あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

トルコ・ベルガマ(ベルガモン)遺跡

2010-07-08 21:42:44 | トルコ旅行
 今日は、2010年5月20日(木)に訪ねた、ベルガマ(ベルガモン)遺跡を紹介
します。

==================================



 遺跡のあるベルガマは、かつて「ベルガモン」と呼ばれ、「第二のアテネ」といわ
れるほどに栄えたとのこと。

 アレクサンダー大王の遺産を継ぎ、紀元前281年に建設された、ベルガモン王
国の壮大な遺跡がアクロポリスで、遺跡はベルガマの丘陵地帯に残っていました。


 遺跡には、キョウチクトウがたくさん咲いています。


 ここは確か、水道施設だったと思われます。


 大理石の石柱の残るトラヤヌス神殿。王宮跡に造営されたもので、ローマ皇帝
ハドリアヌスが、先帝トラヤヌスに捧げたもの。


 遺跡は標高392mの山上にあり、眼下にベルガモの町並みが見下ろせます。




 きれいなアーチを見せる通路。

 
 丘陵の急斜面を利用して、扇形に造られた野外劇場です。

 観客席は80段あり、収容人員は1万人だったとか。


 ディオニソス神殿跡↓。 上の劇場の写真の、左手中ほどに見える白い一角です。

 
 劇場上部からの展望。


 ベルガモの周辺は、緩やかな丘陵が広がっています。




 石を巧みに組み合わせて造られたアーチ。このようなアーチはたくさん残っていま
した。


 遺跡の入場口のそばに、下からのロープウェイの山上駅の工事が進んでいました。

 左手の赤いテント群は、土産物を売る売店。その左に遺跡入場のチケット売り場
と入場口があります。

 ここにあった図書館は当時世界最大級で、エジプトのアレキサンドリア図書館に
対抗して、20万巻もの蔵書があったとか。
 
 この図書館に脅威を感じたエジプトが、パピルスの輸出を禁止したので、困った
ベルガモンでは、保存性の優れた羊皮紙を発明し、それにより蔵書数が飛躍的に
伸びたようです。
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トルコ・世界遺産トロイ遺跡

2010-07-07 17:58:37 | トルコ旅行
 5月18日(火)~25日(火)に出かけた、8日間のトルコツアーの日々のレポート
については、すでにアップしましたが、各々の観光地については、写真をかなり撮
ってきましたので、それら主要観光地のことをもう少し詳しく紹介することにします。

 初めは、2010年5月19日(水)に回った、世界遺産トロイ遺跡です。

==================================



 トロイは、トルコの隣国ギリシャの、有名な英雄叙事詩ホメロスの「イリオス」に語
られているトロイ戦争の舞台です。

 これを実在の都市と信じてきたのが、ドイツの考古学者シュリーマンでした。シュ
リーマンは私財を投げ売って発掘を続けた結果、1870人年遺跡を発掘しました。

 ここに初めての集落ができたのは、紀元前3000年ごろ。その後、繁栄と没落が
繰り返され、紀元400年までの間に、9つの時代の都市層が重なり合っており、
それら9層の様子を見ることができるところもありました。



