今日は2020年2月29日潤年です。
2回目の潤年を迎えています、あれから8年の歳月が経過したのですね。
57歳のあの日、22年間働いた太田川学園を解雇されて去らなければならなかった、あの日。
いつかは「解雇も」あるかも、と想定内と捉えていた私の「真実」を、
誰よりも認知していた理事長が
当時の私の職場である洗濯等に、午後5時過ぎに現れたあの時のことは、忘れられない。
「まだおったんか?」との一言の響きに、
大きくなった組織の謂われない力と、一部の権力崇拝者に対しての贖いようのない悲哀を、
直感的に感じたことを、今でも覚えている。
あの時の理事長は、今では、90歳を軽く超えているが健在だろうか?
65歳になった私は今、福祉労働者の権利擁護を通して、弱者の側に立つ者として、
果たすべき役割を、いまだ模索している。
2回目の潤年を迎えています、あれから8年の歳月が経過したのですね。
57歳のあの日、22年間働いた太田川学園を解雇されて去らなければならなかった、あの日。
いつかは「解雇も」あるかも、と想定内と捉えていた私の「真実」を、
誰よりも認知していた理事長が
当時の私の職場である洗濯等に、午後5時過ぎに現れたあの時のことは、忘れられない。
「まだおったんか?」との一言の響きに、
大きくなった組織の謂われない力と、一部の権力崇拝者に対しての贖いようのない悲哀を、
直感的に感じたことを、今でも覚えている。
あの時の理事長は、今では、90歳を軽く超えているが健在だろうか?
65歳になった私は今、福祉労働者の権利擁護を通して、弱者の側に立つ者として、
果たすべき役割を、いまだ模索している。