どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

(超短編シリーズ)46 『小鳥の涙』

2011-03-09 03:05:49 | 短編小説

      (小鳥の涙)

 ある日、訪ねてきた客人に堀口が言った。
「ぼくがヒヨドリのヒナを助けたことは、いつか教えたよね?」
「うん、二階の戸袋を壊して救い出したと言ってたな」
「そうなんだよ、物置代わりに使っていた部屋に入ったところ、壁の近くから小鳥の声がするもんで、覗いてみたのが騒動の始まりさ」
「それにしても、よく決断したものだな・・・・」
「いま思い返してみると、いくらボロ屋でもよくやったよな」
「ほんと、ほんと」
「でも、ヒナの声を聴いちゃあ、そのまま放置しておけないぜ」
 堀口は、その時の状況を振り返り、自分の心境を客人に説明した。

 
 季節は夏の初めだった。
 住宅地の多くの家に庭木があるせいか、小鳥が追いかけっこをするように飛び回っていた。
 クルマを家の前の路上に置いておくと、ペンキのような糞をかけられることもしばしばだった。
 フロントガラスに貼りついた糞を拭きとりながら、ブツクサ文句を言ったことも一度や二度ではない。
「クソ、あいつら・・・・」
 ヒヨドリと決まったものではない。
 ムクドリもいれば、カラスもいる。
 少なくなったとはいえ、スズメやハトだって姿を見かけるのだから、犯人を決めつけるわけにはいかないのだ。
 しかし、この季節はヒヨドリの数が圧倒的に多く、電線の上には集団で留まっている。
 近くに生産緑地があり、一面に樹木の苗が植わっているものだから、虫を狙っていっせいに舞い降りることもある。
 餌があるうえ、カラスがいない時間帯もあるから、子育てには絶好なのかもしれない。
「巣を作るのに、戸袋は最適の場所というわけか」
 客人が嬉しそうに笑った。
「・・・・ぼくが戸の裏側から藁や小枝を引き出している間、親鳥はピヨとも鳴かなかったぜ」
「まあ、固唾を飲んでいたというところだな」
「ヒナ鳥だけは鳴きつづけで、そのくせ懐中電灯をつけて覗いても発見できないんだ」
「焦ったろう?」
「いったん部屋に戻って確かめると、むしろ板壁の内側で声がするんだ」
「なるほど」
「それで、マイナスドライバーを取ってきて戸袋の中の仕切り板を剥がしたってわけ」
 堀口は、実際を再現するように左手でその時の動作を真似て見せた。


「それで、ヒナ鳥はすぐに出てきたの?」
「うん、板壁の底でピーピー鳴く姿が見えたけど、硝子戸を閉めて自力で出てくるのを見守ったんだ」
「ほう」
「そうしたら、何羽ものヒヨドリが近くの樹に飛んできて、励ますように鳴き交わすんだ」
 堀口は、花ざくろの枝を揺するように全身の力で呼び掛ける鳥の姿を目撃し、まちがいなく親だと直感した。
「ぼくは急いでカメラを取りに行った。たぶん間に合わないだろうと思ったんだが・・・・」
「ヒナがよちよち出てきたところを、パチリですか」
「そう、その画像が見てもらったやつだよ」
「図体だけは結構でかいんだね」
「そうなんだよ、親と大して違わないくらいだ」
 堀口は、戸袋から敷居に出てきたヒナ鳥の姿を、目に浮かべていた。
 近くで、二三羽のヒヨドリが激しく声を張り上げた。
 バタバタと隣のミモザの樹に移動して、ヒナを誘導するように励ました。
 ヒナ鳥が飛び立つまでに、いくばくの時が過ぎたろう。
 ほんの一、二分だった気がするのだが、正確なことはわからない。
 ミモザの枝が揺れて、ひと塊りになったヒヨドリはどこかへ飛んで行った。
 親鳥と、先に巣立った兄弟たちが迎えに来て、めでたく家族が一つになれたのだろう。
「そうか、ヒヨドリは君に感謝感謝だね」
「後日談を聞きたいか?」
「えっ、そんなのあるのか」
「信じるか信じないかは知らんがな・・・・」


