高安女子高生物語・37
〈有馬離婚旅行随伴記・2〉
「明菜のお母さんて、稲垣明子やってんなあ!」
そう言いながら露天風呂に飛び込んだ。
一つは寒いので、早うお湯に浸かりたかった。
もう一つは、人気(ひとけ)のない露天風呂で、明菜からいろいろ聞きたかったさかい。
「キャ! もう、明日香は!」
悠長に掛かり湯をしていた明菜に盛大にしぶきがかかって、明菜は悲鳴と非難の声を同時にあげた。
「明菜、プロポーション、ようなったなあ!」
もう他のことに興味がいってしもてる。我ながらアホ。
「そんなことないよ。明日香かて……」
そう言いながら、明菜の視線は一瞬で、うちの裸を値踏みしよった。
「……捨てたもん、ちゃうよ」
「あ、いま自分の裸と比べたやろ!?」
「あ……うん」
なんとも憎めない正直さやった。
「まあ、浸かり。温もったら鏡で比べあいっこしよや!」
「アハハ、中学の修学旅行以来やね」
このへんのクッタクの無さも、明菜のええとこ。
「せや、お母さん、女優やってんなあ!」
「知らんかった?」
「うん。さっきのお父さんのドッキリのリアクションで分かった」
「まあ、オンとオフの使い分けのうまい人やから」
「ひょっとして、そのへんのことが離婚の理由やったりする?」
「ちょっと、そんな近寄ってきたら熱いて」
あたしは、興味津々やったんで、思わず肌が触れあうとこまで接近した。
「あ、ごめん(うちは熱い風呂は平気)。なんちゅうのん、仮面夫婦いうんかなあ……お互い、相手の前では、ええ夫や妻を演じてしまう。それに疲れてしもた……みたいな?」
「うん……飽きてきたんやと思う」
「飽きてきた?」
「十八年も夫婦やってたら、もうパターン使い尽くして刺激が無くなってきたんちゃうかと思う」
字面では平気そうやけど、声には娘としての寂しさと不安が現れてる。よう見たら、お湯の中でも明菜は膝をくっつけ、手をトスを上げるときのようにその上で組んでる。
「明菜、辛いんやろなあ……」
「うん……気持ち分かってくれるのは嬉しいけど、その姿勢はないんちゃう」
「え……」
あたしは、明菜に寄り添いながら、大股開きでお湯に浸かっている自分に気が付いた。どうも、物事に熱中すると、行儀もヘッタクレものうなってしまう。
「明日香みたいな自然体になれたら、お父さんもお母さんも問題ないねんやろけどなあ」
そう言われると、開いた足を閉じかねる。
「さっきみたいな刺激的なドッキリを、お互いにやっても冷めてるしなあ……」
しばしの沈黙になった。
「あたしは、ドラマの娘役ちごて、ほんまもんの娘や……ここでエンドマーク出されたらかなわんわ」
「よーし、温もってきたし、一回あがって比べあいっこしよか!」
「うん!」
中学生に戻ったように、二人は脱衣場の鏡の前に立った。
「あんた、ムダに発育してるなあ」
うちは、遠慮無しに言うた。どう見ても明菜の体は、もう立派な大人の女や。
「明日香て、遠慮無いなあ……うちは、持て余してんねん。呑気に体だけが先いってるようで……明日香のスリーサイズ言うたろか」
「見て分かんのん?」
「バスト 80cm ウエスト 62cm ヒップ 85cm 。どないや?」
「胸は、もうちょっとある……」
「ハハ、あかん息吸うたら」
「明菜、下の毛え濃いなあ……」
「そ、そんなことないよ。明日香の変態!」
明日香は、そそくさと前を隠して露天風呂に戻った。今の今まで素っ裸で鏡に映しっこしてスリーサイズまで言っておきながら、あの恥ずかしがりよう。ちょっと置いてけぼり的な気いになった。中学の時も同じようなことを言ってじゃれあってたんで、戸惑うてしもた。
うちは、ゆっくりと湯船に戻った。今度は明菜のほうから寄り添うてきた。
「ごめん明日香。あたし、心も体も持て余してんねん……あたしの親は、見かけだけであたしが大人になった思てんねん。うまいこと言われへんけど、寂しいて、もどかしい……」
「なあ、明菜……」
そこまで言いかけて、芝垣の向こうの木の上から覗き見している男に気づいた。
里奈の物語・36
『気の早い初詣』
岸田先生にもらった学校のあれこれをゴミ袋に入れて口を縛ると着メロが鳴った。
――気が早いけど、初詣に行かないか? 拓馬――
あれこれをゴミ袋に入れた➡せいせいした➡新たかな気持ち➡気の早い初詣もありか?
