読書の秋ですね。もはや秋どころか冬な気分ですが。
今日は本を紹介します。
『あの海あの空』という本で五一会というところが出したものです。
正木生虎というひとの署名があります。
これは海軍兵学校第51期生たちの回顧録でして、各人が色々なことを書いています。
海兵51期は日中、アジア・太平洋戦争下では少佐〜大佐の中堅将校として働いています。
代表的な人物は
大井篤(海上護衛総司令部参謀)
小園安名(厚木航空隊司令)
実松譲(駐米武官/米内光政正伝などの著者)
豊田隈雄(海軍戦犯関係の著者)
三代辰吉(軍令部参謀/大本営海軍部参謀)
渡辺安次(連合艦隊戦務参謀)
などが海兵51期です。
さて、署名をした正木さんは、この本の中に年譜式で自身の経歴を書いているのでそれを参考にどういう経歴か見て行きます。
M35 呉の庄山田村半原邸に生まれる。
M40 逗子に移る
私立市ヶ谷小学校
T4 広島県立三次中学校編入のち退学
T7 県立呉中学校へ編入
T9 海軍兵学校入学
T12.7 少尉候補生(海兵卒業)。磐手乗組。
T13.12 海軍少尉。15駆逐隊付
T15 海軍中尉。第14潜水隊附。呂26潜水艦乗組。
槇航海長(第二遣外艦隊)
S2 神通ケプガン、航海士、水雷士
S4 海軍大尉。通信学校高等科学生。
S5 結婚し、鎌倉に住む。通信学校卒業。蓬先任将校。
S6 阿武隈通信長。
S7.2.3 ウースン砲台と交戦し初陣。
S9 迅鯨通信長。病気引入。通信学校教官兼山城通信長。
S10 海軍少佐。のち八雲通信長
S12 鎮海通信隊司令兼鎮海要港部参謀。
張鼓峰事件に連絡参謀として参加
S13.12 第三戦隊参謀。
S15 海軍中佐。日向通信長。
S16.9 高松宮宣仁親王附武官
S17.11 通信学校教官(海軍通信学校教官兼海軍通信学校研究部部員、海軍大学校教官、海軍航海学校教官、海軍水雷学校教官、横須賀海軍砲術学校教官、館山海軍砲術学校教官、海軍機雷学校教官、海軍工機学校教官、海軍工作学校教官、海軍工作学校教官、横須賀海軍航空隊教官、海軍技術会議議員)。
通信学校で伏見博英らを教える。
S182.1〜3.8 レーダー巡回講習(大阪、柱島、呉ら佐世保、ニューブリテン島など)。
S18.10.1 海軍艦政本部第三部予算部員。
S19.6〜11 軍需省軍需官兼務。
S20.10 艦政本部第三部第一課長兼第二課長
S20.11.30 予備役即日召集。復員事務官。
S21.3 復員大臣官房電信課長。
S21.11.15 願いによって免官。長府船渠株式会社に就職。
S25.6 失業。その後、横須賀に住む。
S27 米国極東艦隊気象本部顧問。
S28 株式会社京三製作所入所(第二営業部)。
のち同製作所水中機雷部長、研究所兵器担当副所長、特機部長。
というような経歴です。
日中戦争で初陣し、アジア・太平洋戦争下は高松宮殿下の御付武官などもっぱら内地勤務で、戦後も第二復員省勤務となっています。
さて、この『あの海あの空』は以下の人物も投稿しています。参考に名前を。
雀部 利三郎
安延 多計夫
山田 盛重
広瀬 弘
豊田 隈雄
溪口 泰麿
実松 譲
吉井道教
原 道男
安井 保門
中島 忠行
稲葉 通宗
井上 勇
田上 明次
橋本 亘
三浦 義四郎
今日は本を紹介します。
『あの海あの空』という本で五一会というところが出したものです。
正木生虎というひとの署名があります。
これは海軍兵学校第51期生たちの回顧録でして、各人が色々なことを書いています。
海兵51期は日中、アジア・太平洋戦争下では少佐〜大佐の中堅将校として働いています。
代表的な人物は
大井篤(海上護衛総司令部参謀)
小園安名(厚木航空隊司令)
実松譲(駐米武官/米内光政正伝などの著者)
豊田隈雄(海軍戦犯関係の著者)
三代辰吉(軍令部参謀/大本営海軍部参謀)
渡辺安次(連合艦隊戦務参謀)
などが海兵51期です。
さて、署名をした正木さんは、この本の中に年譜式で自身の経歴を書いているのでそれを参考にどういう経歴か見て行きます。
M35 呉の庄山田村半原邸に生まれる。
M40 逗子に移る
私立市ヶ谷小学校
T4 広島県立三次中学校編入のち退学
T7 県立呉中学校へ編入
T9 海軍兵学校入学
T12.7 少尉候補生(海兵卒業)。磐手乗組。
T13.12 海軍少尉。15駆逐隊付
T15 海軍中尉。第14潜水隊附。呂26潜水艦乗組。
槇航海長(第二遣外艦隊)
S2 神通ケプガン、航海士、水雷士
S4 海軍大尉。通信学校高等科学生。
S5 結婚し、鎌倉に住む。通信学校卒業。蓬先任将校。
S6 阿武隈通信長。
S7.2.3 ウースン砲台と交戦し初陣。
S9 迅鯨通信長。病気引入。通信学校教官兼山城通信長。
S10 海軍少佐。のち八雲通信長
S12 鎮海通信隊司令兼鎮海要港部参謀。
張鼓峰事件に連絡参謀として参加
S13.12 第三戦隊参謀。
S15 海軍中佐。日向通信長。
S16.9 高松宮宣仁親王附武官
S17.11 通信学校教官(海軍通信学校教官兼海軍通信学校研究部部員、海軍大学校教官、海軍航海学校教官、海軍水雷学校教官、横須賀海軍砲術学校教官、館山海軍砲術学校教官、海軍機雷学校教官、海軍工機学校教官、海軍工作学校教官、海軍工作学校教官、横須賀海軍航空隊教官、海軍技術会議議員)。
通信学校で伏見博英らを教える。
S182.1〜3.8 レーダー巡回講習(大阪、柱島、呉ら佐世保、ニューブリテン島など)。
S18.10.1 海軍艦政本部第三部予算部員。
S19.6〜11 軍需省軍需官兼務。
S20.10 艦政本部第三部第一課長兼第二課長
S20.11.30 予備役即日召集。復員事務官。
S21.3 復員大臣官房電信課長。
S21.11.15 願いによって免官。長府船渠株式会社に就職。
S25.6 失業。その後、横須賀に住む。
S27 米国極東艦隊気象本部顧問。
S28 株式会社京三製作所入所(第二営業部)。
のち同製作所水中機雷部長、研究所兵器担当副所長、特機部長。
というような経歴です。
日中戦争で初陣し、アジア・太平洋戦争下は高松宮殿下の御付武官などもっぱら内地勤務で、戦後も第二復員省勤務となっています。
さて、この『あの海あの空』は以下の人物も投稿しています。参考に名前を。
雀部 利三郎
安延 多計夫
山田 盛重
広瀬 弘
豊田 隈雄
溪口 泰麿
実松 譲
吉井道教
原 道男
安井 保門
中島 忠行
稲葉 通宗
井上 勇
田上 明次
橋本 亘
三浦 義四郎
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