ライトノベルベスト
車を洗っていると、後ろで気配を感じた。
振り向くと、カットソーの上にギンガムチェックのシャツ、足許はジーンズにスニーカーの女の子。その子がセミロングの髪を風になぶらせながら立っている。
目が合うと何か言おうとするんだけど、すぐに言葉を飲み込んで伏目がちになる。
三度目に、こちらから聞いた。
「なんか用?」
仕事柄、明るい印象で言ってしまうので、安心したんだろうか、はにかみながら、その子が言った。
「すみません、わたし8月なんです。お詫びにきました」
そこまで言うとペコリと頭を下げる。なんだかファストフードの店で、バイトの子が謝ってるような初々しさがあった。
え……今なんつった?
「雨ばかりで、気温も上がらずに、ご迷惑ばかりおかけしました。今日で8月も終わりなんでお詫びに……」
少しおかしい子か、それともドッキリ? どこかにカメラが?
「あ!」
と思うと、道の真ん中に飛び出しトラックの前に飛び出し、トラックは何事も無かったように、彼女と交差して行ってしまった!
とりあえず人間でないことが分かった。
「わたし、あなた担当の8月なんで、他の人には見えないんです」
「オレの担当!?」
「はい、牧原亮介さま」
と言うわけで、少女姿の8月を助手席に乗せて車を走らせている。
「これで、キミの気がすむわけ」
「いいえ、亮介さんが、わたしのせいでこうむった不利益を取り戻しにいくんです」
この台詞は、車に乗せる前と、海岸通りの道に入る前にも聞いた。
「不利益こうむった人なんて、他にもいっぱいいるだろ。水害で家族亡くしたり家流されたりって」
「そういうとこには、別の担当者が行っています。ほとんど、ただひたすらお詫びし、お慰めすることしかできないんですけど……」
「オレなら、別に不利益なんかなかったぜ。冷房代かかんなくて助かったぐらいだよ」
「そう言われると辛いです。亮介さんのは、まだ取り返しがつくかもしれません。信じてください」
「ん……でも、8月の割には、もう秋ってかっこうしてるね」
「成績が悪いんで9月も担当することになりましたんで、あ……あ、その道を左です」
その道は旧道で、海沿いという以外取り柄のない道で、路面も悪く通る車はめったにいない。二キロほど行くと、パンクでもしたんだろうか、若い女性がサイクリング用自転車と格闘しているのが見えた。
「あ、夏美じゃないか!?」
「あ、亮介……どうして……?」
気づくと、8月は車を降りて、少し離れたところから、オレたちを見ている。
オレは、夏美と二回泳ぎにいく約束をしていた。二回とも台風と大雨で、文字通り流れてしまっていた。別の日に映画とか提案したけど却下だった。タイミングと要領が悪いんだと思っていた。
「こういう太陽の下で、泳いでみたかったんだ……その代わりに海沿いを走りまわっているわけ」
「こんなとこで、修理も大変だろ。自転車ごと乗せてやるぜ」
「ありがと。でもいいの。友達にメールしたら、ここまでサルベージに来てくれるから」
「え、ああ、そうか……」
夏美は「友達」というところで目を伏せた。その声としぐさで「友達」が分かった。
職場で夏美を密かに張り合っている秋元だ。
「そか……じゃ、オレ行くわ……」
「うん」
そっけない返事に接ぎ穂も無くて、8月が待っている車に向かう。
「すみません。いいシチュエーション作ったつもりだったんですけど……」
8月が助手席で俯いた。
「8月のせいじゃないよ。もう一歩踏み出してもよかった……ダメ押しで断られるのが怖かったからさ。そういう男なんだよオレは。どう、もう少しドライブ付き合ってくれる?」
「ごめんなさい、そろそろ9月の用意しなきゃならないから……」
8月は名残惜しそうにオレのことを見ながら、ゆっくりと消えていった。
もう一言いえば、別の答えが返ってきそうな予感はした。でも、なんにも言えないオレ。
まあ、気長に……9月になったら、よろしく。
アクセルを踏み込む。暴走……のつもりが小心者、10キロしかオーバーしていない。
でも、どこにいたのかパトカーが追いかけて停車を命じている……。