 翌日、堀口が裏の車庫に回ると、なにやら生産緑地の上で鳥の声がする。
 見上げると、電線の上から、こちらを向いて鳴き掛ける数羽のヒヨドリがいた。
 彼はとっさに手を挙げた。
 まさかと思ったが、等間隔で並んだ鳥の姿が昨日助けたヒナの一家のように感じられたのだ。
 (むかし話じゃあるまいに・・・・)
 ちょっと熱いものが胸元をかすめた。
 堀口は運転席におさまり、車庫から路上に乗り出した。
 上空を見上げると、さっきまでこちらを向いていたヒヨドリたちは、もう尻を向けている。
 挨拶は済んだというのだろうか。
 一日中ほんわかした気分で、仕事を終えた。
「ふーん、そんなこともあるか」
「どう思うか人さまざまだが、ぼくはヒヨドリが呼びかけたと信じているよ」
「鶴の恩返しって話もあるからな」
「うん、その後クルマに糞をかけられることもなくなったし・・・・」
「へえ、君のやさしさがヒヨドリ一家に通じたってわけだな」
 言われたとたんに、羞恥心がもやもやと湧きおこってきた。


 この日は女房が主婦仲間と温泉旅行に行っていて、久しぶりに自由だった。
 たまたま客人がやってきたというより、前夜電話して呼び寄せておいたのだ。
 いまどき貴重な碁敵で、昼からやってきて三局打ち終えたところだった。
「きみ、今日は遅くなってもいいんだろう?」
 三本目のビールを冷蔵庫から出してきて、友のグラスに注ぎ足した。
 つまみの乾きものも、袋から補充した。
「いや、そうそう羽根を伸ばしているわけにもいかんさ」
 客人は、堀口に惜敗した陣地を、名残惜しそうに眺めている。
「・・・・一目半足りなかったか」
 悔しさが、呟きとなってこみ上げてきたようだ。
「まあ、そういうなよ。最後のところは、どっちへ転んでも不思議のない局面だったんだから」
「情けをかけられるよりマシか・・・・」
「いったん休憩しよう。これから海草サラダとカレーを作るから、せめて晩飯ぐらい食って行けよ」
「じゃあ、そうするか。それに、負け越しでは帰れないからな」
 客人は、脱ぎ捨てた上着のポケットからタバコを取り出して火をつけた。


 堀口は、きょう一日の残り時間を意識していた。
 気の置けない友と、充実した時を共有している。
 もう帰らなくちゃと言いながら、客人は十一時過ぎまで碁を打つことになるだろう。
 あと三時間半は、誰にも邪魔されない宝物のような時間だ。
 ときどきビールを飲みながら、座椅子によりかかったり前かがみになったり、好きな姿勢で二人の世界を構築することができる。
 広く盤面を見渡し、やおら一点に集中して相手の思惑と切り結ぶ快感は何ものにも代えがたい。
 尿意を催し、トイレに向かいながらも自分の世界を引き連れていく。
 残りの人生で、あと何回このような至福の時を持つことができるだろう。
 だらだらと時間を浪費する女どもにはわからない、男ならではの有難みの認識だった。
「ぼくは、別にやさしい男じゃないんだよ」
 堀口は、拙い手を打った友にぼそりと声をかけた。
「ふん、ヒヨドリのことか・・・・」
 客人は、顔も上げずに盤上を眺めている。
「ああ、それもある」
 堀口は、隅で囲う白の陣地内に急所の一撃を放った。
「チッ、渡りが見合いか」
「人間てえヤツは、そのときどきに都合のいい解釈をするだけかもしれない。鳥が呼びかけたと思ったのも、自分の行為を美化する心理とちがうか」
「・・・・」
 客人は、己の陣地内での黒の活きを拒み、仕方なく渡りを許した。
「実はさあ、ぼくたちの子供のころ、カスミ網でツグミとか捕ったよな」
 友の対応にほっとして、堀口はぼんやり浮かんだ話題を口にした。
「ああ、ぼくが小学二年生になったときには、もう禁止されていたが・・・・」
 客人は、堀口ほど小鳥捕りの経験がないようだった。
「夕方、山に出かけることもあるが、夜になると集会所の金木犀の樹をカスミ網で囲って、一人がワサワサ揺らすんだ」
「うへえ、一網打尽だあ」
 堀口は、一羽一羽スズメの首をつかんでカスミ網から外すときの、手の温もりを思い出していた。
 (スズメは、どうしたんだっけ?)
 殺すという意識もなく、軽く力を籠めただけで小さな塊は動かなくなっていた。
 異質のゴムで作られたような一対の足も、閉じられた目もピクリともしなかった。
 小鳥に涙の出る器官がないことを、そのとき初めて知った。
 食糧難の時代で、持ち帰ったスズメは母親が焼き鳥にした気がする。
 田んぼの赤ガエルも、同様の運命をたどったはずだ。
「いやいや、けっこう残酷だな」
「だろう? だからヒヨドリの一件を、ぼくのやさしさなんていうのは大間違いなんだ」
 しゃべりながら、堀口は少しばかり酔いが回ったのを感じていた。
 堀口は、四五羽のヒヨドリが毎朝彼に向かってヒーヨと声を発し、クルマで乗り出すと一斉に向きを変える現象が続いていることを客人に話さなかった。