という具合に繋がって、お誘いに乗ることにした。
拓馬は鶴橋から電車だという。で、あたしも鶴橋で乗り込んで合流することにした。
「彼女、美姫ちゃん。安藤美姫、今里に来てできた数少ないお友だち」
あたしは思い立って美姫をお誘いしておいた。
拓馬は一瞬ビックリしたけど、海外旅行で日本人に会ったような笑顔になった。
「オレ吉村拓馬。里奈とは家が骨董屋同士で親しくなって、エ(うっかりエロゲと言いそうになっている)……エー、よろしく」
「あたしはたこ焼き仲間。それと元演劇部ってとこで、里奈と親しくなったの」
美姫は、ごく自然に右手を出して握手。引きこもりと現役の違いはあるけど、同類同士だと分かったみたい。あたしはいい勘をしている。
「それで、山本八幡宮って、どんな神社?」
拓馬は、今里から各停で七つ目の河内山本ってとこにある山本八幡宮に行くと言っていた。八幡宮というから鶴岡八幡とか宇佐八幡とかの大神社を想像していた。
「これが山本八幡宮」
言われるまでもない、河内山本で降りると、ロータリーを挟んで玉垣があり、その上に『山本八幡宮』という清々しい看板が出ていた。神社の前は幅三メートルほどの遊歩道を挟んで清げな小川が流れて、鮒だか鯉だかが群れて泳いでいる。なんだか、鉄道模型のジオラマを原寸大に拡大したような秩序がある。
「ひい爺ちゃんの代まで、この辺に住んでて、この八幡様がうちの氏神様。小ぢんまりした神社やけど、正月は駅まで初詣の列ができる」
拓馬が、ここを選んだ理由と、可愛い神社であることが分かった。
「ホー……一幕もののええドラマが書けそうな神社やね……境内には、お宮参りの家族連れが似つかわしい」
美姫は、長いため息に感想を載せて吐き出した。クラブは辞めたけど、感度のいい演劇少女ではある。鳥居をくぐると、本当にお宮参りの若夫婦と赤ちゃんを抱いた姑さんらしき一組が居た。
「お参りの仕方知ってる?」
「お辞儀して手を合わせる?」
「それでもええねんけど、正式なやつ教えたるわ」
拓馬は、手水所で手を洗うところから、お賽銭を入れ、鈴を鳴らし二礼二拍手一礼をするところまで丁寧に教えてくれた。
こういうことは大混雑する正月の初詣ではできない。
「なにをお祈りしたの?」
お百度石のところで美姫が聞いた。
「うん……三人が、いい友だちでいられますように……かな?」
自分で言って照れてしまう。でも本音。あたしの人間関係は、どんどんピュアじゃなくなってきたから、拓馬と美姫は大事にしたい。
「美姫は?」
「あたしは……感謝」
「感謝? お願いとかじゃなくて?」
「うん、あたしの振る舞いとか運次第では、もっと状況悪なってたと思うねん。それが、里奈と知り合えたし、今日は拓馬君とも出会えたから、それを感謝」
「そっか……てか、ありがとう。あたしのことを、そんな風に……その……大事に思ってくれて」
「ううん、そんなん。あたしのほうこそ」
「ハハハ、お願いと感謝の違いはあるけど、二人ともいっしょやな」
「ハハ、そうやね」
美姫の目がへの字になった。
「そういう拓馬は、どうなのよ?」
「そら、オレは、ええエロゲに……」
「え、エロゲ!?」
美姫の目はへの字から点になった。
「「うわー、きれいな川!」」
お昼を食べようということになり、踏切を渡って駅の南側に出た。で、美姫と二人で歓声を上げた。
「これは玉櫛川。南北に四キロほど続いてる。昼食べたら、ちょっと歩いてみよか」
玉櫛川沿いを少し行って、焼き立てパン食べ放題のお店でランチ。
それから、駅一つ分を玉櫛川沿いに散策。
書きたいことは、まだまだあるんだけど。またいずれね……。
須之内写真館・9
【古写真の復元・2】
それは、旧日本軍の軍人が、人の首を切った瞬間を捉えた写真だった……。
「なに、この写真!」
おぞけの隠せない声で、直子は叫んでしまった。
「ごめんなさい。ちょっと注釈して見せるべきだったな」
「その注釈、今から聞かせてもらえる?」
「うん……それ、お客さんが見せてくれたってか、お客さん同士で話してるところを見ちゃって。で、今の直子さんみたく驚いたんです」
「なんで、こんなグロな写真……」
「それ、お客さんのひい婆ちゃんのものなんです。その首を切り落としている後ろ姿が旦那さんだそうで……」
「え……」
「で、そのお客さんにとってはひい祖父ちゃんにあたる人は戦後戦犯で死刑になったんだって」
「そりゃ、なるわね……」
「でも、ひい婆ちゃんは、それは旦那さんじゃないって。それを証明したいために、ずっと持ち続けていて、あと病院で一週間ほどの命なんです」
杏奈は、この古写真を鮮明に復元して、お婆ちゃんに「ひい祖父ちゃんは無実だったよ」と伝えてあげられたらと、スマホに取り込んできたのだ。
直子は、自分の手には負えないので、お祖父ちゃんに頼んだ。
「う~ん……この写真じゃ、なんとも言えないな」
プロジェクターに大写しにした写真をみて、お祖父ちゃんは唸った。
「傷みがひどいわね」
「そりゃ、七十年以上昔の写真だからな。原版があれば、復元もできるんだが……」
「原版なら、これです」
杏奈は、手札サイズのセピア色になった写真を取りだした。
「よし、復元してみよう。二日ほどくれるかい?」
「はい、できるだけ早くお願いします」
「そうね、ひい婆ちゃんに、いい答を言えるといいんだけど」
「わしの勘だが、これは、そのひい祖父ちゃんじゃないと思う」
「どうして、お祖父ちゃん?」
「写真の裏の字だよ。昭和十五年五月十五日……筆跡がな。それと写真全体からくる違和感だ……」
直子のお祖父ちゃんは、一日半かかりっきりで、写真を修復した。洗浄やら、薬品処理やら、直子はデジタルではできない職人芸に舌をまいた。
「さあて、これからだ……」
祖父ちゃんは、ほとんど徹夜だったが、いきいきと作業に没頭した。
「どう、お祖父ちゃん?」
「この写真は矛盾が多い」
「え、どんなとこ?」
直子は鮮明になった写真を凝視したが、切られた首が血圧で吹き飛ぶところが鮮明すぎて、カラーでなくてよかったと思うばかりだった。
「日本軍の軍服は、昭和十三年に更新されとる。むろん更新直後なら新旧の軍服が混在しとるが、十五年なら、完全に十三年式になっている」
直子には、祖父ちゃんが見せてくれた新旧の軍服の違いは言われなければ素人には分からないものであった。
「パソコンに取り込んで、デジタル処理してみる」
直子は、直子のやり方でやってみた。後ろで見ていたお祖父ちゃんは、もう一つのパソコンでなにやらやっている。
「むつかしいことは、出来んがな。友だち二人に鑑定を依頼した」
「お祖父ちゃん、この後ろに並んでいる兵隊、ちょっと違和感……」
直子はデジタルで拡大した。
「これは……日本の軍服じゃない」
やがて、祖父ちゃんの友だちからも答が返ってきた。
「やっぱりな」
「どうなの?」
「この筆跡は九十パーセント日本人の筆跡じゃない……そして、もう一つは、軍刀の使い方。姿勢から、剣道や居合い切りなどではない、力任せの切り方であることが分かるそうだ」
「あのひい婆ちゃん、喜んでいたそうです」
杏奈が報告に来た。ひい婆ちゃんは、その数時間後に亡くなった。
お祖父ちゃんと、その友だちは、その結果を新聞社に送った。S新聞だけが取り上げてくれたが、七十五年も昔の写真にまつわるエピソードに、関心を示す読者は少なかった……。
はるか 真田山学院高校演劇部物語・77
『第七章 ヘビーローテーション 15』
いつの間に眠ったんだろう。
気がついたら、ベッドに寄りかかるようにして眠っていた。
肩に毛布がかけてある……お母さんだ。
わたしは、ついさっきの夢を思い出していた。
夢の中にカオル姿のマサカドクンが出てきた。
グー像の前で、気を付けの姿勢でじっと前の方を見つめていた。
まるで、これから教育勅語が奉読されるのを待っているように。
マサカドクンは、等身大で、その映像はカメラが回るように、マサカドクンの周りを回っていた。
よく見ると、マサカドクンのセーラー服は太い白線と、二本の細い白線。ネクタイも、カオルは白だが、彼女(?)は赤だ。
なにか思い詰めたような顔をしている。どうしていいか分かっているのに、なにか大きなものに邪魔されて、それでもなんとかしたいというような……。
今の女子高生はこんな表情はしない。
と、思ったら、突然声も立てずに笑い出した。
これって……心の底からの、本物のホンワカだ。
今の女子高生は、この表情もしない、わたしも含めて。
こないだ、見たときよりも、はっきりと女学生の有りようを受け取った。
そして、最後に、彼女は拳を突き出して消えた。突然だったので表情は分からなかった。
いったいあれは……マサカドクンて、いったい…………?
