これは2015年11月、1回目の手術の後、職場に復帰し、館林まで仕事で出かけた時の写真をもとに作ったブログに少し写真や説明を加えたものです。
2015年11月、久しぶりに本来のランドマーク探しになりました。館林有る施設に3年ぶりの訪問となりました。前回は館林の手前にある茂林寺によって狸さんをたくさん見てきましたが、今回は駅と施設の間だけの散策となりました。
前回寄った駅前にあるうどん屋さんはお客さんが並んでいたのであきらめました。市役所に向かう道をあるいていると駐車場の奥にお寺が見えたので寄ってみました。
浄土宗の大道寺です。
★ランドマーク大道寺:大道寺は江戸時代は、同じ浄土宗の善導寺の寺務を行う役寺で、明治時代に善導寺より独立しました。境内には、国学者で元館林藩主だった生田萬(いくたよろず)の父祖の墓や田山花袋の算術の師であった戸泉鋼作(といずみこうさく)の墓などがあります。 (館林市のHPより)山門です。
地蔵尊は山門を入った右手にありました。
本堂
生田萬祖父の墓がありました。
青梅天満宮です。
食事処を探しながら歩いていると神社がありました。日本四社と書かれていたので家で調べてみるとこんなことがわかりました。
館林市のHPには「時の左大臣藤原時平の陰謀によって、菅原道真は大宰府に左遷させられてしまいましたが、その際道真は「東風吹かば匂ひをこせよ梅の花 主なしとて 春な忘れそ」と詠い、4つの梅の実を枝に刺し投げたところ日本各地に散らばり根付いたそうです。その4箇所とは花久里梅(島根県)、飛梅(福岡県)、四季梅(香川県)、青梅(群馬県)で、それぞれに天満宮の分霊を勧請し菅原道真を祀っています。」と書かれていました。
これでは飛梅伝説とも日本三大天神「各地の天満宮のうち、特に道真と関係が深いという太宰府・北野の二つに、天満宮の中で最も古い歴史を持つ山口県の防府あるいは天神祭で有名な大阪などを入れた三つの天満宮が日本三大天神と呼ばれる。」とも違うのでちょっと戸惑いました。青梅神社は館林市のふるさと自慢百選に選ばれているようです。
群馬県館林市観光・旅行見所ナビhttp://www.guntabi.com/tatebayasi/seiryu.htmlには
★ランドマーク青梅天満宮:青梅天満宮の創建は不詳ですが次ぎのような伝承が残っています。延喜元年(901)、藤原氏などの有力貴族との政争に敗れた菅原道真が大宰府に左遷させられました。道真は都を去る際「東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」(私が都を離れても、梅の精霊よ、春には私を思い出しておくれ、そして、お前の匂いを春風に乗せて私の所まで届けてほしい。※私訳)と詠い4つの梅の実を枝に刺し投げたところ日本各地に散らばり根付いたそうです(一般的な飛梅伝説は道真邸の庭木が左遷を悲しみ、梅の木は道真を追って大宰府に飛び、松の木は摂津国八部郡板宿(現在の兵庫県神戸市須磨区板宿町)で力尽き、桜の木は悲しみの果て枯れ果てたと伝えられています)。その4箇所とは花久里梅(島根県松江市:菅原天満宮※鼻繰梅)、飛梅(福岡県福岡市:太宰府天満宮)、四季梅(香川県高松市:綱敷天満神社※五色梅)、青梅(群馬県館林市:青梅天満宮)でそれぞれに天満宮の分霊を勧請し菅原道真を祀っています(ただし、他社の由緒書等を見てもこのような伝承は見当たらず当社のみに伝わっているようです。因みに、大宰府の飛梅は上記の伝説。鼻繰梅は道真が幼少の頃、梅の実に穴を開け遊んでいたものが芽を出した。五色梅は道真と親交があった久利長門守が大宰府の飛梅の種を持ち帰って植えたと伝えられています)。谷越商店街から路地に入ると鳥居の前の石碑に"日本四社 青梅天満宮"と刻まれ、その奥には朱色に塗られた神門が建っています。神門は入母屋、桟瓦葺、三間一戸、八脚門。拝殿は入母屋、桟瓦葺、桁行3間、梁間2間、正面1間向拝付。本殿は一間社流造。)と書かれていました。
拝殿菅公一千祭の記念碑などがありました。
訪問施設からの帰りは少し先まで行ってみました。
外池商店です。「屋号は和泉屋(いずみや)といい、江戸時代中期、近江の国(滋賀県)から移り込み、造り酒屋を営んでいましたが、明治33年には味噌、醤油の製造業に変わり、現在は酒の小売業を行っています。現在の店舗は、昭和4年に建てられたもので、毛塚記念館と同様町屋の特徴を備えています。敷地内にある蔵は、百々歳蔵と名付けられ、コンサートなど文化活動を行うことができるホールとして使用されています。」(館林市のHPより)
本当はこの先にあるはずの日本初の公害事件と言われる足尾銅山鉱毒事件を告発した政治家として有名の田中 正造(たなか しょうぞう)の記念館行くつもりでしたが案内が出ていなかったのであきらめました。(写真はウイキペディアより)
駅に戻る途中で清龍神社と井戸に出合いました。
★ランドマーク清龍神社:清龍神社は江戸時代、この周辺には福寿院というお寺があり、その境内に青龍の井戸はありました。伝説では、第六代館林城主の徳川綱吉公の時代に、突然、清水が吹きあがり、中から女官姿の青龍権現が姿を現したことから「青龍の井戸」と呼ばれるようになりました。」
と館林市のHP「歴史の小径~歴史薫る散策路~」に書かれています。
駅に戻ると3年前とは全く違った広場が出現しておりこんなものがありました。
今年は駅前で分福の狸さんに会えました。
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