{下野の 三毳の山の小楢のす まぐはし児ろは 誰が笥か 持たむ}
之母都家野-美可母乃夜麻能-許奈良能須-麻具波思兒呂波-多賀家可母多牟
万葉仮名というのは、古代の日本語を表わすために一音にたいして一字の漢字を充てた文字だという。便宜上、音声を文字に代用したのだから、充てられた漢字自体には意味がないと言う人と、いやいや、ちゃんと意味があるのだと言う人もいる。
後者に関しては、残念ながら知識がないので、ひとまず、前者に従わせてもらう。そうすると、問題になるのは、①許奈良能須 ②麻具波思 ③兒呂波 ④持たむ の4箇所で、他の箇所は問題なかろう。もっとも、美可母乃夜麻が我々が登った山のことか、それとも岩舟山など、他の山を指すのかどうかは、わからない。
この 作者未詳(東歌) 万葉集 巻14-3424東歌に対して、どこかの教育委員会の解釈として、以下の意味が通説として流布されているようだ。
{下野の三毳山のコナラの木 のように かわいらしい娘は、だれのお椀を持つのかな(だれと結婚するのかな)}
→「下野の 三毳の山の小楢 ノス まぐはし児ろは 誰が笥か 持たむ」
小楢のす→[小楢] ノス(のように)。まぐはし→かわいらしい。児ろ→娘。
持たむ→未来のこととしている。
*「可愛い」を表現するのに、「ドングリの樹のように可愛らしい娘」と言うのだろうか?
コナラのコを利用して、「コナラの若木」なんていうのは、こじ付けもいいとこ。
私の解釈→{下野の三毳山にある コナラの古木の傍の岩穴で 愛し合ったあの娘*は、
今は、一体どんな男にご飯を盛るのだろうか}
→「下野の 三毳の山の古楢の巣 媾合し児ろは 誰が笥か 持たむ」
*現代は一夫一妻制だが、昔は、同じ家に住まず通い婚で、相手も一人とは限らない。
古代の男女関係は、おおらかであったのだろう。つまり今は、ご飯を盛る相手が、
そのときの夫かも知れないし、そうでないかも知れないのだ。
①許奈良能須;「大きなナラの樹の近くの場所」。許奈良→コナラの樹、或いは古いナラ
の樹。能→の。須→巣(小屋か岩穴の類であろう)
②麻具波思;「まぐわう」は高校の古典で習う語だが、「愛し合った」としておこう。
③兒呂;兒ろ→人妻
④持たむ→未来ではなく、現在の(この歌の作者の)想像・想い。
【参考万葉歌】
(a) 家にあらば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る (有間皇子)
家有者→最初のは「家にあらば」 笥(ケ)→ご飯を入れる御椀
(b) 勝鹿の 真間の井見れば 立ち平し水汲ましけむ 手兒名し思ほゆ(高橋虫麻呂)
万葉の時代には、手古奈伝説はすでに遠い昔の話だと分かる。手古奈の時代の
男女関係は、虫麻呂の時代より更におおらかであったと推測される。
(c) 茜さす 紫野行き標野行き 野守は見ずや 君が袖振る(額田王)
天皇の妻でさえ、このような状況である。まして庶民の男女関係は、押して知るべし。