ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

常光寺(亀戸・江戸六阿弥陀巡礼6番目の霊場)江戸名所図会めぐり

2018年04月23日 16時36分17秒 | 江戸名所図会めぐり

亀戸四丁目の常光寺は近くにあるので何度か訪れていますが、単独では初めてアップします。山門です。

常光寺は千葉方面からの巡礼者が逆井の渡しから浅草に向かう古道の途中にあります。

本堂

★ランドマーク常光寺: 『新編武蔵風土記稿』巻之二四によれば、本尊阿弥陀如来は行基作で、六阿弥陀の六番目であり、春秋彼岸には参詣の者が多い。この寺を開いたのは行基であり、中興は勝庵和尚といい、天文一三年(一五四四)に亡くなるという。

 寺の縁起(「六阿弥陀 常光寺 縁起・沿革」)によれば、建立は天平九年(七三七)、開山は行基菩薩で、開基は豊島の冠者、本尊は行基作の阿弥陀如来座像、天文一三年に曹洞宗に改宗し、中興開山は勝庵最大和尚で、このときの開基は下総里見義実であるという。この寺に阿弥陀如来が祀られるようになった由来について以下のように伝えている。聖武天皇の時代に、足立の庄司藤原正成は子供がいないことをなげき、熊野権現を信心していた。ある夜、霊夢をみて、ほどなく女の子をもうけた。後に、この娘(足立姫)を豊島清光へ嫁がせたところ、舅姑と折り合いが悪く、実家に帰る途中、荒川に身を投げた。このとき、おつきの侍女たち一二名も一緒に沈んだ。正成は悲しみ、法師となり、諸国の霊場を巡り、紀州熊野山で霊夢により、社内の光明に放つ霊木をみつけ、正成の名を記して海に流し、国に戻ると、霊木は流れ着いており、お告げにあった行基の巡来を待ち、行基が来たときに、これまでのことを語ったところ、行基は断食し、弥陀仏に念じ、六体の阿弥陀如来を彫った。侍女の出生地に寺を建立し、阿弥陀仏を大仏させ、菩提を弔った。なお、神木の余り木で足立姫を弔う観世音菩薩を彫ったという。六阿弥陀を祀る寺は以下の通りである。

 一番 西福寺 北区豊島  二番 恵明寺 足立区江北  三番 無量寺 北区西ケ原  四番 与楽寺 北区田端

 五番 常楽院 府中市(台東区上野より移転)  六番 常光寺 江東区亀戸  木余り 性翁寺 足立区扇

 『帝都郊外発展誌』城東の巻亀戸編によれば、中興開山の勝庵和尚は浅草総泉寺四世であるという。六阿弥陀道道標延宝7年在銘(江東区登録文化財)

江戸名所図会より

キャプション

亀戸邑の常光寺は江戸六阿弥陀回(めぐ)りの第六番目なり。春秋二度の彼岸中、都鄙(とひ)の老若参詣群集せり。

古い石仏も残っています。

石地蔵尊像延享3年在銘(江東区登録文化財)でしょうか?

地蔵逆修供養塔寛文12年在銘(江東区登録文化財)でしょうか。

水盤延宝8年在銘(江東区登録文化財)でしょうか客殿

わたし彩江戸名所図会大人の塗り絵より

まだいろいろと文化財があるようですので、また散策しに行きます。

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