「はるか、冷めちゃうわよ!」
「あ、おでんだ」
わたしは、食卓に着いてボンヤリとしていた。
「大阪に来て、最初のおでんだよ」
おでんは、お母さんお得意の手抜き料理。なんせ、最初作っておけば具を足すだけで、何日も食べられる。
ま、いいけど。でも、大好きな竹輪麩(ちくわぶ)が無かった。
久々に東西文化の違いを思い知った。
八時過ぎには学校に着いた。
グー像の前で立っていると、竹内先生がやってきた。
「なんや、だれかと待ち合わせか?」
「はい、ちょっと」
「ちょっと、顔が怖いで」
「ですか」
「まあ、アメチャンでも食べえや」
わたしはもらったアメチャンを握ったまま待った。
それから五分して、ヤツは現れた。予想はしていたが由香が横にくっついている。
「先輩とだけ話がしたいんだけど」
そう言うと、由香は二三歩後ずさった。
「いったい、なんだよ。怖い顔して」
「これ」
例のA4の封筒を差し出した。
「あ、きたのか! いやあ、まさかとは思ったんだけどな」
「他の人には見せない人だって言ったじゃない!」
「伯父さん、リタイアした人だけど、元は名プロディユーサー。はるかがプロの目から見てどう映るのか、それが知りたっくってサ」
「約束を破った!」
「そう怒るなよ。オレ、はるかの魅力はプロで通用するって思ったんだ。はるかは、こんな演劇部でたそがれてるやつじゃないって。でも、プロの世界はキビシイからさ。おれ自分の目の確かさも試したかったんだ。あんまし自信はなかったけど、オレにとっても、はるかにとっても、いい結果が出たじゃないか」
――こいつ、なんにも分かってない……怒りでうつむいてしまった。
「でも、よかったよ。はるかが認められて。白羽さんて、日本で五本の指に入るプロディユーサーだからさ、それが、こんなに早くリアクション起こしてくれたんだから、やっぱり本物だよ、はるかは!」
プツって音がして、わたしは切れてしまった。
不幸が三つ重なった。
まずタマちゃん先輩が側にいなかったこと。いたらルリちゃんの時のように止めてもらえただろう。
次に、アメチャンを握っていたこと。アメチャンを握っていなければ平手ですんだだろう。
もう一つは、わたしが手を挙げたとき、そこに由香の顔があったこと。
気がついたら、生活指導の部屋にいた。
由香は、わたしの手が出そうになって、間に入った瞬間だったらしい。
わたしの横で、くちびるを切って、ホッペを腫らして座っていた。
わたしは、正直に全てを話した。一方的暴力である。
吉川先輩は「自分が余計なことをしたからだ」と弁護してくれた。
慌てたのは、乙女先生と竹内先生。
暴力行為は最低でも一週間の停学だ。
どうしよう、コンクールに出られなくなってしまう……。
足許から、後悔が這いのぼってきた。
後悔は深まる秋の冷気に似ていた……。
チャンチャカチャン(^^♪ チャンチャカチャン(^^♪ チャチャチャチャチャンチャカチャン(^▽^)♪
ラジオ体操のイントロで目が覚める。
あ…………枕元にラジオ体操人形。寝ぼけてお腹を押してしもたんや。
ポチ
もう一回押して停める。せっかくの夏休み、二度寝のまどろみを楽しむ……。
チャンチャカチャン(^^♪ チャンチャカチャン(^^♪ チャチャチャチャチャンチャカチャン(^▽^)♪
え? 切ったはずやのに…………え? ラジオ体操は外から聞こえてくる。
ボーーっとしたまま上体を起こし、窓の外を見る。
境内に小学生が集まってラジオ体操をやってる。首からカードをぶら下げて、六年ぐらいの子ぉが前で見本を見せながら、おおよそ、みんなでそろって、一二三 一二三……おお、伝説の夏休み朝のラジオ体操!
わたしの小学校ではやってなかった。噂では、地方に行くと、お寺や神社の境内でやってるって聞いたことがある。それが灯台下暗し、自分の家でやってるとは思わんかった。
I want be in that number~(^^♪
ジャズの『聖者の行進』のフレーズが弾けた! つるんでやることは苦手やけど、あのラジオ体操は……せめて、そばで見てみたい!
そう思うと、パジャマのまんま階段を下りて、スリッパをつっかけて境内に急いだ!
境内に出てみると、蝉時雨と競うようなラジオ体操が陽気に鳴り響いてはいたけど、三年生くらいの女の子一人になってしもてた。
ラジオ体操は第一が終わって、第二の整理運動いうんやろか、息を大きく吸い込んで腕を前で交差させて深呼吸……。
女の子は、深呼吸をしながら、コマ落しのように大きくなっていく。
……四年生……五年生……六年生……中学一年生……中学二年生……女の子はのりちゃんの姿になった。
「のりちゃん……」
「アハハ、桜ちゃんのお人形でラジオ体操思い出して。いやあ、懐かしかった!」
「あ、ひょっとしたら、ラジオ体操の出席カード!]
「うん?」
「休んだ日があって、ハンコの数足らんから、その分稼ぎに現れたとか!?」
のりちゃんは、やり残したことがあって、中学生の頃の姿で蘇ったんや。
「ハハ、家は、道挟んだ隣やったから、ずっと皆出席やったよ!」
「そうなんや」
「ごめんね、起こしてしもて」
「思い出されへん、やり残したこと?」
「アハハ、そのうち思い出すやろし」
照れたように笑うと、空気に溶けるようにのりちゃんの姿が薄くなって……いや、薄なってんのは、わたし方や!