 城門の入口は、左に曲がるとさらに狭くなっていて、外敵が来ても防御しやすい
ようになっていたとのこと。


 遺跡の高台に上がると、周辺の広々とした展望が広がります。黄色いのは、収穫
期の近い麦畑です。


 遺跡が古代都市だった当時は、川の辺りまで海が迫っていたようです。


 6日間一緒に回って、豊富な知識でガイドしてくれたハイダルさん。


 修復する費用が出せず、放置したままになっているものも、たくさん見かけられ
ました。


 上部は復元し、下部は当時のままのレンガ塀。


 9層にわたって重なっているという、違う時代の都市層が見られるところ。


 下から上へ、Ⅱ層、Ⅲ層、Ⅳ層の表示が見られます。


 別の方向の展望。


 途中から、ガイドのハイダルさんに先行して、ワンちゃんが先導してくれました。
ワンちゃん(左下)も、ハイダルさんの説明を聞いています。


 向こうに見える小山も、歴史があるようですが、どんなことだったか忘れました。


 大劇場の跡です。手前がステージになっていました。


 真ん中が通路で、下を水路が流れていたようで、その一部が見られます。


 遺跡の入口付近に実ったクワの実。トルコではクワの実もフルーツとして食用に
供しているようです。これはまだ完熟前ですが、熟しても白いままのよう。


 やはり入口にある、トロイ戦争の「トロイの木馬」の巨大な復元木馬。窓から顔を
出している人で、大きさを想像して下さい。

 1975年に復元したものですが、当時のものがこのような形だったかどうかは、
定かではないようです。

 トロイ遺跡については、下のウェブサイトをご参照下さい。

 トロイ遺跡(イリオス遺跡)
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トルコ旅行第7日(イスタンブール クルージングと旧市街)その2

2010-06-03 10:44:45 | トルコ旅行
 2010年5月24日(月) (続き)

 イスタンブール、ボスフォラス海峡のクルージングは、われわれだけの貸し切り
船で、ゆったり沿岸の風景を眺めながら進む。

 次々に現れる建造物などを、ガイドのハイダルさんが、船内の放送設備を利用
してガイドしてくれるのだが、メモをせず聞き流してしまった。これもプールが見え、
高級ホテルのひとつのようだ。

 
 沿岸には次々にきれいな建物が現れ、目が離せない。




 第1ボスフォラス大橋が近づき、その下を通過する。橋の近くにあるオルタキョイ
モスク。1855年に皇帝アブドゥルメジットが造ったものという。

 トルコ共和国建国50周年記念に建設した第1ボスフォラス大橋は、1973年10
月に完成した。

 そう大きくはないが、スマートな船が停泊していた。

 トルコ革命の指導者でトルコ共和国初代大統領となった、アタテュルクの持ち物
だったが、現在はホテルとなり、クルージングにも用いられているという。

 海岸から斜面上部まで、見栄えの良い集合住宅が並んでいる。


 1452年、オスマン帝国のメフット2世が、コンスタンチノーブル攻略のために築
いた要塞、ルメリ・ヒサール。

 1,000人の棟梁と2,000人の土木工を使い、4か月で完成したという。

 ボスフォラス海峡の最狭部にかかる第2ボスフォラス大橋。1988年完成し、工事
には日本企業も合同参加している。

 水面からの高さ64m、全長1.510m、幅39m、橋脚間の距離は1,090m。

 第2ボスフォラス大橋の先で折返し、帰路はアジアサイド寄りに戻った。帰りは
向かい風が冷たいので、窓のある下のデッキに下りて中から眺めた。

 再びバスで、旧市街に向かう。ガラタ橋付近を走るトラム(市街電車)。2両連接
車両2組で1編成として運行されていた。


 ツアーの最後は、イスタンブール市旧市街にあるグランドバザールへ。

 この通りを中心に、両側に迷路のように通りが入り組み、4,000もの店が並んで
いるという。1時間あまりの自由時間となり、思い思いに散策や買い物に回る。

 左側の枝通りに入ると、迷路から出られなくなる恐れがあるので、中央の通りか、
右側の枝通りに入ったら並行する通りだけを回るよう、ガイドに言われ、約1時間
回ってみる。

 ここは、照明器具を販売する店。


 メインの通りは、ずっと先までかなり混雑している。


 入口付近に圧倒的に多かったのが宝飾店。こんなに並んでいても商売になるの
だろうかと思われたが、立派に成り立っているらしい。


 歩いた範囲では、宝飾店のほか、土産物、アクセサリー、照明、カバンや革製品、
衣料品などの店が多かった。

 このグランドバザール、日曜日は休館だという。ここで、全ての観光スケジュール
を終える。

 海峡そばのレストランで最後の昼食をして、イスタンブール空港に行き、18時30
分発のトルコ航空TK50便で帰途へ。

 機体の整備不良なのか、搭乗後も座席の前にあるディスプレイや、機内の照明が
点いたり消えたりを繰り返してやきもきする。

 予定より約1時間40分遅れ、20時10分にようやくイスタンブール空港を離陸した。
機内泊して翌日、5月25日(火)13時5分に成田空港に着き、無事帰国する。

 
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トルコ旅行第7日(イスタンブール クルージングと旧市街)その1

2010-06-02 21:50:55 | トルコ旅行
 2010年5月24日(月)

