病気の続き,,,(12)
7月18日、大阪にある循環器病の専門病院に入院した。
家を出る時は、妙にシンミリとした気分だったのを覚えている。
後に嫁さんが言うのだが、玄関を出る時に見回していたらしい。
ネガティブになっていたから、何時帰ってこれるのか、そもそも帰ってこれるのか?と思ってた。
入院して検査を受ける。
心臓エコー、ホルター、レントゲンetc.
同室の患者さんは、拡張型心筋症などでICDの電池交換の方。
皆さん元気で前向きに生きておられた。
ICDやペースメーカーを埋め込んで、すでに15年程経つらしい。
ICDを埋め込むと確かに生活の一部に制限が出るが、それさえ注意していれば、問題ないとのこと。
スポーツも激しいものは無理だが、ゴルフや釣りなど全然問題ないそうだ。
ICDを埋めてからハンディーがシングルになったという。
入院中も夜が寝れないのは、家と同様だった。
幸いな事に比較的年齢が若く(1人は高校生だった)、夜もTVとか見ていてくれたので少し助かった。
それでも午前0時~明け方までは、辛かった。
その頃、徐脈が最高潮で一番酷い時には脈拍28ということがあった。
30前後になると頭はボーッとしているが、心臓の鼓動だけがやたらとハッキリとしている。
期外収縮は、夜間は常時起こっており、何度となく意識が遠くなり、その度にビビリ覚醒する。夜、寝ることを諦めていた。
もちろん、看護師は、「心臓モニターをズッと見ているから大丈夫」と言ってくれていたが,,,。
24日に心臓カテーテルとアブレーションの予定が決まった。
肝心の術中に不整脈が出ないと患部が分からないとのことで、2日前からテノーミンの服用をストップした。
カテーテルは、足の付け根からリード線を入れて血管の中を心臓まで通していく。
もちろん映像では見えない。
不整脈を起こして、カテーテルの先につけた電極で不整脈を起こしている患部を特定するのである。
不整脈が出なければ、徒労に帰す。だから、不整脈を抑える薬を止めたのだ。
理屈では分かっているが、なかなか恐怖である。努めてゆっくりと行動する。
顔を洗っていた時だったと思う。
突然、「ドドドドドッ」と早いタイプの不整脈が出た。
薬を飲み始めてから出ていなかった心室頻拍だ。
冗談ではなく、その場で崩れ落ちるほどにビックリしたし、泣き叫びそうだった。
よろよろとベッドに戻ると血相を変えて看護師が来た。
体に8箇所(だったと思う)の電極を着けて心電図を取ろうとしたが、3分ほどで心室頻拍は治まった。
不整脈を抑える薬をWebで調べると副作用に「不整脈」とあるものがある。
「恐ろしい不整脈」を抑えるために「問題の少ない不整脈」が起きやすくなるのだろう。
薬を飲み続けて、私はすっかりと不整脈が起きやすくなったようだ。
少し歩けば、ドドドドッと来る。
トイレはもちろん、洗面や食器を返しに行くのも勇気がいった。
最終的には、起き上がるだけで心室頻拍が出るほどにまでなっていた。
それでもなんとか、失神もせずに24日を迎えた。
午前8時半頃に処置室に入って、午後3時半に病室に帰ることができた。
約7時間、とてもとても長かった。
カテーテルが心臓まで入って、電気や薬品などで不整脈が起こされる。
すべて管理下にあるとは言え、不安は大きい。
意識もあるから医者の会話も理解できるし、ちょくちょく話しかけられる。
「今から不整脈を起こす薬を入れます」とか、
「もう少し下とちゃうか」とか、
「そこよりさっきの所のほうが近い」とかなんとか,,,。
私に出来ることとを言えば、祈ることぐらい。
腕も動かすことが出来ないので、鼻の頭をかいてもらったり、喉が渇いたので唇を濡らしてもらったり,,,。
途中、心室頻拍が起こった状態で30分ほど放置された。一切の処置などせずにだ。
聞いても「コレは自然に出たものです」と言うぐらいで、何もしてくれない。
今思うとアレは、私が心室頻拍を起こし続けている状態で、失神するかどうかを見ていたのではないだろうか。
事前の診察中に「もしアブレーションに失敗しても、ICDを埋める必要は無いと思う」と言われていたが、何に基づいて判断するのだろう?と不思議に思っていた。
恐らく心室頻拍が起こり続けている状態で私が失神すれば、アブレーションに失敗したらICDが必要になる可能性が高いと言うことだろう。
幸い30分近くの放置プレイにも耐え抜いた。
私の不整脈は原因となる患部は2箇所あり、うち1つは左心室の心臓弁にあったらしい。
そこを特定するのに時間が掛かった。
それに1箇所焼いてから2箇所目がなかなか特定できずに、非常に焦ったのを覚えている。
アブレーションが終わってからも様々なテストで不整脈を起こされたので、その度に「失敗!?」とビビリまくっていた。
医者は、成功とも失敗とも言ってくれないのだ。
やがて最後のテストが終わって、「大丈夫!成功したから」と聞かされた時は嬉しかった。
なんか、やたらと「ありがとうございます」を連発していたように思う。
圧迫止血を施し、部屋に戻ると家族が待っていてくれたよ。
7月18日、大阪にある循環器病の専門病院に入院した。
家を出る時は、妙にシンミリとした気分だったのを覚えている。
後に嫁さんが言うのだが、玄関を出る時に見回していたらしい。
ネガティブになっていたから、何時帰ってこれるのか、そもそも帰ってこれるのか?と思ってた。
入院して検査を受ける。
心臓エコー、ホルター、レントゲンetc.