あ! あ! 消えていくしいいいいいいいい…………!
桜ちゃん、そろそろ朝ごはん。
伯母ちゃんの声で目が覚めた。窓の外の境内は、やかましいくらいのセミの声で満ちておりました。
月にほえる千年少女かぐや(改訂版)・7
大橋むつお
時 ある日ある時
所 あるところ
人物 赤ずきん マッチ売りの少女 かぐや姫
かぐや: 先生がまだほんのお子様のころ、お母さまが内職のミシンをふみながらよく歌ってらっしゃったんですって。お母さまが、この歌を口ずさまれるとそれだけでね、六畳一間のお部屋が月の砂漠になったんですって。ほほほ、おわかり?
赤ずきん: わかったような……
マッチ: わからないような……
かぐや: 先生はね、月の光に照らされた砂漠じゃなくて。そのまんま月の砂漠とお思いになったんだって。
赤ずきん: え?
マッチ: ん?
かぐや: で、どうして空気のない月の砂漠を王子さまとお姫さまが、ラクダに乗っていけたんだろうって……
二人: あははは……
かぐや: でも、すてきじゃございませんこと……お母さまのお歌一つで六畳のお部屋が月の砂漠になって、畳のへりを、小さな王子さまとお姫さまがラクダにのっていかれるなんて。
赤ずきん: でも、それがどうして鳥取砂丘?
かぐや: 学生のころに鳥取砂丘でラクダのりのアルバイトをなさってたの。それで、月の砂漠はここだってお思いになった。はじめて砂丘をごらんになったとき、ミシンをふむお母さまのお背中と、月の砂漠がパーっとスリーディーの映画のように、よみがえったとおっしゃってました。
マッチ: ふうん……いい話だよね。
赤ずきん: でも、この家は金八郎にがてなんだろ?
かぐや: せっかちのエンジン全開でいらっしゃいますから。
マッチ: だよね。
かぐや: 一時間……いいえ、正味四十八分で、問題を解決しなきゃいけませんでしょ。スポンサーやディレクターのご意見もございます。ムリもございませんわ。
赤ずきん: だろうね……
マッチ: 波の音がする……
赤ずきん: ほんとだ。
かぐや: そりゃ海岸ですもの……海と、月と、砂丘と……ぜいたくでしょ、ここ。
マッチ: あ、うさぎさんだ!
赤ずきん: え、どこ?
マッチ: ほら、あそこ。あの砂丘のかげ。
赤ずきん: ……ほんと!
マッチ: おっこっちゃったのかな?
赤ずきん: 月から?
かぐや: ほほほ、わたしもそう思って、思わず月を見上げましたわ(三人月を見上げる)ほら、ちゃんと月ではうさぎさんが、おもちをついていらっしゃるわ。
赤ずきん: ……ということは、ただのうさぎ?
かぐや: いいえ……あの方は由緒正しいうさぎさんなのです。
マッチ: ほんとだ、腰に手をあてて胸をはっている。
赤ずきん: セーラームーンか!?
マッチ: ちょっち古いよ。
高安女子高生物語・36
〈有馬離婚旅行随伴記・1〉
「ちょっと冷えそうだな」
明菜のお父さんは、ブルッと身震いし、ジャケットを掴んで助手席から車を降りた。
仲居さんや番頭さんたちが、案内や荷物運びのために車の周りに集まった。
「あ、タバコ切らしたから買ってくるわ」
「タバコやったら、うちのフロントに言うてもろたら……」
「ありがとう。おれのは、特別の銘柄だから。なあに、店はとっくに調べてあるから。じゃ、ちょっと」
「すみませんね、お寒い中、お待たせしちゃって」
お母さんが恐縮する。
「お日さん出て温いよって、ちょっと庭とか見ててよろしい?」
「ええ、いいわよ。この玉美屋さんの庭はちょっと見ものよ。そうだ、あたしもいっしょに行こう」
「ほなら、お荷物ロビーに運ばせてもろときます」
仲居さん達は甲斐甲斐しく荷物を運ぶだけとちごて、何人かは、お父さんとあたしらを玄関前で待ってくれてる。客商売とは言え、なかなかの気配りや。
「やあ、ほんま、きれいなお庭」
「回遊式庭園では有馬で一番よ」
梅が満開。寒椿なんかも咲いてて、ほんまにきれい。まだ春浅いのに庭の苔は青々としてた。
ほんのりと温泉の匂い。
「そこの芝垣の向こうが露天風呂になってます」
「じゃ、そこの岩の上に上ったら覗けるかもね」
「ホホ、身長三メートルぐらいないと、岩に上っても見えしまへんやろな」
と、お付きの仲居さん。
「見えそうで見えないところが、情緒あっていいのよね」
明菜のお母さんは面白がっていた。
パン パン パン
わりと近くで、車がパンクするような音がした……おかしい、三回も。こんな立て続けにパンクが起こる訳がない。
「えらいこっちゃ、人が撃たれた!」
どこかのオッサンの声がして、あたしらも、声のする旅館前の道路に行ってみた。
「キャー! お、お父さん!」
明菜が悲鳴をあげた。明菜のお父さんが胸を朱に染めて倒れていた。
「え、えらいこっちゃ。さ、殺人事件や。け、警察! 救急車!」
旅館の人たちも出てきて大騒ぎになった。
「みなさん、落ち着いてください!」
お母さんは、つかつかとお父さんに近寄ると、お父さんの横腹を蹴り上げた。
「痛いなあ、怪我するやろ」
ぶつぶつ言いながら、血染めのお父さんが立ち上がった。
「え……」
女子高生二人を含める周りの者が、あっけにとられた。
「こんな弾着の仕掛けで、あたしがおたつくとでも思ったの。しかし、あなたもマメね。いまどき潤滑剤の付いてないコンドームなんて、なかなか手に入らないわよ」
お母さんがめくると、お父さんの上着の裏には、破裂したコンドームがジャケットを真っ赤にしてぶら下がっていた。
「おーい、失敗。カミサンに見抜かれてた」
向こうの自販機の横から、いかにも業界人らしいオッサンがカメラを抱えて現れた。
「これ、年末のドッキリ失敗ビデオに使わせてもらえるかなあ」
「やっぱ、杉下さん。あなたの弾着って、クセがあるのよね」
「アキちゃんにかかっちゃ、かなわないなあ」
そのときの、お母さんの横顔で思い出した。梅竹映画によう出てる稲垣明子や!
