ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

牛島神社

2013年05月02日 23時28分39秒 | 自宅周辺探索

いつも通っているクリニックは墨田区役所の前のアサヒのビルにあります。区役所の北側は隅田公園となっています。そこに面して牛島神社があります。撫で牛が鎮座しています。まだ一度も入ったことがありませんでした。由緒:神社の名前は、両国・向島の本所一帯が天武天皇の時代(701~764)に国営牧場が設けられ牛嶋といわれていたことに由来しているといわれています。
 創建は、貞観年間(859~877)に慈覚大師が須佐之男命を郷土の守護神として迎えたのが始まりといわれています。その後平安末期に、源頼朝が房州千葉から挙兵して隅田川を渡ろうとしましたが、水位が高く渡ることができなかったときに、千葉胤常が神社に祈願したところ、無事渡ることができたことに感謝して、頼朝は神社に多くの土地を寄進したといわれています。その後も北条氏や江戸時代には江戸城の鬼門守護の社として幕府から寄進を受け、本所地区の総鎮守にもなっていました。
 牛嶋神社は牛御前社とも呼ばれていますが、これは慈覚大師が通りかかったとき、一人の古老が「師わが為に一宇の神社を建立せよ、若し国土の悩乱あらば、首び牛頭を戴き、悪魔降伏の形相を現わして、天下の安全の守護たらん」と託宣したことから天文年間(1532~52)に牛御前と改称したといわれています。境内には「撫で牛」があり、体の悪い部分を撫で、牛の同じ部分を撫でると、病気がなおるといわれ、体だけでなく、心の病にも効き目があり、また「撫で牛」に涎かけを奉納し、その涎かけを生まれた子供にかけると健康に育つともいわれています。
五年に一度の大祭では、鳳輦(牛車)を中心とする古式豊かな行列が氏子五十町安泰祈願巡行します。この神幸祭は、今日では珍しく黒雄和牛が神牛となり鳳輦を曳いています。隅田公園の日本庭園と隣り合わせです。
由緒:隅田川沿いにある公園で、墨田区側の左岸は向島1、2、5丁目の面積約8万平方メートルの広さを誇ります。春には屈指の桜の名所となり、夏には隅田川花火大会が行われます。公園内の庭園は水戸徳川邸内の池等、遺構を利用して造られています。関東大震災後で屋敷が全壊するまで代々ここに住んでいたと伝えられますが、その後隅田公園の区域に取り込まれ、日本庭園へ姿を変えました。
アオサギと鴨
まくらばしこの枕橋は、隅田川に注ぐ現・北十間川に架かる橋ですが、江戸時代はこの川は源森川と呼ばれ、この橋も源森橋という橋でした。池波正太郎作の鬼平犯科帳にもこの源森橋が登場しますが、江戸時代はこの川が本所の端でもあったようで、この橋を渡ると、そこはうっそうとした森が広がっていたようです。昭和3年11月に架けられた橋で、創架は寛文2年(1662年)です。源森橋の北に水戸藩の下屋敷(現隅田公園)があり、そこに入る掘割に新小梅橋という小橋が並んであったため、ふたつ並びし枕橋と小唄にも謡われていました。明治8年に俗称の「枕橋」が正式名となり、源森橋の名は東隣りの無名の橋(水戸街道にかかる橋)に譲りました。
親柱はビール樽の形だそうです。区役所とアサヒビールのビル、住宅棟は、アサヒビールの工場があったところです。

慈覚大師:円仁(えんにん、延暦13年(794年) - 貞観6年1月14日(864年2月24日))は、第3代天台座主。慈覚大師(じかくだいし)ともいう。 入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人。下野国の生まれで出自は壬生氏。
宗派:天台宗山門派
寺院:立石寺、中尊寺、壬生寺、大慈寺、延暦寺その他全国に凡そ700箇寺といわれる。
師:広智、最澄、元政、義真

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