大阪に1泊2日の出張で、初日は東大阪市の布施にある施設を訪問しました。3回目の訪問です。商売繁盛が願いの大阪は戎さん(えべっさん)が賑わうようです。西宮戎や今宮戎などが有名ですが、布施戎も1月9日~11日は賑わうようです。布施戎には毎回寄っていますが、今回はもともとここにあったという都留彌神社(つるみじんじゃ)を訪ねてみました。いつもながら地図も持たずにあてずっぽうの散策で、迷いながら途中で昼食を摂りながらようやくたどり着きました。拝殿の脇に御神牛が祀ってあるので、菅原道真にも関係があるのでしょうか。
調べてみたら→「菅原道真公(菅原天神、学問成就の神)--古くからの合祀神となっているが(由緒略記)、古資料には合祀以前の祭神として、「足代村にあり。延喜式出。今天神と称す。此地の生土神とす」(河内名所図会-1801、河内志-1733もほぼ同じ、江戸中期) 「速秋津日子神・速秋津比売神及び菅原道真を合祀せり、明治5年(1872)村社に列せられ当時大字永和の素盞鳴命神社を合祀し、・・・」(大阪府誌-明治36・1903))とあり、古くはは菅原道真を祀る天神社(テンジンシャ)として知られていたようで、今も菅原道真として祀られている。」といのがありました。境内には戎・大黒さんも祀ってありました。次に布施戎神社に向かいました。1kmくらい離れているそうです。日陰もない暑い日差しの中を歩いていきました。近くの商店街にはこんな飾りが出ていました。調べたわけではありませんが、日本で一番大きいと言われる鋳造のえびす像です。
「この地は、その昔、足代村の氏神として延喜式神名帳にみえる都留彌神社が祀られていた。江戸後期の河内名所図会・享保元年(1801)には、『都留彌神社 足代村にあり』とみえている。
明治18年(1885)の淀川大洪水により、神殿・宝物・古文書など全て流出したが、その後、村民の手により再建されて、足代村の氏神社として祀られていた。
都留彌神社は、明治40年(1907)から始まった国の神社合併により、近隣の荒川・長堂・岸田堂などの神社を合祀して、この地から東方約1kmの現在地に移転し祀られたが、この時に当境内地は、地元足代の有志に払い下げられ、民有共有地として保管されてきた」などとかかれています。戎神社本殿の右隣に『都留彌神社御旅所』があり、柵に仕切られた奥に神明造の小祠があり、また境内に入った左隅に、『都留彌社趾』(昭和3年-1928-建立)との石碑が立っています。
近鉄布施駅に戻る途中に安産地蔵菩薩の祠がありました。
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