当惑を通り越して、憮然としてる明菜には悪いけど、うちはワクワクしてきた。
里奈の物語・35
『岸田先生がやってきた』
予想はしてたけど、ウズメが来なくなった。
公園にも姿を現さない。
のらくろも、なんだか寂しそうにエサを食べている。エサを食べながら、時々あたりを窺う。ウズメを探しているみたい。
ウズメが居なくても、のらくろは他の猫に意地悪されたりはしないようだ。ウズメは、自分が居なくても、のらくろが困らないように手を打っていたみたい。
どんな手か? 分からないけど、エサ場が平和なのが証拠だと思う。
「ここが平和になったんで、もう来えへんかもしれんなあ」猫田の小母さんが言う。
もう来ないという判断はいっしょだけど、来なくなった理由は違うと思う。でも来ないという判断はいっしょ。
「そうですねえ……」
空になったエサ皿を片付けながら頷く。あたしも、すっかり猫愛護の一員になったようだ。
こんな自然にグループの一員になったのは生まれて初めてかもしれない。ひょっとして、引きこもりが直ったんじゃないかとさえ思う。
小母さんたちといっしょに公園を掃除して、お店に帰る。
「あ……!」
叫びそうになって、手で口を塞いだ。
お店の中に女の人の後姿……担任の岸本先生だ!
とたんに怖気が走る。
逃げ出したくなるけど、もうこれ以上逃げるところも無い。それに……考えるの止めてお店に入る。
「お久しぶり、葛城さん」
先生は、とびきりの笑顔で挨拶してくれる。援交のエロゲに出てくる教師に似ている。失礼になるので、イメージを振り払う。
「まあ、上がって話してやってください」
伯父さんがリビングを勧めてくれる。
「お店の手伝いとかもしてるみたいね」
その一言で、伯父さんから、あたしのいろいろを聞いていることが分かる。
先生を前にすると口が重くなる、居心地が悪い。
「街猫の世話とかもしてるのね、先生も、猫たち見てみたいな」
「それは……」
「里奈の新しい友だちなんだろうからさ」
フレンドリーさが煩わしい。仕入れたばかりのあたしの近況を並べて距離を詰めたい気持ちが脂っこくて胸にもたれる。
先生は話しの空白を恐れるように間を空けずに喋る。けして早口じゃない。早く学校においでというようなプレッシャーになるようなことも言わない。
でも、これって、不登校生徒家庭訪問のマニュアル通りなんだろうなって勘繰ってしまう。
一応笑顔で聞いてるけど、目尻や口の端がこわばってるのが自分でも分かる。
先生、喋らなくてもいいよ、黙って座ってるだけでいい。どうしていいか分からないという顔でいい。そうしたら、あたしエロゲの話とかするから。えー、こんなのやってるんだ!? 驚いて戸惑ってくれればいい。そうしたら、あたしはエロゲのウンチクを少しだけ語る。ひょっとしたら春画との相似性について語るかもしれない。そいで、そういう世界もあって「そうなのかなあ」ぐらいの困り顔をしてくれればいい。
笑顔が痙攣しそうになったとき、先生は話すのを止めた。
「じゃ、これ終業式に配った諸々。いちおう置いとくね。元気そうでなによりやった。じゃ、先生つぎの家庭訪問に行くから」
「他にも行くんですか?」
「うん、いろいろいるからね」
「大変ですね」
「里奈のことも、他の子も、あたしの生徒やもん」
達成感を滲ませた返事にくたびれる。奈良の学校の先生がそうそう大阪の家庭訪問なんてあるわけがない。知ってるよ、学年初め、ホームルームで自己紹介やったけど、大阪から通ってる子なんていなかったもん。次の家庭訪問というのは、うちを早く切り上げるためと、先生は忙しいんだという言い訳に使っている。
伯父さんは、拓馬や美姫のことは話さなかったみたい。伯父さんは分かってくれているようだ。
「駅まで送りましょうか?」
断られることが分かりながら言ってみる。
「いいよ、気持ちだけで。じゃ、また来るから、いい年を!」
先生は元気に帰って行った。先生が去っていった歩道は、師走とは思えない生温さだった。
須之内写真館・8
【古写真の復元・1】
杏奈は『社会問題研究同好会』という古色蒼然とした同好会の代表になった。
これは、ガールズバーのオーナー松岡のアイデアである。
U高校の規則では、バイトは原則禁止で、ガールズバーなどという風俗まがいのバイトなどもってのほかである。
「じゃ、部活にしちゃいましょう」
直子が相談にいくと、開店前に孫の様子を見に来た松岡の祖父・和秀の助言で、そうなった。
昔の高校には『社会問題研究部=社研』がたいていの学校にあった。60年安保の頃が全盛期で、70年安保を境に急速に激減。今世紀に入って絶滅してしまった。
島本理事長は、大学こそノンポリを決め込んでいたが、高校時代は社研の部長で、高校生集会の幹部をやったり、ときには、他校に赴きオルグ(政治的宣伝)まがいのことをやっていた。
バイト先のデパートの配送センターでは仲間を募り組合まで作ろうとした。松岡の祖父は、そのころの仲間の一人なのである。
「いやあ、あのころはカブレていましたから。いっぱしのナロードニキのつもりでしたよ」
「ナロードニキ……祖父ちゃん、なんだよ、それ?」
「ロシア革命の用語でな『人民の中へ』ってな意味がある。革命化したインテリが農村や、都市の労働者階級の中に入って共に働き、革命を宣伝することだよ。まあ、その二番煎じ……いや、三番煎じかな」
「……あの、も一つ見えてこないんですけど」
「戦後、左翼の連中が農村に入っていって『農民組合』を作ろうとしたんだけどね。まあ、邪魔者扱いで大失敗。そういうやつらが教師になって生徒をたきつけた。で、たきつけられたのが、ワシや島本理事長の世代だ」
「あ、分かった。杏奈に、そのカタチをとらせようっていうんだね」
で、「部活にしちゃいましょう」ということになったのである。
島本理事長は、あっさりとこれを認めた。認めざるを得なかった。
そして、ナロードニキですということで、ガールズバーのバイトは『社会探訪』という、今の先生達にも分かり易い言葉に意訳されて許可が下りた。
先だって元の文科省事務次官が「貧困女性の調査」ですと言って出会い系バー通いが通用している。
「ありがとうございます!」
杏奈は、数日たってお礼を言いに来た。
「お礼だったらメールでいいのに」
「いや、それじゃ失礼ですから」
と言ってペコリと頭を下げた。で、上げた時にはオチャメでイタズラっぽい女子高生の顔に戻っていた。
「あの、見ていただきたい写真があるんですけど」
そう言って、スマホを出して、一枚の写真を、直子に見せた。
