昨日は雨が降りそうな曇りの一日で、ご来店のお客様はいらっしゃいませんでした。
展覧会中、接客のお仕事をさせていただくときには事務仕事は難しく、また事務仕事をしだすとお客様とのお話がしどろもどろになることが多いので、かえって今日は事務仕事の日として過ごせ良かったと思います。
先日ご紹介させていただいた今泉篤男著作集に徳岡神泉の章をみつけました。
「徳岡神泉の芸術」という章は1ページ半の短い文章ですので、ここに写させていただこうと思います。
徳岡神泉は現在日本画壇のなかで、他に彼の画風を追随する画家がほとんど見られないほど卓然としてユニークな存在だ。この画家の作風が独特な型式を持っているからというよりも、作情の微妙な深さと厚さは他の画家がまねようとしてまねることの出来ない神泉独自のものだからだろう。それは形と色彩の醸し出す一種幽玄の世界である。
若い頃、徳岡神泉は京都の絵画専門学校をおえたのち、文展に出品して何回か落選の憂き目をみた。その時に彼はなぜ自分の絵が落選するのか解からなかった。そして人と顔を合わせることも回避するような孤独地獄に陥った。
そしてただ一人、京都近郊の野山を歩き廻り、ふと名も知らぬ寺に立ち寄ったりした。そのとき、そこの安置してある仏像を見つめてじーっと対座しているとき、仏像と自分が溶け合うような主客一体の境地を経験した。この経験は仏像に対してだけでなく、その後野原の一本の樹木に向かい合っていても感じるようになったーと徳岡神泉は私に語ったことがある。
その主客一体に溶け合う境地に彼の描く「鯉」があり「菖蒲」があり「富士山」があるのだろう。だからこの画家の表現には、ふしぎに孤独な魂にくいいるしんしんとした深さがある。現今の多くの日本画の見せている単なる視覚的なきれい事に終わらないものがある。
彼は永年京都の等持院に近い質素な家に住みつき、ときたま画因を探して野山を歩くくらいで、ひっそりと画室に籠もったきりの日が多い。画室でも筆をとっている時間よりも、考え込んでいる時間が多いらしい。人と会っても寡黙である。挿話めいたものも全くない。この画家の日常である。ひたすらにひと筋の画想に打ち込み、悩み、考え続けては仕事に向かっている毎日であるようだ。その悩みがまた彼の作品に近代的な表情を加えているのでもあろう。きわめて寡作である。
徳岡神泉のような画家は、今後の日本画壇からは容易なことでは生まれてきそうに思われない。
徳岡神泉の孤独の日常を決して可哀そうなどとは思いません。
若い頃の落選の経験も、その後の孤独の生活も全て徳岡神泉という人に与えられた運命、天命のさせたことなのだろうと思います。それは神泉が心に望んだ画業だとも考えます。
そして、この著者の今泉さんの素晴らしいところは「その悩みがまた彼の作品に近代的な表情を加えている」という一文にあるように思います。
日本は近代化に歩みを進め始めたその時から、神泉と同じ「問題」を一様に抱え始めました。神泉の作品を私たちが今、とても魅力的に感じるのは、その問題や悩みが私たちの心底にふつふつと生きているからです。
現代ではその不安を挑発するような芸術、絵画も沢山ありますが、神泉はきちんとその不安に一つの答えを描き込んでいてくれる。私はそう思っています。その答えを求めてやまなかったこの画家の姿自体が神泉の作品です。それは毎日毎日一生懸命に生き、心ある画家が描いた日本画作品を眺めているうちに必ず見えてくるものだろうと思います。
夕方になってやっとおひとり東京からいらしたオークションにお勤めの女性がお立ち寄りくださいました。随分以前に佐橋のことを知り、それでもどのようにここに立ち寄ってくださろうか?お考えくださっていたそうです。お仕事を超えた、損得を超えたそういった皆さまがお寄せくださるお気持ちが、この店を作ってくれているのだろうと思い、私はいまそのことを強く信じられるようになりました。
今日はとりあえず目標にしていた最後の一日です。
大切に過ごさせていただこうと思います。
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