●本当の夫婦になれた気がします。
今日は、新しい方が来て下さいました。
しかも、男性です!
認知症でもあり、脳梗塞などに見舞われた奥様を
最期までご自宅で一人で看られたそうです。
彼がしてこられたことが、
どれほど大変なことであったかが想像できるだけに、
皆ただただ聞かせていただきました。
中でも、とても印象的だった言葉があります。
「心に寄り添うっていうのかなあ、
本当の夫婦になれたような気がします」。
●どれだけでも話せる女性のパワーはすごい!
そして、
私たちまでいい気分にさせてもらいました。
「僕はねえ、こういう場で自分の話をするなんて、
できなかったんですねえ。
だいたいの男性は苦手だと思いますよ。
でも、人前で話してみると、
自分でも気持ちを整理できて、
とてもいいんですね。
お菓子とともに、
どれだけでも話せる女性のパワーは、すごいですよ」。
●ぬぐいきれない介護者の「責める気持ち」
6人の参加者のうち、
既に介護していた親やパートナーを見送られた方が、5人。
病院、施設、ご自宅、病院と自宅と、
最期の場所、最後に向けて過ごした場所も様々です。
中には、
家族が施設に入ることになったことで
自分を責める気持ちがぬぐいきれずにいる方もいらっしゃいました。
なぜでしょう?
私たちが看た家族は認知症でした。
ですから、
「自分の意思を伝えることができなかった。
本当はどうだったのだろう?」
という思いがあるからではないでしょうか?
本人は、本当は自宅にいたかっただろう。
自分も最後まで家で看たかった。
でも、現実にはそうはいかなかった。
つまり、自分(介護者)の都合で施設を選んだんだ。
そういう気持ちが出てきても不思議はないと思います。
でも、
自分たちで看るには限界があったのも事実。
本人の希望(推測も含め)、
介護者の希望、
そして利用できる社会資源の中で
折り合いをつけていくしかないのです。
●もし、自宅のような施設があったら?
しかし、「もしも!」です。
「施設」が、
一人一人に合った生活ができる「自宅」のようであったら?
元気な頃から「あそこで暮らしたい」と本人が願っていたら?
実際、スウェーデンでは、
施設と言っても、
台所もトイレも寝室も客間もある「家」の形で、
自分のしたいように暮らすことができるそうです。
もちろん、「介護つき」です。
寝たきりは いない。
だけど、
延命治療も しない。
そんな話が出ました。
施設を自宅化するか?
自宅を施設化するか?
何か、日本ならではの方法が見つかるかもしれません。
そう、夢はでっかく!です。
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