シュウメイギク
(ウェブ画像)より
いつからシュウメイギクという単語が気になりだしたのだろう
国際スパイ組織の男がぼくの耳に吹き込んだ暗号だったとすれば
たぶんチューリッヒの空港ロビーで近づいてきた早口の旅行者だ
何が目的でぼくのような東洋の青年に寄ってきたのかわからないが
夏にふさわしい青いジャケットを身に着けていたのが印象的だった
お金を要求したのではないことは確かだ
限度内のトラベラーズチェックとわずかなドル紙幣しか持たないぼくに
ご丁寧にもサギやまやかしを仕掛けるはずもないだろう
だからどこか有名なハイテク企業の技術者と間違えて
マイクロフィルムの受け渡しを確認しようとしたのかもしれない
シュー(ズ) シュー(ズ) メイキ(ン)グ ・・・・とでも言ったのだろうか
もとより意味を成さない理解不能の発語だったが
ぼくの耳は空港の冷ややかな空気の中で男の言葉を聞き取ろうとして
シュウメイギクという日本語の単語に置き換えたのかもしれない
ただぼくは当時それが植物の名称だとは知らなかったのだが・・・・
スイスへのパック旅行から帰国してもう40年が過ぎたが
いまだにシューシューと口元をすぼめた男の意図も
シュウメイギクと勝手に聞き取ったことばの意味も解明できていない
ツェルマットまで下ってきた放牧牛の角のように脳に刺さった黒い影が
カウベルの音とともに解読できない暗号文を思い起こさせるのだ
シュウメイギクとは秋明菊のことと翻訳しても間違いないのだろうか
夏の終わりのユングフラウにはエーデルワイスの花が痕跡を残し
ロープウェイの下ではたくさんのマーモットが意味ありげに首をもたげていたが
ぼくが受け取った雪の結晶のような語感だけはますます混迷をもたらす
みなそれぞれに身分を明かしているというのに・・・・この暗号だけは・・・・
レマン湖も氷河特急も季節とともに遠ざかっていくが
グリンデルワルトの山頂駅から徒歩で下った靴の感触は忘れられない
青々と足元をはずませる牧草地の風の爽やかさも懐かしい
中腹で立ち寄った山小屋風の休憩所でコーヒーカップの裏を覗いてみたが
新たな暗号指令を見つけることはなかった
シュウメイギクよ これからも謎をかかえて生きろというのか
疲れ果てて秋明菊と書き換える日が来ないとは言えないけれど
シュウメイキング・・・・と耳の奥に吹き込まれたカスレた空気音が
解読できるまでは別の表記を許さないと抵抗するのだ
風の通る縁側でぼくはいつの間にか眠りこみ小さな咳をしていたようだ
(2018/07/06より再掲)
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