同室の患者さんは、拡張型心筋症などでICDの電池交換の方。
皆さん元気で前向きに生きておられた。
ICDやペースメーカーを埋め込んで、すでに15年程経つらしい。
ICDを埋め込むと確かに生活の一部に制限が出るが、それさえ注意していれば、問題ないとのこと。
スポーツも激しいものは無理だが、ゴルフや釣りなど全然問題ないそうだ。
ICDを埋めてからハンディーがシングルになったという。
入院中も夜が寝れないのは、家と同様だった。
幸いな事に比較的年齢が若く(1人は高校生だった)、夜もTVとか見ていてくれたので少し助かった。
それでも午前0時~明け方までは、辛かった。
その頃、徐脈が最高潮で一番酷い時には脈拍28ということがあった。
30前後になると頭はボーッとしているが、心臓の鼓動だけがやたらとハッキリとしている。
期外収縮は、夜間は常時起こっており、何度となく意識が遠くなり、その度にビビリ覚醒する。夜、寝ることを諦めていた。
もちろん、看護師は、「心臓モニターをズッと見ているから大丈夫」と言ってくれていたが,,,。
24日に心臓カテーテルとアブレーションの予定が決まった。
肝心の術中に不整脈が出ないと患部が分からないとのことで、2日前からテノーミンの服用をストップした。
カテーテルは、足の付け根からリード線を入れて血管の中を心臓まで通していく。
もちろん映像では見えない。
不整脈を起こして、カテーテルの先につけた電極で不整脈を起こしている患部を特定するのである。
不整脈が出なければ、徒労に帰す。だから、不整脈を抑える薬を止めたのだ。
理屈では分かっているが、なかなか恐怖である。努めてゆっくりと行動する。
顔を洗っていた時だったと思う。
突然、「ドドドドドッ」と早いタイプの不整脈が出た。
薬を飲み始めてから出ていなかった心室頻拍だ。
冗談ではなく、その場で崩れ落ちるほどにビックリしたし、泣き叫びそうだった。
よろよろとベッドに戻ると血相を変えて看護師が来た。
体に8箇所(だったと思う)の電極を着けて心電図を取ろうとしたが、3分ほどで心室頻拍は治まった。
不整脈を抑える薬をWebで調べると副作用に「不整脈」とあるものがある。
「恐ろしい不整脈」を抑えるために「問題の少ない不整脈」が起きやすくなるのだろう。
薬を飲み続けて、私はすっかりと不整脈が起きやすくなったようだ。
少し歩けば、ドドドドッと来る。
トイレはもちろん、洗面や食器を返しに行くのも勇気がいった。
最終的には、起き上がるだけで心室頻拍が出るほどにまでなっていた。
それでもなんとか、失神もせずに24日を迎えた。
午前8時半頃に処置室に入って、午後3時半に病室に帰ることができた。
約7時間、とてもとても長かった。
カテーテルが心臓まで入って、電気や薬品などで不整脈が起こされる。
すべて管理下にあるとは言え、不安は大きい。
意識もあるから医者の会話も理解できるし、ちょくちょく話しかけられる。
「今から不整脈を起こす薬を入れます」とか、
「もう少し下とちゃうか」とか、
「そこよりさっきの所のほうが近い」とかなんとか,,,。
私に出来ることとを言えば、祈ることぐらい。
腕も動かすことが出来ないので、鼻の頭をかいてもらったり、喉が渇いたので唇を濡らしてもらったり,,,。
途中、心室頻拍が起こった状態で30分ほど放置された。一切の処置などせずにだ。
聞いても「コレは自然に出たものです」と言うぐらいで、何もしてくれない。
今思うとアレは、私が心室頻拍を起こし続けている状態で、失神するかどうかを見ていたのではないだろうか。
事前の診察中に「もしアブレーションに失敗しても、ICDを埋める必要は無いと思う」と言われていたが、何に基づいて判断するのだろう?と不思議に思っていた。
恐らく心室頻拍が起こり続けている状態で私が失神すれば、アブレーションに失敗したらICDが必要になる可能性が高いと言うことだろう。
幸い30分近くの放置プレイにも耐え抜いた。
私の不整脈は原因となる患部は2箇所あり、うち1つは左心室の心臓弁にあったらしい。
そこを特定するのに時間が掛かった。
それに1箇所焼いてから2箇所目がなかなか特定できずに、非常に焦ったのを覚えている。
アブレーションが終わってからも様々なテストで不整脈を起こされたので、その度に「失敗!?」とビビリまくっていた。
医者は、成功とも失敗とも言ってくれないのだ。
やがて最後のテストが終わって、「大丈夫!成功したから」と聞かされた時は嬉しかった。
なんか、やたらと「ありがとうございます」を連発していたように思う。
圧迫止血を施し、部屋に戻ると家族が待っていてくれたよ。
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