 トルコ旅行も最終日を迎えた。朝食をしたコンラッドホテルのレストランから見え
るボスフォラス海峡方面。 


 今日の予定だったタクシム広場とイスティクラール通りの散策を、昨日済ませたの
で、時間の余裕がとれた。ゆっくりと9時40分にホテルを出て、新市街を海際に下る。


 今日最初の観光は、ボスフォラス海峡のクルージング。 新市街と旧市街を結ぶ、
ガラタ橋近くの船着場に行き、この↓船に貸しきりで12人が乗り、約1時間半、海
峡からイスタンブールの市街を眺める。


 ガラタ橋の周辺には幾つもの観光船が発着場があり、世界中からの観光客がクル
ージングを楽しめる。


 ガラタ橋の上には、たくさんの釣り人が竿を垂れているのが見える。下は、レスト
ランになっているようだ。


 船はまず新市街に沿って、第1ボスフォラス大橋に向かう。

 向こうに見えるのが第1ボスフォラス大橋。 イギリスとドイツにより1973年に、この
海峡に初めて架けられた橋で、全長は1,569m、幅33m、橋脚の高さ165m、水面
からの高さは64mだという。


 新市街の大型波止場には、外国からの大型客船が停泊していた。前週には日本
から飛鳥が来たとか。 もっと大型船舶も来るらしい。

 このような観光船が来ると、旧市街の世界遺産周辺は大変混雑すると、ガイドの
ハイダルさんは言われた。

 海岸には、高級ホテルらしい、しょうしゃな建物が目につく。


 往路は皆さんデッキに上がって、ちょっと冷たい風を浴びながら、次々に移り行く
風景に目をこらす。


 ドルマバフチェモスク。1853年に完成したもの。


 モスクに続くドルマバフチェ宮殿。海峡に点在する建物の中で、最も豪華絢爛(けん
らん)といわれている。


 昨夜宿泊した、コンラッドホテルも間近に見える。


 ベシクタシの桟橋にも、観光船が停泊していた。


 プール付きのホテルらしい。


 これも宮殿のひとつ。


 そろそろ、第1ボスフォラス大橋が近づいてきた。 (続く)
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トルコ旅行第6日(世界遺産カッパドキアからイスタンブールへ)その2

2010-06-01 23:03:57 | トルコ旅行
 2010年5月23日(日)続き

 午後の、世界遺産イスタンブール歴史地域の訪問は、歩いて回った。観光客で
にぎわう公園を横切ると、次に訪ねるブルーモスクが見えてきた。


 これは、別のモスクのようだ。


 噴水の先まで回ると、いま訪ねたアヤソフィアが全容を見せてくれる。


 ここがブルーモスクの入口。広さ約2,700㎡、高さは約43m、ドームの直径は
約22.5mある。

 ブルーモスクは、オスマン帝国時代のアフメット1世により1616年に完成した。
神学校、貧民救済のための簡易食堂、隊商宿などを兼ねた総合施設だという。

 中に入ると、大ドームの下の低い位置に、たくさんの照明が灯っていた。当時は、
ここにロウソクが点されていたとのこと。


 ドームの上部の細部までタイルが使われていて、使用されたタイルは全体で2万
1千枚余りになるという。


 壁面にはいろいろなデザインのステンドグラスがはめ込まれ、これはその1枚。


 現在も礼拝用のモスクとして使われていて、柱の下に座っているのは礼拝者で、
メッカの方向に向かって礼拝する。

 1日5回の礼拝の時間には見学できず、いま礼拝している人は、その時刻に遅れ
て後から礼拝に訪れた人らしい。

 ブルーモスクを出て、ディキリタシと呼ぶオベリスク(古代の祈念碑)の前に行く。

 イスタンブールで最も古い祈念碑で、紀元前15世紀にエジプトのファラオ・トトメス
3世が、メソポタミアの勝利を記念して造らせたものという。 うっかりすると通り過ぎ
てしまいそうだが、3,500年も前のものなのだ。

