元高校教師のブログ[since2007/06/27]

地元仲間とのウォーキング、ハイキング、サイクリング、旅行の写真入報告。エッセイや意見も。

『もしもし 私です』

2007-11-10 05:04:45 | 我が未刊詩集『蝉の死と』より
人の気配もない 奥多摩の山の中 
長いけもの道を くねくねと続く薮トンネルを
這うようにくぐり抜けてきて ぽっかり開けた視界 
その斜面に
稜線を背にして 私は座わっている
ときは晩秋 空は限りなく青い

と ざわざわっと 音がして
色とりどりの熱帯魚のように
木の葉が 私の右手から 左から
群れをなして 谷底目指して舞っていく

ざわざわ かさこそ 時には ひゅうひゅうっと
あとから あとから 風が魚群を連れて行ってしまう
私は魚にしてくれないのですか
私もここにいますよ
もしもし 私です --もしもし 聞こえますか

風はブナやカエデの梢を揺らしはするが
私の身体の中を吹き抜けてはくれない

東京都江戸川区小岩町 --そこが私のふるさと
腐った水草が分厚く覆って 
乗るとふわふわとして すぐ水が滲み出てくる あの沼
牧野博士が見つけた タヌキ藻のふるさと 
オニヤンマ、蛇、食用蛙の住む処
ときには 人間の子供をのみ込んだ 
あの「ふわふわ池」 --今は もう無い。
とおの昔に埋め立てられ アパートが密集している

はり巡らされた細い水路、稲田、蓮田、池また池に
冬  氷の下で ザリガニたちが掘った穴の中で眠っている
春  メダガ、オタマジャクシ 蛙の大合唱
夏  子供達が入って遊び 夜は蛍飛び交い
秋  黄金色に揺れる穂波 赤トンボの乱舞
あの六軒島 --今は もう無い。
とおの昔に埋め立てられ マンションが林立している

小松菜のふるさと・小松川
釣り糸を垂れれば クチボソ・鮒らの入れ食い
小舟浮かび 水鳥が群れ遊んだ 小川
その川沿いの土の道を 自転車で通った高校時代
その小川も 今は 下水と化した

きらきら輝く真昼の空から B29が爆弾を落としても
池は その形を少し変えただけ
サーチライトに照らされて
真夜中の空から B29が焼夷弾を落としても
ローソクを灯した連凧のように 揺れながら落ちてきて
たんぼの面を焦がしただけ

そのように 大戦の過酷な試練にも耐えたというのに
私の生まれ育ったところは
いつのまにか どこかで 狂ってしまった

ひゅう がさがさ かさこそ
その音に ふと 我にかえる
あとから あとから 木の葉が舞って行く
赤や黄や土色の紙吹雪となって
右から 左から
渦を巻きながら 谷底目指して舞っていく
おぅい 私も...
もしもし 私です  私で-す
もしもし 聞こえますか

*"Something is telling me, I must go home."
--But where?
私の帰る場所はありません
ふるさとは とおの昔に消え失せました

*「帰りなん いざ 田園まさに 荒れんとす」
--いいえ 手遅れです 
もう 修復不可能です

ひゅう ひゅう
あとから あとから 木の葉が舞って行く
右からも 左からも
谷底目指して舞っていく 勝手に舞って行く
もしもし 私です
私です   私です
みなさぁ-ん 私です

だぁれもいない 山の中 
木枯らし小僧があばれてる 

 
(注:2ヶ所の引用フレーズは、前者がビージーズのカントリー調ヒット曲『マサチューセッツ』、後者は陶淵明の『帰去来の辞』より。)



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