ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

千秋公園(久保田城跡)

2013年09月05日 12時09分34秒 | 訪問地周辺

山形から秋田に向かうには仙山線周りで、仙台から新幹線「こまち」で向かうのと、鈍行を乗りついて奥羽本線を秋田に向かう二つがありますがネットでは、仙台周りを進めています。3年前は逆コースで秋田から新庄まで鈍行でそこから山形新幹線で山形に着きました。これも結構時間がかかりましたが、今回は山形発15時41分の新庄行きに乗り17時着、新庄から秋田行17時10分に乗り継いで大曲で遅れているこまちを待ったりして秋田に着いたのは20時40分ころでした。
翌日の施設訪問は午後からなので、午前中に近くの千秋公園を散策しました。
外堀の蓮千秋公園は久保田城の跡地です。千秋公園は、秋田駅の北西約700mの場所にあり、慶長7年(1602年)、常陸から国替えとなった初代秋田藩主佐竹義宣が、翌8年に自然の台地を利用して築城した久保田城の城跡です。
 明治2年(1869年)、版籍奉還により国へ返上され、陸軍省の所管となっていましたが、同23年、佐竹氏へ払い下げとなったことにより、本丸・二の丸を秋田市が借り受け、市民に開放しました。同29年、管理が県に移管され、造園家長岡安平の設計により、公園として整備されました。
 昭和28年(1953年)、再び秋田市に管理が移管され、同59年、佐竹家宗家佐竹義榮氏の遺志により、公園用地(約14万6千㎡)として秋田市に寄贈され、名実ともに市民公園となりました。なお、本丸の一部(約5千㎡)については、国有地を無償でお借りしています。
 千秋公園(当時は千秋園)の命名者は、秋田県出身の漢学者狩野良知で、「千秋」の由来は、秋田の「秋」に長久の意の「千」を冠し、長い繁栄を祈ったものといわれています。
 平成20年3月25日千秋公園が文化財(記念物=名勝)に指定されました。昇って行くと表門です。中に佐竹義堯公銅像があり後ろにはサルスベリが咲いていました。こちらは八幡秋田神社
奥のもっとも高いところに御隅櫓中に入ってみました。日本海まで見渡せる高さです。
こちらは御物頭御番所です。久保田城内に唯一現存する藩政時代の役所建物であり、宝暦8年(1758)から安永7年(1778)の間に建築されたものと推定されています。
 久保田城内のニノ門(長坂門)の開閉と城下の警備、火災消火を担当していた物頭(足軽の組頭)の詰所で、 秋田市指定文化財です。
こちらは大賀ハスの植えてある胡月池です。大賀ハスは、昭和26年(1951年)、ハス研究家の大賀一郎博士が地元中学生などの協力を得て、千葉県検見川の泥炭層下の青泥層から約2千年前のハスの種を発掘し、発芽に成功したハスです。
 秋田市では、平成14年4月に、大賀ハスの品種保存に力を入れている蓮文化研究会理事長印南洋三氏の厚意により、蓮根を6株譲り受け、胡月池で栽培しています。残念ながら大賀ハスは咲いていませんでしたが、アメンボの大群がいました。
下の蓮池に降りてきたら池の中にアオサギらしきものがいましたが写真を撮る前に飛んで行ってしまいました。池には赤・白のハスが咲いてました。

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