世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

季節のシフト

2017年04月17日 | Weblog
一昨日、中央線内でようやく「私のなかの彼女」(角田光代)を読み終えた。
宇都宮出身であまり世間ずれしていない和歌とスマートで物知りな仙太郎の恋愛の軸、そしてそれと並行に描かれる和歌の祖母の生き方の軸、それらが混ざり合って物語が展開する。
学生時代の和歌と仙太郎がいるのはバブルが弾ける少し前。
未熟さゆえ仙太郎に憧れ、仙太郎を追いかけていく和歌と、若くして注目を浴びる仙太郎。
その距離が、次第に縮まり逆転していくとき、恋愛の形は変わる。


角田光代先生が描くモラハラ男性は読んでいて読者である自分が傷つくぐらいエグくて鋭い。
今まで「坂の途中の家」の旦那が、角田作品のモラハラ男子NO.1だったのだが、今回読んだ「私のなかの彼女」の仙太郎にシフトした(あくまでも個人的に)。

小説のなかの人物をこれほどまでに「嫌いだ。嫌いすぎる」「うざいよ、仙太郎!!」と声を出しそうになったことはない。
和歌が作家として有名になり、テレビに映っただけで不機嫌になる仙太郎の下りなんて読むのを止めてしまおうかと思ったほどである。
着々と成功をしていく和歌に「顔つきが卑しくなったよ」とのたまう辺りなんて発狂寸前だった。
まただらしがない和歌に「生活を放棄している人に、人の営みが書けるとは思わない」なんて上から目線のことを言う仙太郎なんて肥溜めに落ちてしまえばいいとさえ思った。嫌いだ、仙太郎。意識高い系男子を濃縮還元した感じが鼻につくんだよ。

それほど、和歌に感情移入したということだろう。同じ宇都宮出身者だし。
また、和歌は小説の執筆に没頭すると他のことが見えなくなり、ご飯はコンビに弁当、使った食器は溜めてしまう。そんな自分にマイノリティやコンプレックスを感じながら、でもそういうふうにしかできないところが私みたいだ・・・「お前は俺か」状態だった。

終盤に至るまで、成功したものの、一貫して和歌の考え方や性格がそのままだったことに、読み終えてから安堵と満足感を覚えた。
読みごたえのある逸品だった。








今朝は、昨日熊の胆を飲んだので、二日酔いをしないで済んだ。
蒸し暑さで目覚めたものの、とても爽快に起床できた。

食道楽のわたおススメの丸の内のビロンのパン・・・食べたのだが本当に超絶美味だった。
この香ばしさと胡桃の仄かな甘さがクセになる。


有名なお店らしい。
パン屋ランキング全国1位「VIRON」のバケットがとにかく美味しい




仕事は物凄く忙しい。
制服の出し入れと経費分析で一日があっという間に過ぎていった。

お昼はハンバーグ弁当。


夕方から雨が降ってきた。
コンビニで今年最初の冷やし中華をゲット。





会社の隣の公園の桜はほとんど緑の茂みになっていて、季節のシフトを感じた。


また来年、笑顔で桜に会えたらと思う。