つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

トヨタ鞍ケ池記念館

2020年02月17日 | 日記・エッセイ・コラム
トヨタ鞍ケ池記念館さんは1974年(昭和49年)にトヨタ車生産台数累計1000万台を達成を記念して開館した博物館さんで
主な施設にトヨタ創業展示室、鞍ヶ池アートサロン、旧豊田喜一郎邸などがあります。












記念館内のアートサロンでは、いつもトヨタさん御所蔵の美術作品を展示していらっしゃいますが
名古屋から1時間かけて車で出かけ鑑賞させていただくには、規模が少し小さく感じるのがわかっていますので
近くに伺った時にだけ寄らせていただくようにしています。

昨日は弟のマラソンの完走をアプリで見届けてから出かけるのに丁度良いドライブコースになると思い、また今、近代美術作品を展示されているという情報を得、佐橋に運転をお願いしました。




二つのお部屋に和田英作のカーネーションなどの作品が飾られていました。

私が良いなぁと思ったのは岡鹿之介、藤島武二、アンケートに答え頂いた絵葉書の岡田三郎助でした。

(1番上の画像の絵葉書です。もう一枚の静物は中村彝作品です)

記念館の中に、トヨタ自動車の創業者豊田喜一郎さんが名古屋市八事に建てたという別荘が紹介されていました。






よく読むと、この記念館のある敷地内に移築されているという事。

今までそれは拝見した事がなかったので、少し坂を登って見学に行きました。








まぁ、御伽話や探偵小説に出てきそうな素敵なおうち。梅も咲いています。


お宅の中は定期的な公開でしか拝見できないそうなので、外を一周することに致しました。








鈴木禎二設計の天然石を使ったお宅は何とも優しい色合いで、煙突もミニ温室も洒脱に感じられました。


以下豊田喜一郎さん資料


豊田佐吉と佐原たみ(佐吉の妹の友人で最初の妻)の長男として生まれる。当時夫婦は東京浅草(千束村)に住んでおり、里帰り出産のため静岡県敷知郡吉津村山口(現在の湖西市山口)で生まれるが、出生3か月のとき、貧困の中家庭を顧みることなく発明に没頭する夫に愛想を尽かした母親が家出したため祖父母の家で育つ

3歳で父・佐吉の住む愛知県名古屋市(現・同市東区)に転居し、

東区武平町や西区島崎町、栄生町の工場内に住む。

のち名古屋市白壁町の家に住む。高岳尋常小学校、現・名古屋市立東桜小学校、

愛知県師範学校附属小学校(現愛知県教育大学附属名古屋小学校)、旧制明倫中学校(現愛知県立明和高等学校)、第二高等学校(現東北大学)を経て、1920年東京帝国大学工学部機械工学科卒業。


卒業後、父・佐吉の意向で、経営者になるため9月から東京帝国大学法学部で1921年3月まで学んだ。

その後地元の名古屋に戻った喜一郎は、豊田紡績に入社。1921年7月から1922年2月まで豊田利三郎夫妻とともにサンフランシスコ、ロンドンなどを視察しマルセイユから上海経由で帰国した。


父には発明より経営に重点を置くように指示されていたが、碧海郡刈谷町に試験工場を作り、自動織機の開発を開始。1926年に豊田自動織機製作所を設立し、常務取締役に就任。1929年から1930年4月まで欧米に出張し、当時、黎明期にあった自動車産業が将来大きく発展すると考え、1933年9月1日に豊田自動織機製作所内に自動車製作部門(のちに自動車部)を新設。

1936年に自動車製造事業法の許可会社に指定されたことから、これが1937年にトヨタ自動車工場株式会社として独立し、同年同社の副社長に就任。

1941年には社長に就任した。

1936年から事業のため一家で東京市本駒込曙町(現本駒)の借家に転居。

1938年、工場のために田畑を移すのを避けたいという思いから、愛知県西加茂郡拳母町(現・豊田市)の荒地だった58万坪の土地を取得し、自動車工場を建設した。

同年赤坂に家を買い転居したが、1945年5月に空襲により焼失。


名古屋市八事の別荘「南山農園」で終戦の日を迎える。終戦後は食料確保のため庭でドジョウの養殖や、ウズラの飼育を行った。

別荘はその後1997年まで豊田章一郎一家が住んだのち、トヨタ鞍ケ池記念館に移築された。


〜〜〜〜


戦後の食糧難の時代となると農園やドジョウやウズラの飼育まで試みたという喜一郎さんは、お若い頃には名古屋西区、東区と私どものいるお近くにいらしたのだと初めて知りました。

それにしても父佐吉さんから、自分のように発明に没頭せず、経営を学ぶよう言われても結局自動織機や自動車の開発に乗り出したという喜一郎さんは、やはり豊田家の血を継ぐ人物であったのだと実感。


そして、自動車の開発はこの別荘にも見られる美しさ、デザイン性に繋がるものだったのだろうという想像を膨らませる事ができました。


最後に豊田喜一郎さんの言葉が記念館さんに飾られていましたのでそれをご紹介させて頂きます。










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