入院中にお見舞いをいただいたり、お世話になった方に参加していただき、快気祝いの集いを開かせていただきました。会場は時々お邪魔している錦糸町のリトルインディアでした。
息子のバンド、東京ゴッドファーザーズのライブもあって会場を盛り上げてくれました。
家族もいろいろと手伝ってくれました。
私からは入院生活から退院、リハビリの状況をスライドにして説明させてもらいました。
最初は腰部脊柱管狭窄症ということで、腰部を背中から骨を削って脊柱管に迫り管を拡げて除圧する手術でした。
削った後はチタンで5個の腰椎をビス止めしました。
これで6月から9月まで入院とリハビリをしました。そして10月11月は職場復帰するまで回復したのですが、12月になり歩行困難反もちろん全く下半身が麻痺してしまい車椅子になってしまいました。
MRIで今度は胸椎にヘルニアがあるというので、胸椎も同じように削ってチタンで補強しました。全部で8つがチタンで固定されています。
手術は御茶ノ水の三楽病院で行いました。
手術するまでの入院生活は余裕があって、差し入れていただいた本を読んでいました。
病院での楽しみは食事です。幸い三楽病院の食事はうまいことで有名でした。
冷たいものは冷たく、暖かいものは暖かく提供してくれました。
手術後は窓ばかりをみていました。
手術をしたのは良かったのですが、歩行がままらなくなって、急いでリハビリ病院を紹介してもらい、まだ抜糸もままならないうちにリハビリ病院に転院しました。
車椅子の生活です。病院には杖で歩いて行けたのに、病院を出るときは車椅子というのは納得できませんでしたが、これ以上病状は悪くならないという医師の話を信じてリハビリを頑張りました。
リハビリ病院の食事は田舎料理的なものでした。
ちょっとおかずが足らなかったり、果物が少ないのでふりかけやバナナを差し入れしてもらいました。
リハビリ病院は車椅子が通れるようにベッド間とか広く取ってありました。
病院の写真を撮るために、車椅子で外に出たところ、坂を下ったのは良かったのですが、帰りに坂が登れなくなってしまいました。
たまたま、リハビリで病院の外を歩いていた患者さんに押してもらいどうにか病院に戻ることができました。
ここでもいろいろと差し入れしていただきました。
結構時間をつぶすことができまあした。
漢字のナンクロには結構はまりました。
窓の外の雀を撮ったりしました。
足立の花火も病室の窓から見えました。
テニスのパートナー船木さまに時々お見舞いに来ていただいたき、その時はリハビリを早めにやめて1Fの食堂で一緒に食べました。
いつも弁当ランチをおごってもらっていました。
あとは院内をウオーキングするときによく夕陽を撮っていました。
車椅子を卒業して歩行器や杖で歩くようになりました。
リハビリ病院は積極的に一時帰宅を進めているので土日はできるだけ自宅に戻るようにしました。病院ではなかなか食べられないステーキをよく食べに行きました。
いえかたパソコンを持ち込んで音楽を聴いていました。
8月15日には田舎のお盆にも出かけることができました。
「ふるさとの山は遠くにありて思うもの」などと歌いながら散歩しました。
病院は26℃に保たれていて居心地がいいのですが、自宅に戻ると真夏で、熱中症になりそうになりました。
布団からは起き上がれないのでベッドを急遽買いました。
9月には不忍池の音楽堂でのともしび大うたごえに病院から出かけました。
病院の食事はこれが最後と思い撮りました。9月18日の朝食です。
この4階からみていた防災団地の風景も最後と思って撮りました。
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