大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

らいと古典『わたしの徒然草48 光親、おまえも食ってみろよ』

2021-03-17 06:27:03 | 自己紹介

わたしの然草・48
『光親、おまえも食ってみろよ』    



徒然草 第四十八段

 光親卿、院の最勝請奉行してさぶらひけるを、御前へ召されて、供御を出だされて食はせられけり。さて、食ひ散らしたる衝重を御簾の中へさし入れて、罷り出でにけり。女房、「あな汚な。誰にとれとてか」など申し合はれければ、「有職の振舞、やんごとなき事なり」と、返々感ぜさ給ひけるとぞ。

 ある日、天下太平を祈るパーティーに藤原光親が、お招きにあずかりました。
 で、光親は、後鳥羽上皇から、食べかけの料理を勧められました。
「これ、美味いからよ、光親、おまえも食ってみろよ」
「それは、それは……」
 と、光親はテキトーに食べて、トレーごと御簾(スダレ)の内に食べ散らかしたものを差し入れた。
 で、コンパニオンのオネエチャンである女房たちが、呆れかえった。
「わ、キッタネー。ここは大学の学食とちゃうねんよ。なんちゅうオッサンや、あたしらに片づけろってか!」
 そこへ、ホストである後鳥羽上皇がお出ましになり、こうおっしゃった。
「さすが有職(宮中のしきたり、マナー)に詳しい光親。粋なことするやないか」
 と、感心なさったとか。

 これはすごく変です。上皇サマからのクダサレモノを食い散らかして、トレーごと御簾の内、つまり、上皇さまの席近くにポイとウッチャラカシて消えてしまった。テーブルマナーを知らない、わたしのような田夫野人のオッサンのようで、光親は変である。それを「粋なことを」と、感心する上皇さまも変。

 変だから、兼好のオッチャンは書いたのでしょうが、どこを、どの程度変と思って書いたのか分かりませんが、後鳥羽院と光親の阿吽の呼吸的な君臣の親さを面白く感じたのだろうと思います。

 その後の光親と上皇は、以下のようになります。
 承久の変(承久三年)の時、後鳥羽上皇が北条氏の討伐の企てに際し、クールな藤原光親はまだまだ時期尚早と上奏しましたがヤンチャクレな上皇には聞き入れられません。その後、光親は義時追討の案文を上皇に書き。このことは、上皇の謀議共々鎌倉にもれ、謀議に参加した光親卿は捕われの身となり、鎌倉護送の途中で篭坂峠において打ち首になってしまいました。

 承久の変は、名前ほどには上級ではありません。武士の力は、たとえ将軍たる源氏の血筋が途絶えようと、揺るがぬものでありました。あっさり、鎌倉に動員された十九万の軍勢に破れてしまいます。そのあたりの機微を知っていれば、このTSUREDURE48は、兼好のオッチャンの時代と、人を見る目のシタタカサとタシカサを感じさせてくれる段であります。

 これに似たエピソードが百年前にありました。

 阿波と淡路を領国としていた蜂須賀家は、その遠祖を蜂須賀小六という地侍……もっとアケスケにいうと、夜盗の頭目であります。それが、豊臣、徳川の時代を泳ぎ切り、無事に明治の御代に華族に列せられます。
 当時は、テレビはおろかラジオも無い時代。人々の娯楽は歌舞伎や講談、浪曲であります。
 そのポピュラーな演目が『太閤記』です。『太閤記』では、矢作川の橋の上で寝ていた藤吉郎(後の秀吉)と、夜盗の頭目、蜂須賀小六との出会いは、前半のヤマであります。
 今で言えば、総理大臣の名前は知らなくても、AKB48は知っている! と、いうぐらいにポピュラーな話であります。
 蜂須賀家は、これを気にして、偉い大学の先生に頼みました。
「先生、なんとか我が祖である蜂須賀小六が……ではなかったと、証明してください」
 と、頼んだ。
「まかせてください」
 先生は胸を叩いて資料、史料にあたった……結果。
「やはり蜂須賀小六は……で、あられたようで……」
 で、蜂須賀さんは、ガックリきていました。

 そんなある日、蜂須賀さんは明治天皇のお呼び出しをうけ、歓談していました。

 明治天皇が、所用があって、しばし、その場を外されました。蜂須賀さんは何気なく、テーブルの上の菊の御紋入りのタバコを一握りポケットに突っこみます。まあ、家人へのお土産と思われたのでしょう。当時は「恩賜のタバコ」と、大変ありがたがられたものです。
 所用を終えた明治天皇が、お席に戻られると、タバコがゴソっと減っている。
「ワハハ、蜂須賀、血は争えんのう」
 陛下は、たいそう面白がられ、蜂須賀さんも、恥ずかしいやら面白いやらで、笑っちゃった……。
 これは、司馬遼太郎さんのエッセーに出ているエピソードです、明治という時代の明るさと大らかさを現していますね。
 ちなみに、タバコに刷られていた菊紋を考案したのは、わたしの記憶違いでなければ、後鳥羽上皇です。
後鳥羽上皇の想いは、奇しくも数百年の時を経て、蒸留酒のようなウィットになりました。


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