「 映画'暗殺'が500万を突破して興行街道を走っている。
だが'ミッション インポシブル5'が登場して勢いが弱まった 。」
チェ・ドンフン監督の「暗殺」はどこまで伸びるのか
ドンくんの次の映画、「黒司祭」はチュソクあたりに韓国公開されるとか…
新しいジャンルの映画はドンな評価を受けるのか?
新しいドンくんはドンなお姿か?
ドキドキです!
‘暗殺’、チョン・ジヒョンを前面に出したのは偶然ではない
2015.7.31 翻訳サイト使用
‘暗殺’、商業性と歴史意識の間の絶妙な綱渡り
日本植民地時代を娯楽物に解きほぐすのは可能なのか。 事実映画はどんな時代でも素材として入れることができる。 だが、日本植民地時代という時間は思ったより簡単ではない。 すなわちこの時代を扱う方法はほとんどが民族主義的な立場だったことは事実だ。 反日感情を刺激して愛国主義的な視線を表わす方式. だから日本占領時代を素材にするコンテンツは悲壮な雰囲気をかもし出すほかはなかった。
だが<暗殺>は日本植民地時代という時期を持ってくるがそれを暗鬱で悲壮に扱わない。 進んでこの映画はケイパームービー(Caper movie. 犯罪映画のジャンルの中の一つで、何か強奪または、窃盗行為をする姿と過程を詳細に見せる映画)のジャンル的性格をとっている。 これは<泥棒たち>を通じてケイパームービーの成功方程式を見せたチェ・ドンフン監督の長期(?)でもある。
朝鮮駐屯軍司令官である川口マモルと親日派カン・イングク(イ・ギョンヨン)を暗殺しようとする独立軍の話. だが、この話の中にまるで満州ウェスタンのキャラクターを見るような狙撃手アン・オクユン(チョン・ジヒョン)や速射砲(チョ・ジンウン),ハワイ ピストル(ハ・ジョンウ)のような人物が大挙登場する。 これらは各々の欲望と目標を持ってこの暗殺の中に飛び込んで話を多彩に作り出す。
ケイパームービーの特性の中の一つである裏切りもやはり抜けない。 だが、その裏切りは私的関係の裏切りでなく国家と民族に対する裏切りという点で今一度日本植民地時代が持つ悲壮さとかみ合わさる。 それでこのケイパームービーが持つ愉快さは日本占領時代の悲壮さとからんで奇妙な感情を呼び起こす。
これは<暗殺>という映画が持つ最も光る点であり同時に最も商業的な点でもある。 この映画は徹底的に商業的な指向を見せる。 それは日本植民地時代という全く私たちの感情を刺激する時期を引いてきながらもその中に娯楽的な面白味をひろげるチェ・ドンフン監督の演出を通じて克明にあらわれる。
だが、その一方でその根底には当代の独立軍が持ったその絶望と、ごみのように自身を投げるその悲壮さが詰まった感じがやはり感じられる。 それを最も短く印象的に描き出したのは暗殺ミッションを受けて出発前のアン・ユンオクと速射砲そしてファン・トクサム(チェ・ドンムン)が共にポーズを取って写真を撮る場面だ。 彼らはまるで死に向かって走って行く人々のようにカメラの前で悲壮だ。 だが、カメラ シャッターが押される直前、彼らは一生懸命笑う。 どこかぎこちなく真心が感じられるその場面は映画全体がケイパームービーの娯楽の中に陥って入る時も心の片隅に異物のように残る。
裏切りと決断はもちろんケイパームービー特有のジャンル的面白味を含んでいるが、同時に日本植民地時代が終わっても親日派の清算をきちんとすることが出来なかった私たちの辛い歴史を振り返ってみるようにする。 もちろんケイパームービーの娯楽的要素を極点まで見せた後、このように歴史的な問題で終えることもやはり商業的選択だ。 それは過去民族主義的な観点から日本植民地時代を扱ったコンテンツが大衆を激動させたその話の方式に似ている。
<暗殺>もまた、多分中国市場を狙っている。 チョン・ジヒョンという俳優を前面に押し出したのは偶然ではない。 すでに<星から来たあなた>で中国で熱風を作り出したチョン・ジヒョンではないか。 その上映画は日本と戦って消えうせた独立軍の話を入れる。 上海を背景に日本と戦うアクションというのは中国の観客にも十分にアピールできる話だ。
このように<暗殺>はよく計算された商業的な映画の模範解答のような面を持っている。 だが、かと言ってそれが面白味にだけ偏って日本植民地時代と現在を眺める意味をのがしているという話ではない。 他の見方をすれば<暗殺>はその商業性と歴史の間の絶妙な綱渡りを成功裏に描き出している作品のように見える。 日本植民地時代を娯楽物として解きほぐすというのは簡単ではないが、<暗殺>はその可能性を驚くべき均衡感覚で見せている。