亀戸天神では今日(24日)と明日(25日)はうそかえ神事で賑わいます。弁当工場の衛生会議を終えて天神さんに寄ってみました。
10時前でしたがすでに結構並んでしました。
神事には参加しないので、鷽の碑は撮れませんが、昨年撮ったものがありました。
鷽の碑です。
★ランドマーク亀戸天神鷽の碑:鷽替え:鷽替え(うそかえ)とは、主に菅原道真を祭神とする神社(天満宮)において行われる神事です。鷽(ウソ)が嘘(うそ)に通じることから、前年にあった災厄・凶事などを嘘とし、本年は吉となることを祈念して行われます。例年1月24日 - 25日。縁起物である木彫りの鷽(ウソ)が授与されます。「去年の悪(あ)しきはうそ(鷽)となり、まことの吉にとり(鳥)替えん」との言い伝えによります。木彫りの鷽は、高さ5 - 22cmくらい、白木の円柱に上部3分の1位が荒削りされ、頭部と腹部となり、背後は削り掛けの手法で尾羽が切り込まれています。彩色は頭が黒、胸は朱、背の羽は緑と黒となっています。
天神さんといえば神牛です。
★神牛:天神様(菅原道真公)は承和12年(845)6月25日に御誕生になりましたが子の都市が乙丑の年に当り、延喜3年(903)2月25日大宰府の配所で亡くなられたとき、道真公自らの御遺言により御遺体を牛車に乗せて牛に引かせ、牛が止まった所を御墓所と定めてそのところに神廟(現在の大宰府天満宮)が建立されたのも乙牛年のことでした。
讃岐守(香川県)として御在任中農工に勤しむ牛の姿に深い慈愛の心を示され、又、大宰府へ西下の途中牛の鳴き声に刺客から逃れられたり、どこからともなく飛び来たった白牛に危難から救われられるなど天神様と牛とのかかわりは史実や演技に或は伝承を通して伝えられています。その底流には御生誕の年はもとより神廟にお祀りされた年も丑年に当るという御神縁があり、以来牛は天神様の神使(みつかわしめ)、天神様を守護するものとして篤く信仰されています。
社前に臥牛が祀られ、4年に一度御鳳輦渡御祭に黒牛が供奉するのもこれに因ります。
亀戸天神社
2014年3月に太宰府天満宮を訪問したものをブログにアップしています。
境内から東京スカイツリーがよく見えます。
拝殿とスカイツリー
心字池の所から見ています。
心字池には主のようなアオサギが居ついています。
亀は冬眠中で鴨が飛んできました。
天神さんには「飛梅伝説」があるので梅の木もいっぱい植えてありますが、まだ一部しか咲いていません。
八重寒紅
★飛梅伝説:平安時代の貴族・菅原道真は、平安京朝廷内での藤原時平との政争に敗れて遠く大宰府へ左遷されることとなった延喜元年(901年)、屋敷内の庭木のうち、日頃からとりわけ愛でてきた梅の木・桜の木・松の木との別れを惜しんだ。その時、梅の木に語りかけるように詠んだのが、次の歌である。
東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅花(うめのはな) 主なしとて 春を忘るな
『拾遺和歌集』巻第十六 雑春。
東風ふかば にほひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ
『宝物集』巻第二。
現代語訳:東風が吹いたら(春が来たら)芳しい花を咲かせておくれ、梅の木よ。大宰府に行ってしまった主人(私)がもう都にはいないからといって、春の到来を忘れてはならないよ。
伝説の語るところによれば、道真を慕う庭木たちのうち、桜は、主人が遠い所へ去ってしまうことを知ってからというもの、悲しみのあまり、みるみるうちに葉を落とし、ついには枯れてしまったという。しかして梅と松は、道真の後を追いたい気持ちをいよいよ強くして、空を飛んだ。ところが松は途中で力尽きて、摂津国八部郡板宿(現・兵庫県神戸市須磨区板宿町)近くの後世「飛松岡」と呼びならわされる丘に降り立ち、この地に根を下ろした(これを飛松伝説と言う)。一方、ひとり残った梅だけは、見事その日一夜のうちに主人の暮らす大宰府まで飛んでゆき、その地に降り立ったという。(ウイキペディアより)
ちなみに飛松伝説を追って須磨の板宿八幡神社まで行ってきたものがアップされています。
寒椿
蠟梅はいい香りを漂わせていました。
まだ22日の雪が残っています。
祭事のある日はあまり寄らないので、神楽は見られませんでしたが、今日は神楽・天神囃子を見ることができました。
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