「な……なに、これ!?」
いろんな写真を見てきた直子だが、それは思わず目を背けたくなるようなシロモノだった。
旧日本軍の軍人が、人の首を切った瞬間を捉えた写真だった……。
はるか 真田山学院高校演劇部物語・76
『第七章 ヘビーローテーション 14』
テスト開けの日曜日にリハーサルの日がやってきた。
会場校は、うちの学校から、そう遠くないOJ学院。私学の女子校だ。
設備は、我が真田山学院と比べて雲泥の差。
キャンパスや校舎はもちろんのこと、講堂を兼ねたチャペルは、ちょっとした小劇場並の設備を持っていた。
真田山学院は、乙女先生の努力で、公立としては良くできた舞台設備を持っている。調光もきくし、放送設備もいい。乙女先生はこのために放送部と演劇部の両方の顧問を兼ている。
しかし箱としての舞台まではさわれない。間口こそは十三メートルあるが、奥行きはたったの四メートル。そのくせ、舞台の高さは一メートル三十五センチもある。舞台鼻に立つと、目の高さは二メートル五十センチを超えてしまい、ちょっとおっかないぐらい。
舞台の下にパイプ椅子や、シートなどを格納する構造になっているので、大阪の公立高校はみな似たり寄ったり。体育館を兼ねているので、普段はフロアーで、バレーとかバスケが練習していてステージは使えない。
とてもお芝居ができるしろものではなく、どこの地区でも予選は、私学や、地区のホールに頼っている……というグチを、道具を搬入しながら、乙女、大橋の両先生から聞かされた。
ピノキオでもそうだったけど、かなりの学校の道具がゴツイ。たいてい二トンぐらいのトラックで持ってくる。
照明や音響も凝っていて、道具立てやシュートだけで、時間を潰してしまっている。わたしたちは通そうと思えば通せたんだけど、六曲の歌を中心に部分練習をした。
『おわかれだけど、さよならじゃない』は、リハだったけど気持ちよくやれた。
「はるか、そんなのが来てるよ」
リハを終えて家に帰ると、お母さんがパソコンを打ちながらアゴをしゃくった。
テーブルの上にA4の封筒が置かれていた。
おもてには右肩に「NOZOMI PRODUCTION」のロゴ。下のほうにアドレスがキザったらしく横文字で並んでいた。
開けてみると、A4のパンフと、ワープロの手紙。
突然の手紙で失礼いたします。先輩の吉川宏氏から、お写真と、ピノキオホールでの映像を送っていただきました。本来、吉川氏にあてられたものでしたが、あまりのすばらしさに回送してこられました。裕也君とのお約束を破ることになるとは思いますが。あなたをこのままにしておくのは、もったいなくて仕方がありません。ぜひ、下記のアドレスまでご一報くださいますようお願いいたします。
坂東はるか様
NOZOMI PURODUCTION 白羽研一(署名はインクの自筆だった)
「なによ、これは!」
「なに怒ってんの……?」
「お母さんに関係ない!」
わたしはそのまま部屋にこもった。悔しくってしかたがない。
吉川先輩……もうただの裕也だ。なにが流用しないだ。最初から流れるの分かってやったんだ。あのスットコドッコイのヒョウロクダマ!
それにホイホイいっしょになってる由香も情けない。由香だけは分かってくれていると思ったのに。あの新大阪の写メは、わたしの苦悩の果ての姿なのに。だから、だから親友だと思ったから送ったのに。
悔し涙が、鼻水といっしょに流れてきた。
ティッシュ……が無かった。
リビングまで行って鼻をかんだ。
「すごいよ、はるか。ノゾミプロもすごいけど、この白羽さんて、チーフプロデューサーだよ、チーフ!」
パソコンを検索して、お母さんがときめいた。
「いま必要なのは、ハンカチーフなの!」
「はるかぁ……」
襖をピシャリと閉めて、わたしはメールを打った。
――明日、八時十分、グー像前にきてください!
宛は、むろん裕也、クソッタレの裕也!
大塚台公園の秘密基地が完成した。
司令の話だと、もう一か月はかかるという話だったが、原宿空中戦で事情が変わった。
驚いたことに霊魔が憑依体になって出現したのだ。
憑依体は、時空の中に閉じ込められた怨念に憑依して亜空間に実体化したものだ。
魔法少女の経験から言っても、霊魔は独自に成長、変容を遂げるもので、憑依融合して別物になることはあり得ない。
霊魔の成長は足し算で、10のものが100になるには10回の足し算を経なければならない。
憑依すると掛け算になる。10のものが100になるには、一度かけるだけでいい。
怨念は百余年前、東郷提督率いる連合艦隊によって完膚なきまでに叩きのめされたバルチック艦隊だ。
イズムルードは、バルチック艦隊の二等巡洋艦。海戦に生き残ったが、ウラジオストクを目前に座礁して爆破処分されたという幸運なのか不運なのかよくわからない船だ。それが、こともあろうに東郷神社の池から出現したのだ。
このままでは、他のバルチック艦隊の艦船霊にも憑依して脅威になることはあきらかだ。
秘密閣議で決定されると、神田明神・将門の協力もあって、五日余りで完成したのだ。
掃除当番が終わると、本館一階の倉庫に急ぐ。ほら、神田明神の巫女さんが出入りに使っていた倉庫。
それを大塚公園の秘密基地にもコネクトできるようにしたのだ。
かすかにコロッケの匂い。ついさっきまで、揚げたてコロッケを食っていたやつがいる……たぶんノンコ。
調理研の三人は北斗のクルーだが、クルーとして働いているうちはポリコウ(日暮里高校)生個人の意識は眠っている。
出動前にコロッケ食うなとは言えない。
床にうっすらと流三つ巴、神田明神の紋所が浮かんでいる。
流三つ巴の真ん中に立つと、周囲の景色がスパークし、ホワイトアウト……反射的に目をつぶる。
今日は、秘密基地の完成祝賀会がある。
特務師団の母体は自衛隊なので、そういう節目のセレモニーというか祝い事は大事にする。
まあ、初日ぐらいはいいじゃないか。新秘密基地の施設や装備のあれこれを肴に、飲んで騒いで楽しもう。
知らぬこととはいえ、コロッケを食べてしまったノンコが哀れに思える。
フフフ……いや、笑っちゃかわいそうだ。
シュイーーーン
電子音がして、皮膚が刺激される。
これは、強制的にポリコウの制服が解除されて魔法少女のバトルスーツに切り替わったことを表している。
祝賀会なのだからリラックスして、いろいろ食ったり飲んだりしたいが。まあ、自衛隊なのだ、規律は大切だ。
「マヂカ、出動だ! 直ちに北斗に乗り込め!」
目の前で来栖司令が青筋を立てている!? しゅ、祝賀会は? どうなっているんだ!?
