栞のセンチメートルジャーニー・1
『おひさしぶり』
幾つかの原因がある。
年末から続いていた寒さが、急に緩み、四月上旬並の上天気になったこと。
蔵書点検のために、五日間図書館が休んでいたこと。
カミサンが「ついでに、アタシの予約本も取ってきて」と、わたしに図書カードを渡したこと。
そして、わたしの気が緩んでいたこと。
最後の「気の緩み」から説明が必要だろう。
わたしは、五十五歳で早期退職をしてからは、家で本ばかり書いている。書いてはブログのカタチでアップロードしている。
昨年の秋、六年ぶりに紙の本を出した。これが、あまり売れない。それが、昨晩旧友が「ネットで発見して、楽天に注文した」とメールを寄こしてきた。横浜の高校も、わたしの戯曲を上演したいとメールを寄こしてきた。で、ああ、オレも物書きのハシクレなんだと目出度く思ってしまった。
本を書くことをアウトプットだとしたら、人の本を読んだり、映画を観たりすることはインプットである。しかし読むのが遅く、戒めとして、図書館で本を借りるときは、二冊を超えないようにしている。
蔵書点検明けの図書館は混んでおり、カウンターの前は、ちょっとした行列になっていた。行列はバーゲンと同じように勢いがある。
「お願いします」
カウンターに二枚の図書カードを置くと、「少々お待ち下さい」と言われ、数十秒後には六冊の本が出された。
――あいつ(カミサン)五冊も予約しとったんか!?――
で、つい、カウンター横の新刊書を、装丁だけで選んで二冊加えた。その時セミロングの女子高生が、数冊の本を返しにきたのとゴッチャになった。
「あ、こっちがわたしのんです」
女子高生と、司書の女の人は手際よく本を分けて、処理を済ませた。
家に帰って、袋から本を出し、カミサンのと自分のとに分けた。本に間違いはなかったが、一枚のシオリが混じっていた。
たまに借りた本の間から、前の借り主のシオリが出てくることがある。カミサンは嫌がって捨ててしまうが、わたしは気にせず使って、読み終わったら挟んだまま図書館に返す。
そのシオリは、本と本の間から出てきた。
まあ、同じようなものだと思い、炬燵の上に本といっしょに置いておいた。そして、いつものようにパソコンで日刊と、勝手に自分で決めた連載小説を打っていた。
「どないしょうかな……」
ささいな表現で止まってしまった。
「『そして彼女は』か……『そのとき彼女は』どっちかなあ……」
その時、パソコンの向こうから声がした。
「『やっぱり彼女は』だよ」
「ん……?」
パソコンのモニター越しに、座卓がわりの炬燵の向こうを覗くと、そいつが居た。
「おひさしぶり」
セーラー服のセミロング。その定番の姿で妹がいた。
この妹は戸籍には載っていない。で、わたし以外には姿が見えない。
わたしは、三つ上の姉と二人姉弟である。ずっと、そう思っていた。しかし、わたしが高校三年生の時に、父がこぼした。
「……おまえには、三つ年下の妹がいたんや」
その日、担任が家庭訪問をして「卒業があぶない」と言って帰った。わたしは、すでに二年生で留年し、修学旅行を二回も行き、五月生まれなもので、わたしは、すでに十九歳であった。
「あのころは臨時工で、収入も少なかったし、先の見通しも立てへんよって、三月で堕ろしたんや」
父は、わたしの不甲斐なさがやりきれなかったんだろう。だから、こんな痛い言い方をした。
それから折につけ、姉によく似た高校一年生の妹の姿が頭に浮かぶようになった。
姉は、わたしと違って、勉強も良くでき、親類や近所では評判が良かった。高三のときは、担任から大学への進学も勧められていた。しかし、わたしを大学に行かせるために、姉は高卒で働いていた。
痛む心に浮かんだ妹の姿は、そんな姉を、少しこまっしゃくれた感じにした印象だった。わたしの生来のずぼらさや、意気地のなさをせせら笑っているような姿形で浮かんでくる。
こいつが、早期退職して間もないころ現れるようになった。
今と同様、文章の言葉に悩んでいるとき、炬燵の向こう側に現れた。両手両足を炬燵につっこみ、炬燵の天版にアゴを乗せ、「バカ……」と一言言って現れた。
若干の混乱のあと、妹であると知れた。知れたとき、また「バカ……」と言った。
ミカンの皮を剥きながら名前を聞くと、こう答えた。
「栞(しおり)」
……人生のここ忘れるべからずのための栞である。
「兄ちゃんばかだからね」
そう言いながら、気まぐれにヒントやアイデアをくれ、あとは仕事場を兼ねたリビングで遊んでいる。栞にとっての遊びは、乱雑にした本の整理をしながら、気に入った本を読むことである。時に気持ちが入り込んだ時はボソボソと音読になり、突然笑ったり、泣いていたりする。それが面白くニヤニヤと笑って観てしまう。それに気づくと「バカ」と、口癖を言う。
ある日、車のコマーシャルで、長崎の『でんでらりゅうば』をやっていて、それが気に入ってやりはじめた。役者をやっていたころ、基礎練習で、これをやったので、わたしは容易くできる。それが悔しいのだろう「でんでらりゅば、でてくるばってん……」と続けていた。
気が付くと『でんでらりゅうば』が聞こえなくなり、居なくなった。で、それがまた現れた。
「おひさしぶり」
今度は、かなり絡まれそうな予感がした……。