リハビリ病院の帰りに上野方面まで自転車で足を延ばしました。最近は古地図や江戸名所図会に載っているところを散策しています。
根岸の里と言われた周辺を散策した後は、当日の目的である不忍池の蓮の花を見に行きました。弁天島の入り口です。外国の人がたくさん見えていました。
古地図で見ると、根岸の里の西蔵院から要傳院の前を通って南下し、上野駅を回って、広小路から北上し弁天島の前に着きました。
こちらから左回りで不忍の池を巡ります。
古地図では池が分割されていませんが、今は3分割されています。北側は動物園で昔の池の所は水族館などになっています。
不忍池の歴史もいろいろあるようで調べる価値がありそうです。小学校低学年のころ父親が東京見物に連れてきてくれて、その時は野球場にする計画があったなどと聞かされたのを覚えています。また、ガマの油売りの口上を聞いて、ガマの油でほくろを取る実演をしていたことも思い出しました。
それから20年ほど経って、この地域を管轄する保健所に勤務しました、45年も前の話になります。そのころ職場で年配のご婦人がいろいろと台東区の歴史や池波正太郎の話をしてくれましたが、あまり興味がなく聞き流していました。今その聞いたことを思い出しながら散策しています。
こちらからはあまり咲いているハスに出合ません。
つぼみのハスがぱらぱらとあるのみです。
不忍池越しに池之端のビル街が見えます。池の中ごろには結構咲いているようです。
ようやく見学用の遊歩道の入り口に着きました。
入り口には不忍池とハスの由来が書いてあります。
江戸名所図会には不忍池の蓮見で案内されています。
不忍の池は江府(えど)第一の蓮池なり。夏月に至れば荷葉累々として水上に蕃(はん)えんし、花は紅白色をまじへ、芬々人を襲ふ。蓮 (はちす)を愛するの輩(ともがら)、凌晨(しののめ)をことさらの清観とす。
この絵図に色を付けている方々がいらっしゃいます。
江戸名所図会 大人の塗り絵
こちらは歌川芳員の絵です。
東都名所 不忍池 歌川芳員画
「不忍池は蓮の名所で、島の茶屋では蓮飯を食べることができました。天海僧正が寛永寺を創建した時に、不忍池を琵琶湖に見立てて中島を築き、のちに弁天祠が移されました。当初は文字どおり船でしか渡れない島でしたが、寛文12年(1672)に石橋が架けられ、徒歩でも渡れるようになりました。」ということだそうで昔から有名なハスの花です。
昼ごろでしたが開いている花にはなかなか出会えませんでしたが、遊歩道を入っていくといっぱい見ることができました。
皆さんも楽しんでいるようです。
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子どもの頃はハスの実が熟すと取って食べ、結構おいしかったことを覚えていますが、大人になって、どこかで実を食べたことがありましたが、昔食べたほどの美味しさなかったです。
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