雑賀孫市(まごーん)の中の人ブログ

まごーん(中の人)が独りでぼちぼち呟く。

閑散吉野と廃線川端貨物線とさくらライナー

2014年12月18日 19時52分31秒 | 旅行
ども…寒くて布団に籠城してます。まごーんやで。
今日は奈良県にかつて通っていた貨物線の跡を見に行こうと思い立ちまして、
橿原神宮前駅へ到着。橿原神宮もいったことないのでいずれはゆっくりと見てみたいですなぁ
これも橿原神宮前
同駅の吉野方面ホームへ行き、特急に乗ります。因みにこれは吉野線に1編成しかなく、かつてはお召し列車の大役を務めた車両です。
あとこれもなんか珍しいようですがよくわからないです。1980年代の特急車両?とか
そして吉野口駅へ到着。近鉄とJRが並ぶ珍しい感じ。
木造の駅舎です。
103系を改造した105-518です。万葉集のラッピングをされてます。
(2024年追記:乗車したのが105-518で、撮影しているのは104-501でした)
2両編成の可愛い感じです。
近鉄とJR。右の空いているところもJRです。
ウチが乗ったのも和歌山線なので、同じ形式のもの。運転席は解放的?



運転席がよく見えます。
五条駅に留置されてた車両。帰りになって駅から動きました。五条からは運転が引き継がれ、女性運転士になりました。
そして今回の目的がある大和二見に着きました。
そこから少し歩くと橋脚が!
レンガはイギリスの組み方だと思います。
綺麗に残ってます。
分かれ目?
石垣も残ってます。向かいのレンガ造りの橋脚。焼かれた跡?みたいな痕跡があります。
土手に登ってみました。奥の土手は削られているのがわかります。
枕木がありますね…結構、綺麗です。このあと、後ろの土手にも枕木(釘つき)が続いていました。いっそのこと線路を敷いてイベント列車とかしてみたらなんて思ったり…。
さて、そこから降りて、道路を歩くと、見えてきました。川端駅のホーム跡です。本当は右側にヤード跡があるのですが、立ち入り禁止となってました。
ホームには1959の刻印。
線路の端から眺めたところ。
そこから、駅へ戻り、駅に残っている
貨物線の跡へ今は駐輪場です。
そこから駅の単線へ続いています。

こちらはホームから撮ったもの。
ホームの反対側にも、廃線となった駅が…。貨物線のなんでしょうか?
奥にはポイント切り替えの形跡があります。

なんとも不思議な感じです。
そして、なんとなく理由も無しに、吉野駅へ向かいました。(本当に理由なかったんです)
すごいデザインのホーム。
駅舎。
名勝となっている吉野山。
ロープウェイ
アニメ「咲」のポスターやらが…
因みに、寒村とし過ぎて逆にすごいと思った。降りたのは自分の他にキャリーケースを引っ張ってた人が1人。さみしい…。
もちろん、ホームも閑散。
日中は急行と特急しかこない駅。なお急行は各駅停車のもよう。
帰りは折角なのでこれに乗りました。さくらライナーです!初めて乗った!
車内は貸切状態でした。

そのまま帰路へと、大変でしたが、さくらライナーは中々良かったです。E7系新幹線に乗ったことがありますが、アレの車内と比べても遜色はありませんでした。皆さんにもぜひ、一度乗車をお勧めします。

信州・佐久、丸子の城巡り(前川城、伴野城と丸子城)に先祖発祥の地へ

2014年11月05日 21時06分07秒 | 旅行
さて、こんにちはまごーんよ。
前回の続き!

↑これ。

えー、岩村田城の後に向かったのはウチの先祖の一人である小宮山氏発祥の地である南佐久郡小宮山区。つまりは信濃国佐久郡小宮山郷です。
武田の小宮山友晴の先祖もここです。発祥。
で、来ては見たものの新興住宅地で当時を偲ぶものは何もない(当たり前か)
一応、住所は長野県佐久市小宮山の小宮山。になる
この写真に写ってる山っぽいのは前川城の一部です。
そのあとは伴野城へ

伴野城の土橋と掘。

説明板。

土塁。かなり高いよ。

近くで見る。
伴野城の石碑。

その下の石垣は組み方から江戸時代のもの。

土橋

土塁と水堀。

室賀兄弟の石碑(昭和製)

紅葉も落ち目だけど、なかなか綺麗でした。小さい子供も沢山いたよ。
あとピンコロ地蔵なるものも…ありました。


其の後は丸子城へ。写真は丸子城全景。
下は安良居神社です。

一応、丸子城の居館跡(推定)です。

で、登り始めたら中々景色が良い。


櫓からみたニノ郭。

ニノ郭の復元櫓。

中はこんな感じ。雰囲気が漂ってる。

そしてここからの景色もまた良かった。浅間山が一望できる。

内村川(左)と依田川(右)



堀切りと土塁

本郭。土塁がわかりやすい

矢竹。真田特産。

丸子合戦について解説

丸子本郭の解説

井戸の跡地

本郭から依田川方面を望む

本郭下の段郭からみた本郭の土塁

段郭からもうひとつ下の段郭を見る

解説ばん。

本郭の先っちょ。かなり狭い。

そこからの眺め。

眺め2


ニノ郭から本郭までの道。狭い上に石がゴロゴロ。守りやすく攻めにくい。一歩間違えれば落ちる。德川もよくこんなところ攻めるわ…!