高安女子高生物語・35
〔なんで付いていかなあかんのん!?〕
なんで付いていかなあかんのん!?
思わずダイレクトに聞き返した。
明菜が、離婚旅行に付いてこいと言うてきた。
明菜のええとこは、人に接するのが前向きなこと。
普通メールで済ますことでも、ちゃんと電話してくる。
せやけど、この距離の取り方と、とんでもない切り口から切り出すのは、人によってはどん引きされる。
一昨日の「ナポレオンの結婚式の日やから合お」なんか、あとの話聞くとウィットやけど、人によったら「ケッタイなヤっちゃなあ」で、敬遠される。せやから、明菜には友達が少ない……なんや、流行りのラノベのタイトルみたいや。
ほんで、結局は、いっしょに付いていくことになった。うちも変わり者ではある。
まあ、アゴアシドヤ代持ってくれる言うんやから、離婚旅行の付き添いいうことを除けばええ話や。
目的地はハワイ……とまではいかへんけど、有馬温泉。
明菜のお父さんのセダン……左ハンドルやから外車やいうのは分かるけど、メーカーまでは分からへん。革張りのシートにサンルーフ。後部座席には専用のテレビに、バーセットまで付いてる。なんでか、うちの日常では見慣れたリアワイパーは付いてなかった。
「ああ、リアワイパーが無いのが不思議なんだね?」
お父さんが、うちの不思議を見破って、すぐに聞いてくれはった。アクセントは関西弁やけど、言葉は標準語。純粋の河内のネエチャンであるうちには、これだけで違和感。
「なんで付いてないんですか?」
かいらしく素直に聞いておく。
「国産のワンボックスなんかだと、車のお尻とリアウィンドウが近くて、泥が付きやすいんでね。セダンはお尻が長いから付いてなんだ」
「そうなんですか」
と感心してたら、前走ってる日産のセダンには付いてた。
「フフ、分かり易いけど、知ったかぶりでしょ」
お母さんが、鼻先であしろうた。
「僕のは一般論だよ。むろん例外はある。日本人にとっては、バックブザーと同じく親切というか行き届いていることのシンボルなんだね。ま、民族性といってもいい」
お父さんは、構わずに話をまとめた。
「前の車、邪魔ね。80制限の道を80で走るなんて、ばかげてる」
サービスエリアで、休憩したあと、運転をお母さんが替わって、第一声が、これだった。
「始末するか……」
ゴミを片づけるような調子で、お母さんが呟くと、ウィーンと機械音がした。明菜もなんだろうって顔をしている。
地獄へ堕ちろおおおおおおおおおおおおおおおお!!
スパイ映画の主人公みたいなことを言うと、いきなり機関銃の発射音と、衝撃、そしてスモークが車内に満ちた。お母さん以外の三人はぶったまげた。
で、前を走っていた車は……あたふたと道を譲った。
「おまえ、おれの車いじったのか?」
「離婚記念にね。大丈夫、映画用のエフェクトだから弾は出ないわ。ここ押すとね、車内だけのエフェクトになって、外には聞こえないわ。今のは若いニイチャン二人だったから、ちょっとイタズラ。まちがってもヤクザさんの車相手にやっちゃいけません」
「こういうバカっぽいとこ、好きだな」
「こんなことで、離婚考え直そうなんて、無しよ」
「それと、これとは別」
「だったら、結構」
「おかげで、時間通りに着けそうだな」
お父さんは時間を気にしているようだった……。
里奈の物語・34
『猫の恩返し・5』
伯父さんが差し出した指輪ケースの中は空っぽだった。
「確かに、うちで売ったもんやけど……」
「ケースだけじゃ意味ないわね。これはケースだけ拾たもんの悪戯やろね」
小母さんは興味を失ってヘッドルーペを外した。伯父さんは「はい」と言ってケースをあたしに渡すと仕事に戻った。
「なにか変ったとこはないんですか?」
ウズメと知り合ってからの謎が解けると期待していたので、あたしは未練がある。
「内張りが張り替えたある。オリジナルやったら、ケースだけでも5000円くらいはするねんけどな」
「悪戯か……」
ため息ついて部屋に戻った。ウズメに罪は無いんだろうけど恨めしく思える。
「エロゲでもやるか……」
拓馬に貸してもらった新作を桃子に入れる。インストールに時間が掛かる。視線が画面からケースに移る。
「あたしも未練がましい女だ」
吹っ切って画面に集中。まずはコンフィグ画面で音量を調節。ヘッドフォンで聞くので調整しておかないと鼓膜が破れかねない。
「グラフィックが綺麗……」
拓馬が貸してくれるエロゲはHの凄さよりもグラフィックやストーリーが重視のよう。もっとも拓馬が貸してくれるもの以外は、エロゲなんかやったことないけど。
今度のは援助交際ものだ。
テニス部でエースと言われた主人公が肩を痛めてテニスができなくなる。欝々とした時間が流れる中、一年で退学した女友達と街で再会。友だちは援助交際をやっているが、ホストクラブに借金がある。二日以内に十五万円を入れなければボコられる。
主人公は友だちを助けるために援助交際を始めることになる……ま、ありがちな設定。
だけどグラフィックは素敵。女の子の顔や体の表現はもちろん、背景になっている街や屋内の描写も一流のアニメを観ているよう。
「あ!」と思った。
主人公は、お得意の情報管理に二次元バーコードを使っているのだ。これなら万一捕まっても情報が漏れることはない。
「これって……」
閃いて、指輪ケースの内張りを見る。
「このマダラ模様、二次元バーコード!?」
さっそくスマホを出して写してみる。
「ん~……深読みし過ぎか」
マダラ模様からは何も読み取れなかった。
最初は嫌々やっていた援助交際、客との行為は苦痛でしかなかったけど、次第に目覚めて喜びを知るようになる。喜びを知る自分が汚い者のように思えるが、やがて、その喜びを肯定的に受け入れるようになる。顧客の男たちが喜んでくれることも生き甲斐になっていく。
むろんエロゲなんで、ご都合主義ではあるんだけど、耽美主義的にはスゴイ完成度だと思う。
ちょっと疑問に思った。
主人公は二次元バーコードで情報管理をやっているけど、こんなの見つかってクリックされれば全て分かってしまう。凄いと思った自分が浅はかに思える。
だけど違った。
主人公のバーコードは、そのままでは参考書の情報しか出てこない。
「……なるほど」
主人公は顧客と連絡をとる場合、大学の進学情報のバーコードを入力してから参考書のバーコードを読み取る。そこで初めて顧客情報に行きつくことになる。
ひょっとしたら、このケースも!?