 ピンク色の花崗岩製で、重さは約300トン、現在の高さは20mとのこと。

 歴史地域の観光を終えて再びバスに乗り、旧市街から新市街に回って、新市街
の中心地であるタクシム広場で下りる。

 広場の中心には、トルコ革命の勝利を記念して1928年に完成した、高さ12m
の「共和国の記念碑」が立っている。


 ここで自由時間となり、イスタンブール随一の繁華街であるイスティクラール通りを、
1時間余り散策することとなる。

 タクシム広場からは、イスティクラール通りを往復する、レトロな市街電車が走って
いた。  


 イスティクラール通りは、タクシム広場から南西に約1.5㎞伸びている。広場から
通りに少し下ると、まず、その人の多さに驚かされる。


 前に進もうとしても、向こうから来る人とかち合ったりして、急いで歩くことはでき
ない。ここは、流れに任せて歩くしかない。


 もらった地図よりかなり先まで行ってしまい、時間を見て折返したが、現地確認が
できず、一時あせった。でも、同じ通りを戻ればよいのだから心配はない。

 通りの両側には、かなり歴史を感じさせる建物も、幾つも残っている。

 20時過ぎ、タクシム広場からバスで少し移動して、最後の晩餐は、トルコの伝統
舞踊とベリーダンスの鑑賞となる。

 400~500人くらい入っているかと思われる、広いホールにいっぱいの観光客が
食事をしながら、ステージでの民俗音楽の演奏と踊りを鑑賞する。

 この日は、アラブから150人の大団体客が来たとかで、特別に「セマー」と呼ぶ、
メヴラーナ教団のくるくると旋回する、祈りの儀式という舞踊を見せてくれた。 


 後半は、呼び物のベリーダンス。激しく妖艶な踊りを、2人のダンサーが熱演した。

 ショーはこのあともまだ続くようだが、22時を過ぎたのでホテルに向かった。

 ツアー最後の宿は、ボスフォラス海峡を見下ろす新市街の高台にあるコンラッド
ホテル、アメリカのオバマ大統領も最近泊まったという。

 ホテルに入ったのは23時近い。 この日は朝9時に出発して14時間近い観光、
オプショナルツアーに参加した人は5時前からだから、さらに長い観光に明け暮れ
た1日だった。
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トルコ旅行第6日(世界遺産カッパドキアからイスタンブールへ)その1

2010-05-31 12:38:37 | トルコ旅行
 2010年5月23日(日)

 前夜、カッパドキアの洞窟ホテルに泊まり、この日はいつもより遅めの出発だった
ので、朝食前にホテル周辺の散策に出る。

 ホテルの前には、私たちの乗って来たVIPバスのほかに、同様のバスが2台待機
していた。


 出発が遅いのは、早朝5時前に出発して気球の上からカッパドキアを眺める、オプ
ショナルツアーに参加する人があったから。

 その気球が幾つか上がっている。ホテルの上空までは来なかったが、一時は10
基くらいが見えた。ツアーに参加した人の話では、数十基上がったらしい。 

 このツアーは人気が高く、同じころ散歩していた韓国のご夫妻は、前日に申し込
んだが、すでに満員だったという。1基には、20人以上乗れるらしい。

 ちなみに、オプショナルツアーの参加費は、1人185トルコリラ(約12,000円)に
なる。

 洞窟ホテルを9時に出発し、最初に、近くの陶器工房に行く。

 まず、足でろくろを回してつぼを造る様子。つぼを造った後、ピッタリとしまるふた
も造って見せてくれ、その精緻な技術に感心する。


 その先の部屋では、数人の職人さんが皿に精巧な絵を描いていた。


 直売店には、色彩もデザインもすばらしい製品が、たくさん並んでいる。


 カッパドキアでの観光を終え、レンガ造りに適した赤土の多い、川沿いを北西に
17㎞ほど進んで、ネブシェヒルの空港に行く。最近できた新しい空港である。

 空港で、5日間1,900㎞前後に及ぶバス移動にお世話になった、2人のドライ
バーさんに分かれ、12時5分発のトルコ航空の国内便TK2009便にてイスタン
ブール空港に向かう。 搭乗機種はB737-800↓。 

