オニユリ
(城跡ほっつき歩記)より
たったいま
井岡一翔とアストン・バリクテの
世界タイトルマッチを見終わったところだ
すごいなあ この男 顔も無傷だし
ボクシングで勝利するということは
パンチ スピード ブレインが必要と
誰かが言ったような言わなかったような
原田も具志堅も凄かったが井岡はスマートだ
おいおい いつまで続けるんだボクシング談義
温室育ちのオニユリくんの出番じゃあるまい
なに? 何代も受け継いだ血の系譜があるってか
ボクシングだけではなく プロレスも好きなのか
タイガー・ジェット・シン対アントニオ猪木
そんな試合まで覚えているのか
先代の先代のオニユリが窓ガラス越しに見たのか
その記憶がぶるぶる花弁を震わすんだな
そうかそうか オジサンにもわかるよ
オニユリのことタイガー・リリーともいうからね
鬼が強いか それとも虎か
猪木かタイガー・ジェット・シンか どっちだ
オジサン 晩酌で少し酔ってるかなあ
オニユリくんを見てると血が騒ぐんだよ
力道山やルー・テーズのこと思い出すし
ジャイアント馬場やアブドラ・ザ・ブッチャーのことも
やれやれ 興奮が冷めたらまた演歌でも聴こうっと
中の島ブルースよォ~が 頭からはなれないぞ~
オニユリくんの禍々しい姿も強烈だけど
木下あきらの歌声も強烈だぞ
特別の感慨があったのではないでしょうか。
ぼくもまんざら縁のない場所ではないので、懐かしかったです。
貴ブログを見て、石川啄木が短い命を燃やした切実な足跡を感じることができました。
庭のオニユリ、もうすぐですね。
それがふさわしいか、的外れか、いろいろ誤解が生じたりもするわけですね。
だけど、いったんイメージがついてしまうとその名前に支配されてしまうということでしょうか。
言葉は便利だけど厄介なもの・・・・。
う~ん、むずかしいな。
~~~~~~~~~~~~石川啄木の歌啄木が夭折した年頃、ぼくは茗荷谷の印刷会社で働いていました。
なつかしい。~~~~~~~~~~~~わたしも大手町に勤めていた頃、メトロ丸の内線が縁で結婚しました。沿線茗荷谷は思い出の場所でもあります。
啄木終焉の地を訪ねるのも50数年前の茗渓会館がどう変わっているのかが動機にありました。
言葉を持ってしま田がゆえに、人類はそうやって付けられた名前や事柄の呼び方にに支配されて、思わぬ受け止めをしてしまい、道を誤ることが珍しくありませんね。
考えてみると実におかしな現象ですが、言葉という便利を獲得した罪の一面であるのかも・・・・