あたしはケースを握りしめ、お店の方に向かった……。
須之内写真館・7
【チェコストーンのドレス・2】
ファインダーに写っているのは、エミーリアそのものだった……。
「あなたは……」
『杏奈の母親のエミーリアです。ちょっと時間の隙間に、ごあいさつをと……』
「日本語がお分かりに?」
『生きてるころに少しだけ。今は心でお話ししているから、言葉の壁はありません』
「杏奈ちゃんは?」
『ここは時間の隙間だから。これが閉じれば、杏奈になります』
「とてもお似合いです、そのドレス」
『ありがとう。杏奈がプラハに来たら、このドレス姿で、あの子の夢の中に現れるつもりでした』
「修学旅行は残念でした」
『ええ……でも、順がこのドレスをネットオークションで買ってくれたんで、いっしょにきちゃいました。まあ、ドレスに付いてるチェコストーンの一つぐらいに思っていてください』
「不慮の事故で亡くなられたんですよね」
『……ま、それは、今は割り切っています。時間がありません。少し直子さんにお願いがあるんだけど』
「はい、あたしで間に合うことでしたら」
『杏奈は、考える前に行動してしまう子です。どうやら、わたしに似たようで……』
「フフ、同じオーラがします」
『順は、忙しくて、その割には稼げなくって。でも杏奈は、そんなこと気にしていません。だからガールズバーのバイトも平気でやっちゃうし』
「あ、それだったら、もう辞めるように……」
『続けさせてほしいの』
「え……」
『プラハのモデルの仕事より安全……今のバイトは、杏奈にとっても役に立ちます。それを直子さんにお願いしたくて』
「……うん、分かりました。なんとかしましょう。一枚撮ってもいいですか?」
『写ればね……』
「大丈夫……」
直子は、ファインダーに程よくエミーリアをとらえ、シャッターを切った。
「ああ、ドレスって疲れる~」
杏奈が不平を言って撮影は終わった。
「ビックリするようなものが写ってるわよ」
「え……うわー、ほんと、あたしじゃないみたい!」
驚いたのは直子の方だった。写っているのは、ポーズこそエミーリアだけど、杏奈そのものだった。エミーリアはエレガントだったが、杏奈は今風の、ちょっとオチャメな笑顔。
でも、エミーリアとの会話は、直子にとって現実だった。
直子は、代々続いた江戸っ子である。義理には硬い。
「杏奈、ガールズバーのバイト続けようよ」
「え!?」
杏奈は表情筋を総動員して驚いた。
はるか 真田山学院高校演劇部物語・75
『第七章 ヘビーローテーション 13』
再びヘビーローテーションの日々が始まった。
歌もばっちり、台詞も完ぺき。感情も自然に湧いてくるようになった。
『おわかれだけど、さよならじゃない』も、新大阪での経験が生きて、カタルシスになってきた。
動きのほとんども、稽古の中で出てきた感情や、表情に合ったものに置き換わっていた。
でも、大橋先生はこう言うのだ。
「スミレとカオルが似てきてしもたなあ……」
「それって、だめなんですか?」
「人間と幽霊いう差ぁはありますけど。同じ世代同士やから、同じ感じになってきてもしゃあない……いうか、ええことちゃいます?」
「いや、やっぱり違う人格やねんから、違ごてこならあかん。だいいち時代性が出てけえへん。特にカオルなあ」
「わたしですか?」
「うん、ゼイタク言うてんねんけどな。やっぱし戦時中の女学生の匂いが欲しいな」
「匂いですか……」
「うん、ちょっとした仕草、物言い、表情とかにな。ま、もういっぺんやってみよか」
「はい」
そして、さらにヘビーローテーション。
わたしは戦時中女学生だった女流作家のエッセーや小説なんか読んでみたりした。
佐藤愛子さんや田辺聖子さんの本なんか参考になったけど、つい中味の面白さにひっぱられ……。
「アハハ」で終わってしまう。
もうコンクールの地区予選まで一ヶ月を切っていた。
わたしたちから希望してテスト中も、時間をきって稽古させてもらった。
そんな五里霧中の中、こんなことがあった。
学校で一回通しの稽古を済ませて、明日はテストの最終日、わたしがもっとも苦手とする数学がある。
ベッドにひっくり返って……以前も言ったけど、家で本を読むときは、時に他人様にお見せできない格好をしております。
もちろん頭は戦闘態勢。苦戦中ではありますが……。
上まぶたと下まぶたが講和条約を結びそう……。
鉄壁の防御を破り、y=sinθどもが足許から匍匐前進で、ベッドの下からはy=sin(θ+π/2)どもが攻め上ってくる。身体は金縛りにあったように動かない。
――ウウウ……ウ……と、わたしは苦悶の形相!
あわや、本塁を抜かれようとした、その刹那。
一匹の小さな白い狼のようなものが現れ、寄せ来る敵をバッタバッタと打ち伏せて、敵は無数のyや、θ、π、αなどに粉みじんになって消えていった。
その白いものは、人のカタチをしていた。
――マサカドクン……?
東京のホテル以来じゃないよ。大阪に来て、こんなに長いこと姿を見せないことってなかったじゃないよ。
すると、マサカドクンは少しずつ姿を変えていった。
四頭身の身体がスリムになっていき七頭身ほどになった。
そして、少しずつピントが合っていくようにあきらかになってきた……。
その姿はカオルそのものだった。
そして、何かを伝えようとしているように胸に手を当てた。
そして、何かを受け取ったような気がした……。