<河童考>つづき
<田の神が山に入って山の神となり、再び里へ降って田の神となるという信仰と、河童の伝承はなんとよく重なることだろう。この伝承は九州に多いが、秋田の昔話に爺さんが山で火を焚いて河童をあたためてやる話があって、東北の河童も山へ入るのである。秋田の話の中では、冬山の河童もやはり河童と呼ばれているが、九州では冬、山に入るとヤマワロなどと呼び名も変わる。このヤマワロについては、もう十余年前熊本を訪れたとき、亡き丸山学氏からいただいた資料の中に数多く掲載されていて、一つひとつは短い話ながら、山に働く人々とヤマワロの交流に目をみはった。
そのヤマワロの話を昨年、阿蘇の宿で直に聞く機会を得た。話者は白石忍冬花氏である。木挽きの吉さんが山に入って小屋掛けし、さて寝ようとするとホイ、ホイ、ホイ、ホイと奇妙なかけ声が聞こえてくる。やがて小屋の屋根をなにものかが通っていく。あ、しもた、これはヤマワロたい。ここはヤマワロの通り道じゃったと山の神様に灯明をあげ一心に拝んでようやく難を避け、早々に小屋をたたんで逃げ帰った話などは、ずでに私には親しい話であったが、それだけに確かめ得た喜びがあった。
白石氏の話はさらに氏が七、八歳の頃、隣の又さんが河童と相撲をとった話になりさらに奇怪な火の玉の話になる。そもそも河童とは何物であるかを考えさせられた話であった。
では、河童とはなにものであろうか。日本人ならおおかたの人が、ああ河童ならと一つや二つ、その特性をいうことができるほど私どもにとっては親しい水界の妖怪である。
戦後和歌山を探訪した折、河童は大きなすっぽんで子供を抱いて水底へひきこむのだと教えられた。かわうそという人もいる。水鳥だという人もいる。実在の動物や鳥に託すことで、なるほどとうなずく部分もできるが、それだけではすべて解決とは参らない。背に甲羅、ざんばら髪で頭に皿が載っており、その皿に水ある間は力がある。だからもし河童が相撲をとろうといったらおじぎをして、皿の水をこぼさせるとよい。河童の腕は一本につながっているが、これは名人の大工が人形をつくって、造成の手伝いをさせたあと、川へ投げ込んだからだなどともいう。また河童は人間や馬のキモや尻子玉が好きで抜こうと狙っている。河童は鉄を忌み仏飯や人間の唾液を嫌い、キュウリが好きだ。いやキュウリも嫌いだとか、・・・・にぎやかなのである。
北海道にも河童はいて、ミンツチとかミンツチサニとかいうそうな。湖や川に棲む半人半獣の霊物でルロカリベツ(十勝川の古名)に住む美女の許へ婿入りした話もある。九州の河童がヤマワロになることを前に記したが、興味深いのは奄美や沖縄の河童で、ケンムン・ブナガヤ・キジムナーなどがそれといわれている。しかし山代善光氏が1982年に上梓された『ブナガヤ』は、ブナガヤを実在のものとして証言を集めている。実は山代氏のお許しを得てこの集成のなかにも要約を入れさせていただいており、日本民話の会の新城真恵氏からはすでに聞書きも寄せられている。どうか目をとめていただきたいと思う。もっとも河童を見たという証言は各地にわたっており、併せてみることによって、なにかが浮かんでくるかもしれないのである。>
(つづく)
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