 
 碁は六局目に入っていた。
「やさしくないか、・・・・やさしくないよな」
 意味不明の独り言を発して、友が呻吟している。
 緩めるつもりはなかったが、堀口の見落としがあって客人の中押し勝ちとなった。
「ヒーッ、脳味噌がウニになった」
 将棋も好きな友らしく、有名な棋士の軽口を使って、この夜の締めとなった。
 堀口は、ご機嫌な客人を角まで見送って折からの十六夜を見上げた。
 あと何回、きょうのような完璧に近い時間を過ごせるだろうかと、急に寂しい気持ちにとらわれるのだった。

     (おわり)



 
 


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6 コメント

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なるほどレンガの罠もむずかしい・・・・ (窪庭忠男)
2011-03-13 20:57:11
(くりたえいじ)様、笊の罠もなかなか成功率が低いのですが、レンガの方もむずかしいようですね。
ともかく、さっそく方法を教えていただきありがとうございます。
三日ほど出かけていて、長野の地震に遭いました。被害はなかったのですが、かなり揺れました。
東京に戻ったら、掛け時計が落ちていました。
どこにいても、安全というわけにはいきませんね。
返信する
スズメの罠 (くりたえいじ)
2011-03-11 11:57:45

この際ですから、スズメの獲り方をちょっと……。
昔、焼け跡にはレンガがいくらでもありました。
そのなかで、崩れていない4枚を集め、縦四方に並べます。
そして、1枚だけに短い棒をつっかい棒のにして少し上向きに固定します。
つまり、コの字型で、1枚だけ出入り口風に開くわけです。
底には貴重なお米を少し撒いておくと、スズメはそれを目がけて中に入ろうと、つっかい棒に乗ってしまい、パタンとレンガが閉じてしまいます。


それで捕獲したことになりますが、さて、どうやってそのスズメを取り出すか。
パタンと塞がったレンズをそっと開け、すかさず手を突っ込み、スズメをわしづかみにするのでした。


いやあ、書くとなると難しいなあ。
それと、捕らえられたスズメが哀しそうにあがくのが思い出されます。
返信する
男の時間、知恵熱おやじさんも (窪庭忠男)
2011-03-09 22:40:11
共感していただき、うれしいです。
妻は妻、その存在を認めないわけではありませんが、でも男にはこうした時間があることを、ベースに置きたかった。
      
絡めたテーマは・・・・。言わずもがなのことを口にする前に、「おやすみなさい」
コメントありがとうございました。
      
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ささやかなひと時を・・・・ (窪庭忠男)
2011-03-09 22:20:40
(くりたえいじ)様、碁の進行にともなう時間の流れを読み取っていただき、ありがとうございます。
個々のエピソードにまつわる暗示や教訓は、こちらから決めつけるものではありませんが・・・・。
          
レンガを積んでスズメを捕えるワナの方法、興味があります。教えてください。
笊と紐をつけた棒でウズラを狙う、パッタン(ぼくらの命名)ワナなら知っていますが・・・・。
返信する
囲碁の時間の中で (知恵熱おやじ)
2011-03-09 17:05:51
以前描かれた実際の話の後日談から入って、やがて囲碁友達との独特なゆったりした時間が流れてゆく。

たしかに妻が支配していた時間の流れは、留守になる数日間ふと自分の流れかたに変わるのを感じますね。

その感じが実に良く出ていて・・・。
返信する
"窪庭ワールド"を満喫 (くりたえいじ)
2011-03-09 14:58:45
平淡な物語運びのようでいて、何か暗示に富んでいるような、ないような。
主人公以外の脇役は、友とヒヨドリであって、そこに碁が介在するようですが、そこにも言うに言われぬ関連性があるような、ないような。
また、そこに何か教訓的なことが示唆されているような、ないような。

不思議な"窪庭ワールド"を楽しませてくれました。

なお、幼い頃、スズメを捕獲して食べた話、小生も共鳴します。
焼け跡にレンガを積み立てて、まんまと捕えたものですが、やはりおふくろが焼いて食べさせてくれましたよ。
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