帰りはクルミおはぎ食べて一服。
あと丸子攻めの岡部長盛って東條内閣文部大臣の岡部長景子爵のご先祖様なのかな?
今度調べようと思う。

信州・佐久の城攻め巡り(大井城と岩村田城)

2014年11月03日 21時45分48秒 | 旅行
ども、今晩は。まごーんや。
今日は信濃国の佐久に来ました。
佐久市と言えばウチの先祖の1つ、小宮山氏の発祥の地。
なのでそのついで近くの城へ行けるだけ行こうかなと。
先ずは信濃国守護代の源姓大井氏の居城である大井城。

現在は王城公園になってます。


王城公園は大井城の主郭部分に相当し、眼下には湯川が見えます。かなり急な崖状になってます。
次は江戸末期の藩。岩村田藩1万6000石の藩庁である岩村田城(未完)

この岩村田城の石碑の真向かいにある岩村田小学校に本丸を作ろうとしてたようです。

因みに石碑の隣にあった祠。側面に内藤氏の家紋である下がり藤が描かれており、墓なのかもしれません。

次回へ続きます

奈良の城跡~超昇寺城~

2014年04月10日 09時51分06秒 | 旅行
おはよ、まごーんよ。
今日もこの前の興福寺行ったついでに行った佐紀城の行ったついでに行った超昇寺城のことをあげるで(ややこし)
超昇寺城は大和国の超昇寺の僧が武士化した超昇寺氏の本拠地です。室町後期~戦国期では公家や僧の武士化も例があり、中には大名として一国を支配した者もおります。例としては藤原五摂家の名門・一条氏が四国に一定の勢力を保持しており、また、藤原堂上家の名門・西園寺氏(同族の子孫には西園寺公望がいますね)などが同じく四国に勢力を持つなど、まさに実力派がのし上がる時代でした。
さて、この超昇寺城はさきの佐紀城から僅か200mしか離れておらず、セットで見ることをオススメしたいのですが…個人的にはオススメできません。何故なら、この超昇寺城、竹薮が凄いです。

超昇寺城の外郭の部分。
中はこんな感じで外から見ると全然入れる気配がありません。
別のサイトで西の土橋から入りやすいよ~。と書いてあり、地図を頼りに行くと…
土橋です。これだけ見ると入りやすいかと思われますが、その手前が竹の壁です。ちょっと苦労します。
超昇寺城は主に主郭、外郭の二構成で成り立つシンプルな戦国期の城です。この城は大和の北街道に位置するので、何度か史料に登場します。
また、空堀はかなり広く目測で3~4mぐらいはありました。隣に池があり、昔は水堀だったと考えられます。

土橋(入口)からみて右の空堀。ほとんど竹!ですが、なんとかわかるでしょうか…?これは実際に行けばわかりやすいです。二次元と三次元の限界…。

次に東側にある、櫓跡の土塁。空堀から見ました。この土塁もかなり高さがあります。

左から右にかけて、主郭土塁~空堀~櫓跡(外郭土塁)です。

んで、これが主郭土塁。その奥には住宅がたっており、そこも郭があったと考えられます。
以上です。お手製の見取り図書きましたので参考になれば

奈良の城跡~佐紀城~

2014年04月09日 18時23分24秒 | 旅行
こんばーんは!まごーんや!今日は興福寺行ったついでに行った佐紀城(さきじょう)の画像でもあげる。
佐紀城は平安時代に築かれた佐紀神社のところに築城され、大和国の国人、超昇寺氏の出城として機能しました。

佐紀城入り口付近の案内板。
佐紀城は出城としてもかなり狭いと感じました。城の周りは土塁で囲まれているのがすぐわかり、主郭と櫓、そして東側に副郭が存在し、その間に空堀がありますわ。

櫓跡の土塁ですが、わかりますかね…?

こっちの方が土塁と空堀があるのがわかりやすいかも知れません。

こちらが主郭付近。左には佐紀神社があります。
住宅地にあって城跡としての遺構が残っているので楽しめます。また、訪問も用意です。