民話収集家の松谷みよ子さんが、意を決して著わした『現代民話考』(12巻)という本の最初の1巻だけ買ってあったので読み返してみた。
さっそく紹介したいのだが、まずは先達の歴史学者色川大吉氏の推薦文から引用させていただく。
<いつか誰かがやらなくてはならない仕事だと思っていた。その重要性は心ある人が思い続けていたものだが、その重量に圧倒されて、手を着けかねていた。現代の民俗、現代の民話の全体像を見渡す難事業である。それに松谷さんがとうとう手を着けられた。「深く暗い民族の秘部」におのおきながらあえてその全姿を私心をまじえず提出された。現代の「遠野物語」とはこういうものであろう。「戦争」と「近代化」という全国民を揺さぶった二大契機が、日常性の底に沈んでいた民衆の心意現象を表出させた。それに形を与えた著者たちの偉業に敬意を表する。>
著者たち――というのは、まとめた松谷さんの他に、根気よく収集し報告した多くの同好の士のことを指しているのだろう。
では、本編から読者の特権を使って「名作いいとこ取り」をやっていきたい。
<第三章「神かくし考」から>
私が神かくしの話を初めて聞いたのは昭和二十八年だったか、結核で入院しているときであった。
同室の江藤鈴子さんが小学校六年のとき、修学旅行の帰りに友達の姿が見えなくなった。神かくしにあったといって探しまわったがみつからず、翌日川向こうのお宮にいたという。
冬のさなか川を渡り歩きまわったのに風邪一つひかず、何かにとり憑かれた様子だった。人びとは狐の仕業かといったという。
この鈴子さんという人は生来の語り手で幼い日をよく記憶しており、大分でのさまざまの出来事のなかにこの話はあった。
小さなお宮のなかの暗さ、かやせかやせと呼ぶ声、鉦の音もまじっていたろうか。ベッドで目を閉じると風景が浮かんで私はおびえた。
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