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アノコが越してきてから三週間になる。
でも、一向に学校に行く気配が無い。
「高校生なんで、ナリは一人前なんですけど、何も出来ない子なんです」
「お母さん、余計なことを」
「だって、ホントのことだもん」
「引っ越しのご挨拶で言うこと?」
で、お袋がオバサン特有のお愛想笑いで済ませた。
「オホホホ、おとなり長い間空き家でしたので、寂しかったんですのよ。これからもどうぞよろしく」
しかし、4月になっても、アノコは学校に行く気配がない。
お隣りのお父さんは、8時前には会社に出かける。お母さんも9時前に家のことを済ませて、どこかにパートに行ってるようだった。
ただ、アノコだけが家を出る気配が無い。
それどころか、お互い建て売りの安普請。ちょっとした音でも聞こえることがある。で、その音が聞こえるのだ。換気扇の回る音、テレビの微かな音、そして二階の部屋の電気が点いたり消えたり。あきらかに誰かが家の中で生活している。
引っ越しの挨拶にきたときは、三人家族だと言ってたから、アノコが居るのには間違いないだろう。
なんで、ボクがこんなに詳しいかというと、ボクも学校に行ってないからだ。
正確には昼間の学校に行ってない。訳あって、通信制の高校にいっている。
それは、突然だった。
うちの二階の東の六畳は姉貴が使っていたけど、この春に就職して、家にはいない。
「時々空気入れ替えといてね」
そう言われて、一度もやってなかったので、掃除機ぶら下げて、姉貴の部屋に入った。
わずか三週間あまりだけど、人がいない部屋は、かすかに空気がよどんで、机やサッシにホコリが積もっている。で、カーテンと、サッシを同時に開けた。
で、見てしまった。
半開きになったアノコの部屋の窓から、裸のアノコの背中が!
ギクっとしたあと、アノコは裸のまま、窓辺に来て、サッシを閉めカーテンを引いた。時間にして、ほんの2秒も無かった。
いきなりで、ほとんど一瞬だったけど、アノコが素っ裸だったことはハッキリ目に焼き付いている。
女の子のことはよく分からないけど、こういう場合、悲鳴を上げたり、とっさに身を隠したり、少なくとも見られて恥ずかしいところは、反射的に隠すだろう。
アノコは、テスト期間中の職員室に生徒がドアを開けたのを締めに来た先生のような迷惑顔で、胸も隠さずにやった。突然で、やや異常な状況に、ボクは「ごめん」というヒマもなかった。
裸だったということは省いて、アノコが昼間家に居ることをお袋に言った。
「そう……なんか事情があるんだろうね、明みたいにさ。ま、人のお家、あまり詮索は無し。ちょうどいいわ、回覧板、こんどから明のかかりね。同じ年ごろ同士仲良くなれるといいね」
「え、ああ……」
ボクは、あの時の異常さから、ちょっと気が引けたが、積極的に断る理由もない。
で、その緊急の回覧板が明くる日にやってきた。
「道路工事の関係で、明日のゴミ収集変更なの、明君至急回してくれる?」
アノコの反対隣りのおばさんがやってきた。
「じゃ、お願いね……」
ボクは重たさ半分興味半分で、アノコの家の呼び鈴を押した。
「あ、明君ね、ちょっと待って」
意外に明るくクッタクのない声……回覧板を渡したらすぐに帰るつもりだった。
「あたしって、自分をモデルにヌードデッサンやってたの」
「ヌ、ヌードデッサン?」
「アハハ(n*´ω`*n)」
そこから話が始まって、玄関先ぐらいで済ますつもりが、アノコの部屋まで入ってしまった。
なるほど、アノコの部屋は書きかけや仕上げた油絵、デッサンが所狭しと散らばっていた。
「キミ、高校生なんだろ?」
「そうよ。明君と同じ通信制」
そう言われて、不登校、イジメなんて言葉が頭をよぎった。
「そんなんじゃないわよ。絵の勉強したいから、最初から通信制。でもね、他のアートもそうだけど、絵って、ある程度社会のこと知ってないと、限界。それに、美大とか出とかないと、世の中相手にしてくれないのよね。だから、近々全日制の学校に編入するの……どこの学校かって? フフ、それは登校するときのあたしの制服姿楽しみにして。で、明君は、なんで通信制?」
ボクは……
ボクは、めったにしない身の上話をアノコにした。
ボクは、元々は全日制の私学に通っていた。でも、あるクラスの子がイジメが原因で学校に来なくなった。学校は家庭訪問をくり返し、イジメが原因であると断定。イジメた何人かの中にボクの名前が入っていた。当然だけど、ボクたちにイジメた意識も事実も無かった。収まらないボクは、謝罪を前提に、その子の家に担任に連れていってもらった。
「こいつだ。こいつが辞めたら、ボクは学校にいける!」
で、ボクは責任と、潔白を証明するために学校を辞めた。
結局ボクが辞めても、その子は学校には来なかった。
学校は、ボクに復学するように言ってきたが、断った。一方的な事情聴取で、イジメの主犯と断定し、退学届けを喜んで受け取った学校に戻る気にはなれなかった。
「そう……明君て、苦労した末の通信制なんだ」
感受性が強いんだろう、アノコは頬を染め、涙を浮かべて話を聞いてくれた。
そして、知った。アノコの名前が亜乃子ということを。だから、呼び方がアノコなんだ。苗字は小野。小野亜乃子。なんと雅やかな古典的な名前であることか。
ほんの五分ほどのつもりが、一時間ほどになったころ、アノコが急に苦しみだした。
最初は指先の震え、それが瞬くうちに全身に広がり、唇は紫に、顔色は青白くなっていった。
「しっかりしろ! いま救急車呼ぶから!」
ボクは、救急車に同乗した。アノコは、なぜかスマホを手から離さなかった。治療の邪魔になるので、やっと手放せたのは、病院に着いてからだった。