徒然草 第五十二段
仁和寺にある法師、年寄るまで岩清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただひとり、徒歩より詣でけり。極楽寺・高良などを拝みて、かばかりかと心得て帰りにけり。
さて、かたへの人にあひて、「年比思ひつること、果たし侍りぬ。聞きしに過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。
少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。
徒然草と言えば、仁和寺の法師と言われるぐらいに有名な段で、教科書で習う『徒然草』には、ほとんどと言っていいほど、この五十二段が出てきます。
京都の仁和寺の坊さんが、かねてから都の南方にある石清水八幡にお参りに行きたいと思っていたが、ようやく念願を果たした。
で、この坊さん、兼好法師にこう言いました。
「いや、兼好さん、わたしはお参りしたんですけどね。なんやら、その奥の山の方まで行かはる人が大勢いたはったんですけどね。わたしは石清水さんをお参りすることが、目的やったさかいに、その山の上までは行きませんでしたわ」
これ、わたしのようなボンクラに例えれば、パリのシテ(中之島)に行って、自由の女神のミニチュアを発見し、言うであろう感想に似ています。
「フランス人はミミッチイなあ、こんな小さい自由の女神のコピー作って喜んどる」
実は、自由の女神というのは、こっちが本物。
アメリカが独立百周年の千八百七十六年に、お祝いに巨大な自由の女神像を送ることになり、そのために作った原形なのです。日本的に言えばご本尊。アメリカのニューヨークにあるものはこれをもとに拡大して作られたものであり。いわば巨大な写し(レプリカ)なのですねえ。それを日本人は、こう思う。
「日本にあるパチンコ屋のモニュメントの方が大きいし、カッコいい!」
ことのついでに申し上げておきますが、アメリカの独立二百周年記念に日本は「平和の女神像をプレゼントしたい!」と、アメリカに申し入れ、低調に断られています。一国の安全保障をアメリカ頼みにしている脳天気な日本から、憲法九条の権化のような女神像を頂くなど、アメリカ人には笑止千万だったのでしょう。
あの誇り高いフランスが作り、プライドの高いアメリカが大感激して頂戴し、アメリカの玄関先であるニューヨーク港に飾っているのは、アメリカの独立革命とフランス革命が密接に関係していて、世界中の市民革命のお手本になっているからでしょう。
まあ、本題に戻ります。
仁和寺の坊さんは石清水の麓の寺社を見て、それを石清水八幡だと思いこんでしまったのであります。
石清水八幡というのは、その山の上にこそあったのです。
何事につけ、経験のある先達(経験のあるガイド)というのは必要なものだなあ……という感想が、この段のテーマであります。
わたしは、この段には○と×の両方の感想があります。
○の方から。日本人は、大きな意味で先達から学びました。いやDNAとして刷り込まれた弥生時代からの百姓根性です。米作りは、田植えや治水、稲刈りなど、集団としての秩序感覚が無ければできません。この秩序感覚は、古くは戦後の奇跡的な復興と経済成長。近くは阪神大震災、東日本大震災で見せた日本人の力や忍耐力に現れています。こんな状況でパニックや暴動を、ほとんど起こさないのは日本人の美徳であると思います。
×は、日本人の一部の先達たちのお粗末さです。
日本の学校の授業では、江戸時代や明治時代を否定的な傾向で教えます。
江戸時代は、幕藩体制と士農工商の身分制度の中で、大勢の民衆が高い年貢を巻き上げられ、塗炭の苦しみを味わっていたと教えられます。
明治時代は、薩長の藩閥政治により、殖産興業、軍事大国化が推し進められた絶対主義の時代と教えられます。こんなに自分たちの国を否定的に教える国も珍しい。
こういう傾向は日本だけかと思っていたら、ちょっと世界中に広まりそうな空気があります。
キャンセルカルチャーと言うらしいです。アメリカではワシントンやリンカーン、果てはコロンブスまで否定して、銅像を壊したり撤去したりという中国の文化大革命のようなことが起こり始めています。
なんでも、奴隷制度などの矛盾や人種差別のアメリカを作った、あるいは、その礎を築いた奴らだから否定した破壊するんだということらしいです。例えば、ワシントンは合衆国の独立を成し遂げたけれども、彼は奴隷を所有していて、奴隷制度に反対しなかったから、批判され排除される対象なのだと言う考え方なのです。
ちょっと難しい時代の入り口に立っているのかもしれません。