声を轟かせて追いやったとのことだが、本当だろうか。

当時、やはり宇都宮(旧市内)というと「都会」であった。
土曜日。学校から帰り、ヲサレをした母ヨーコたんに連れられて電車に揺られて行く宇都宮は忘れられない。初めてロッテリアに入店したのも母に連れていってもらった宇都宮でだ。母が「あれも食べてみる?」と言ってくれたのに、緊張してあまり食べられなかった。

もっと興奮したのは、子供だけで行く宇都宮だった。
小学校5年生の時。
担任の先生が言ったんである。
「先生の家に来たい奴は来い」
と。
当時、教師が生徒にプライベートを晒すことは希であった。物好きな女子7人で行くことが決定し、宇都宮の西端にある先生宅にお邪魔をすることになった。
電車の切符の買い方なんて知らない、停留所って何?という世間知らずな私は皆に付いて行くだけ。
バスの乗り方なんていまだに怪しいし。

停留所で先生は待っていてくれた。
書庫や本棚付きのトイレ、飼っている九官鳥などそれまで私が観たことがなかったものを先生は見せてくれた。
教室では「お前らバカだ」と怒ってばかりいた彼だったが、この日ばかりは優しかった。ラーメンをごちそうになり、私たちはまたバスに揺られて宇都宮駅を目指した。

「ロッテリアに入ってみよう」
ということになり、電車発車時間まで駅構内のロッテリアで時間を潰した。
380円のセットを食したのを記憶している。
先生はよく前任校(宇都宮のど真ん中にある○小学校)との比較の中で「あの子たちはロッテリアなんか食べ飽きている。お前らは…」と引き合いに出していた。
雀宮にロッテリアはない。
比較される度に悔しさがあった。
ロッテリアのハンバーガーを食しながら我々は、
「うちら、○小の子たちとと同じことを体感している」
と興奮していた。

今、街を歩いていて緊張することはあまりない。
ニューヨークの五番街は別として。

宇都宮もいつの間にかドキドキする場所ではなくなってしまった。
大人になるってこういうことなのか、と思う。

でも大人ならではの視点で故郷を見つめてみると、それなりに輝いて見える。不思議だ。

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クマさんと一緒

2011年11月08日 | Weblog
冬物のスーツで出勤。
久々にクマブローチを着けてみた。

一日中、クマさんと一緒。
幸せ。

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