江戸時代の心学者 柴田鳩翁の道話にこのような話があります。
「ある村に、喧嘩ばかりする家族と、全く喧嘩をしない家族がありました。
ある時に、喧嘩家族の人が仲良し家族の家に、
仲良くするコツを教えてもらいに行きました。
すると、仲良し家族の人は
「うちは悪人ばかりだから喧嘩にならないんですよ」と言いました。
その意味を尋ねると、
「うちでは、嫁さんが掃除中に置いたバケツに、
目の悪いばあさんがつまずいたら、嫁さんは「ごめんなさい。
そんなところにバケツを置いた私が悪かった」と謝り、
ばあさんは「不注意でつまずいてごめんなさい。私悪かった」と謝ります。
嫁と姑で「私が悪かった」「私は悪かった」と、
自分から悪人になるから喧嘩になりません」と言うのです。
ところが、喧嘩家族の場合ではその時、
「私はちゃんとやっている。あんたが間違ってるんだ」
「あんたこそ間違ってる。私はちゃんとやっている」
と皆が善人になるので喧嘩になってしまいます」(「鳩翁道話」)
正義ってなんだろうな?と考えさせられる話です。
何のための正しさなのか、
生きていく上での正しさとは何なんだろう、
表面的な態度・姿勢のみならず、心の態度・姿勢を正さねば…
いくつになっても学ぶことが沢山あります。
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「ある村に、喧嘩ばかりする家族と、全く喧嘩をしない家族がありました。
ある時に、喧嘩家族の人が仲良し家族の家に、
仲良くするコツを教えてもらいに行きました。
すると、仲良し家族の人は
「うちは悪人ばかりだから喧嘩にならないんですよ」と言いました。
その意味を尋ねると、
「うちでは、嫁さんが掃除中に置いたバケツに、
目の悪いばあさんがつまずいたら、嫁さんは「ごめんなさい。
そんなところにバケツを置いた私が悪かった」と謝り、
ばあさんは「不注意でつまずいてごめんなさい。私悪かった」と謝ります。
嫁と姑で「私が悪かった」「私は悪かった」と、
自分から悪人になるから喧嘩になりません」と言うのです。
ところが、喧嘩家族の場合ではその時、
「私はちゃんとやっている。あんたが間違ってるんだ」
「あんたこそ間違ってる。私はちゃんとやっている」
と皆が善人になるので喧嘩になってしまいます」(「鳩翁道話」)
正義ってなんだろうな?と考えさせられる話です。
何のための正しさなのか、
生きていく上での正しさとは何なんだろう、
表面的な態度・姿勢のみならず、心の態度・姿勢を正さねば…
いくつになっても学ぶことが沢山あります。
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