(溶岩流の爪あと鎌原観音堂)
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先月末に北軽井沢から嬬恋地区をドライブした折、鎌原観音堂を訪れた。
ご存知の方も多いと思うが、ここは天明三年の浅間山大噴火によって溶岩流が押し寄せ、階段の一部を残して呑み込まれた場所である。
画像に見える赤い欄干の橋から上が、辛うじて埋没を免れた。
次の画像にある立て札に、当時の様子が詳しく説明されている。
文字が見えないだろうし、さてどうしたものかと考えたところ、最近複数画像がアップできる機能を獲得したので、使ってみることにした。
果たして、これで見えるかどうか。
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やっぱり読めないので、概略を記してみる。
<天明三年(1783年)5月からはじまった浅間山の噴火は、8月になって火口から岩塊を噴き上げ、山麓に落下した。
灼熱の溶岩流は、付近の土石を巻き込み、雪崩のように斜面を流れ落ちた。
その際、山麓の中心的な集落だった鎌原地区が一気に呑み込まれた。
村は戸数100戸、人口570人前後といわれ、家はほとんどが埋没、死者477人、生存者はわずか93人だったといわれている。
昭和54年に発掘調査が行なわれ、観音堂の50段あった階段のうち35段が埋まったことがわかった。
土石層の厚さは6メートル、その際2名の被災者が発見された>
母親を背負って逃げようとした娘さんだったと記憶するが、あるいは間違いかもしれない。
新聞かラジオの覚えがあるが、今その現場に立ったことで、複雑な思いをしている。
その惨状は観音堂の立札でしか知る由もないでしょうが、大変なことだったと分かります。
この「歴史散歩」シリーズで、いろんなことを教えられます。
ネタには事欠かないでしょうから、時折よろしく!
(自然児)様、コメントありがとうございます。お礼をと思っているうちに、伊豆半島で不気味な揺れ、心配です。
しばらくして収まるのでしょうが、こうした繰り返しの後にドカンと来るのも自然災害の特質です。まあ、覚悟だけはしておきましょう。
こういう現場に立ってみると、私たち人間は偉そうなことをほざいていますが、地球を大きな饅頭とすればその薄い皮の上に乗っかって辛うじて生きているに過ぎないことをつくづく思い知らされますね。
明日から反省して、もっと謙虚に生きようかな。
エッ、ウソつけですって。すいません。
一晩寝るとすぐ忘れるんだから。
救い難いナー。
(知恵熱おやじ)様、オッチャンも一晩寝たらすぐに忘れました。
事が起きるまでは、太平楽です。
コメントありがとうございました。