館林にある施設を3年ぶりに訪問しました。前回は真夏で施設に行く着くのが大変でしたが、今回は一つ手前の茂林寺前駅近くを散策しました。
茂林寺は、小学生のころ漫画で、プロ野球の創生期、昭和10年に阪神と巨人の2チームが生まれますが阪神に敗れた巨人軍が、昭和11年9月秋季キャンプで茂林寺球場の特訓「暁の千本ノック」で徹底的に選手を鍛えた「球場」として記憶しています。また、ぶんぶく茶釜の童話でも有名なので、一度訪れて見たいと思っていたところです。道路側からの入り口、5-6件お店が出ていました。どこのお店も狸さんがいっぱい並んでいました。総門から山門までの参道には狸さんが並んでいました。境内には聖菩薩や大樹がありました。名勝地には必ずといっていいほど大樹がありますが、この信仰はなん何でしょうか長寿のシンボルでもあるのでしょうか。
茂林寺のHPから「曹洞宗の名刹、青龍山茂林寺は、その開山を大林正通としています。 正通は美濃国土岐氏の出目で、華叟派の祖、龍泰寺開山華叟正蕚の法嗣でした。寺伝によると、正通は諸国行脚の折、 上野国に立ち寄り、伊香保山麓で守鶴と出会います。この守鶴は、のちに茂林寺に分福茶釜を持ち込んだ老僧です。
応永三十三年、正通は守鶴を伴い、館林の地に来住し、小庵を結びます。応仁二年、青柳城主赤井正光(照光)は、 正通に深く帰依し、自領地の内八万坪を寄進し、小庵を改めて堂宇を建立し、青龍山茂林寺と号しました。正光(照光)は、 自ら当山の開基大檀那となり、伽藍の維持に務めました。大永二年には、後柏原天皇から勅願寺の綸旨を賜ります。 寛永十九年(1642)には、三代将軍徳川家光より二十三石四斗余の朱印を下賜されております。」と書かれてありました。
守鶴和尚は大林正通大和尚と共に当地に小庵を結んで以来、歴代の住職に役僧として仕え、分福茶釜を当山にもらたしたと伝えられています。小庵の守鶴堂です。当山鎮守大菩薩として祀られています。
境内の彼岸花が咲き始めていました。黄アゲハは彼岸花が好きなようで花から花へと忙しく飛び回っていました。
隣は湿原地でした。
施設に向かう途中にネコさんがいました。写真を撮ろうとしたら塀の向こうに逃げられてしまいました。腰を痛めているらしくよろけながら逃げていましたが、顔はなかなか精悍でした。
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