最近、コロナ自粛で出歩かないので、部屋で音楽聴いたり、本読んだり、YouTubeみたり、がすごく増えた。
で、最近は八十年前後に流行った歌の動画をいっぺー見て👀、聴いて👂歌って🎤、な日々だ。そして、すっかり忘れかけてた(とにかくただ楽しかった)あの頃の出来事を次々思い出し始めたのだ。
1980年代前半、私は大学生活を送っていた。振り返れば、夢のような時間だった。あの華やかな八十年代にちょうど大学生活を送れた事を、今更ながら幸せに思う。薬大だったので、実習や講義、試験がびっしりで、なかなか大変だったけど、まあ、それも今ならば、いい思い出だ。(時が経つとだいたいみないい思いでに変わるわな。)
初めて親元を離れ暮らし始めた。解放感と嬉しさと、、。それしかなかった。、、わーいわーい!な気分。母親は、私がホームシックにかかってるんじゃないかと心配し、毎日のように下宿に電話を掛けてきたが、いえいえ、わしゃ一ミリも寂しくありませんでしたのよ。
残念なことに、一年目はアパートではなく下宿生活だった。これも親が、独り暮らしは寂しかろうと、下宿に決めたのだ。が、この下宿がすごかった。超レトロ(つまりものすごく古い)な建物で、あとで聞いたら、建物の古さだけでなく、いろんな意味で有名な下宿だったのよ、、。名前は、Y田下宿。大家のおばさんが、これまたすごくて、女ゴルバチョフみたいな風貌で、手がグローブみたいにでかかった✋。、、実際彼女は厳しかった(;´A`)。下宿は二棟に分かれていて、一棟目(以下、Y田1と略す)に大家さんと予備校生二人、私が住んでたもう一棟(以下Y田2と略す)には、予備校生三人と大学生二人、、。大家さんも含め、全員女♀️。Y田1は水洗トイレ🚽だが、こちらY田2は、なんと懐かしや、ぼっちゃん式(汲み取り式🚺)よ(´゚ω゚`)。で、Y田1は大家さんが掃除してくれるんだけど、わしらのほうは、五人ローテーションで掃除するわけです、トイレ、廊下、など。トイレ掃除に当たると正直凹んでた、、🙍。風呂は1と2、それぞれにあるのですが、こちらY田2は五人だから毎日は入れなかったのだ。詳しい事は忘れたが、確か週三回とか、、。時間も決まってて、それを逃すともう、あきらめろと(;´A`)。下宿だから、自宅に住んでた時みたいに、風呂上がりにバスタオル一枚でアイス🍦片手に、あー、こりゃこりゃ、とかも絶対できないわけです。Y田2の風呂は時々故障する事があり、そん時はY田1の風呂に入れてもらうのですが、タイル敷のなかなか風情のあるレトロな風呂でした♨️。
Y田1にいた浪人生二人は、秋田県1の進学校から来ていた方たちで、目指す大学も確か津田塾とか奈良女子大学とか、何かすごいとこだった。しかも、二人とも美人さん💝(さすが秋田!)。後に知る事になるのだが、同じ秀才でも、この二人のタイプは、正反対、まるで違ってた。私は、この二人をかなり興味深く見つめてた気がするなあ。
一方Y田2の方は、と言うと、これがまた(自分も含め)超個性派揃い。同郷の人間が一人いたが、この子は地元の国立大を目指していた。素朴で暖かな人だった。下宿人のなかで一番話したのは彼女だったかもしれない。
さて、、そのY田下宿だが、結論を先に言えば私は、一年でその下宿を追い出されてしまったのだ。なぜ追い出されたか、は追々話してゆくとして、、。
Y田下宿に入居したはいいが、入居してあっという間に私は失望した。
下宿って(まあ、下宿により差はあるんでしょうが)守らねばならぬ事、規制が結構厳しいんですね。門限あるし食事時間、入浴時間などが細かく決められている。ぐうたらな私には、いやあ、ムリムリ(ヾノ・ω・`)って感じの事ばかり。初めのうちは、何とか守っていたのですが、もちませんでした、、(;^_^A。
、、Y田2は、下に二人上に三人だったのですが、上の真ん中の部屋でした。広さは六畳。部屋にテレビがなかったので(もともとあまり見ない方だったから、特に不便は感じなかった)、暇さえあれば音楽聴いてました。レコードプレーヤーもなかったのでひたすらカセットテープで聴いていました。入居して初めの頃、何を聴いていたか。、、
甲斐バンドとチューリップ、ビートルズ。実家から持ってきたのが多分この三つだけだったのです。
甲斐バンドは高校の時から、ビートルズとチューリップは中学の時から好きでした。
下宿の壁は薄く、しかも真ん中の部屋なので、両方の部屋に気を使わねばなりません。しかも、片方のかたは予備校生だから、一生懸命勉強するわけじゃないですか。そんな人の横で、甲斐バンドの、ポップコーンをほおばって、とか、きんぽうげ、とかをガンガンかけるわけにいかないじゃないですか。一方反対隣の1つ学年が上の大学生は、絵に書いたような美しい方で、わたしは彼女をエレガント、と勝手に呼んでました。クラシック好きでロックとかは聴かないかたのようで、、いづれにしても、遠慮してしまうわけです、、。が、その遠慮も最初だけだった。もちろん、ばかでかい音量では聴かないが、普通に音出して聴くようになっていった。特にクレームは来なかった、Y田大家以外からは。
カセット聴かない時はもっぱらラジオ聞いてた。
ラジオなあ、、今は滅多に聴かなくなったが、あの頃はNHKFMをホントに毎日聞いてたな。新しい歌の情報も、ラジオから仕入れて気がするな。、、
で、ある時、いつものように甲斐よしひろさんの、サウンドストリート、を聴いてた時に「えっ!なんだなんだ!この曲!すてきじゃないか!!」と思える曲が立て続けに流れてきた。何せ遠い日の事だから、記憶が少し違ってるかもしれないが、確か、甲斐さんが「これからこの人たちは必ず活躍するよ、すごくいい曲だよ、俺、大好き」みたいな人たちの曲を集めて流してたんだ。、、わたしは、その放送を確か録音したはずや、、。、、では、誰を流したのか。答え→佐野元春さん、HOUND DOG、他。他もものすごく良かったと思ったのだが、思い出せない。佐野元春さんと、HOUND DOGがキョーレツ過ぎたのだ。佐野元春さんは、アンジェリーナ、HOUND DOGは、嵐の金曜日。をかけたんだな
2曲とも今聴いても、胸がドキドキする。今も大好きだ。
佐野元春さんの都会的なかっこよさ、
大友康平さんの歌のうまさよ、、。
ああ、、。
手が疲れたため、今日はここまでにします。ちなみに、アンジェリーナは、今日も聴いたで。