 イスタンブールまでは、約1時間、650㎞のフライトである。

 イスタンブールに着き、午後は、ヨーロッパサイドにある世界遺産イスタンブール
歴史地域へ。その最初はトプカプ宮殿に行く。

 宮殿には庭を挟んだ3つの門があり、これは最初の皇帝の門。

 トプカプ宮殿は、オスマン帝国歴代スルタン(君主)の居城で、政治の中枢として
370年の歴史を重ね、現在は博物館として公開され、年間150万人が来訪すると
いう。 

 館内の観覧を前に、まずは昼食に。食堂は、ボスフォラス海峡を見下ろす景勝の
場所にあった。


 向こうに見えるのは、全長1,569mの第一ボスフォラス大橋。


 昼食後、1時間ほどの自由時間となり、各々が見たいところを回る。歴代スルタン
の宝飾品や、玉座、宝石などを展示する宝物殿は、展示物を3重、4重にも囲む人の
群で大混雑していた。 隣の衣裳展示室にも入る。いずれも写真撮影は禁止である。



 次に日本館をかけ足で回って仏像や書物、衣裳などの展示を見る。
  


 最後に、謁見の間に入る。ここは撮影可能だった。


 トプカプ宮殿の次は、「聖なる叡智の聖堂」を意味するアヤソフィアへ。537年
に再建されたもので、ビザンチン聖堂の大傑作といわれている。


 中に入ると、大きなドームと華麗な色彩に包まれた広い空間に圧倒される。

 ドームの高さは55.6m、直径は31~33m、世界でも5番目の高さのドーム
とか。


 石畳のスロープにより2階に上がると、幾つかのモザイク画を間近に見ることが
できる。これはその一つ、キリストと女帝ゾエ夫妻像。


 17時半を過ぎたが、次の世界遺産に向かう。 (続く)
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トルコ旅行第5日(コンヤから世界遺産カッパドキアへ)その2

2010-05-30 12:20:58 | トルコ旅行
 2010年5月22日(土) 続き

 カッパドキア観光、昼食後の最初は、バスで10分ほどのラクダ岩へ。 

 本当にラクダによく似た岩だが、これも自然の造形によるもの。

 カッパドキアの地層は、数億年前の噴火により火山灰と溶岩が積み重なって、凝
灰岩(ぎょうかいがん)や溶岩層となり、各層により硬度の異なる砂岩が、雨や風で
長い間に浸食され、このような不思議な形の岩が生まれたという。

 さらにバスで10分足らずのところには、「キノコ岩」と呼ばれるキノコのように林立
する岩が立ち並んでいる。 


 さらに15分ほど移動してギョレメ野外博物館に行く。

 ここも、4世紀ごろから住むようになったキリスト教徒が、9世紀ごろから強まった
イスラムの圧迫から逃れるために、岩を彫って教会や修道院を造ったといわれる
ところ。


 教会は400~500くらいあったというが、現在はそのうちの約30が野外博物館
として公開され、壁面や天井には、このようなフレスコ画の残るところもある。


 いろいろな国からの観光客で溢れ、少し待っていないと入れない洞窟もあった。


 野外博物館からの周辺の眺め。


 ギョレメの高台にある展望台に上がると、カッパドキア中心部の展望が広がる。


 向こうの平らな台地は、ローズヴァレー(赤い岩)と呼ばれている。


 最初に訪れたウチヒサールの、城塞だった巨岩も見える。


 今日の最後は、この展望台の下にある洞窟住居に今もも暮らす一般家庭を訪ね、
トルコティーをいただいた。

 このお宅の奥様は、ご自身でじゅうたんを緒っておられ、部屋に敷いてあるじゅう
たんも、全部奥さんの手作りだという。


 お茶をいただいた後、奥さん(後列左から2人目)や、今回通しで現地ガイドを
していただいたハイダルさん(後列左端)とともに、全員で記念撮影をする。

 この中には、新婚旅行の2ペアと、金婚のペアも居らた。

 上の展望台からは、眼下のギョレメにある洞窟を利用したホテルや住居もよく見
える。

 私たちがこの日泊まったのは、右手中ほど、3,4段に見える洞窟ホテルだった。
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トルコ旅行第5日(コンヤから世界遺産カッパドキアへ)その1

2010-05-29 21:16:09 | トルコ旅行
 2010年5月22日(土)

 トルコで一番広いコンヤ平原の、中心都市コンヤ郊外のホテルを7時に出発し、
これもトルコで一番直線区間が続くという、国道D300号を東北東に向かう。

 この道路は、かつてのシルクロードでもあり、周辺は麦の穀倉地帯で、近くで
世界一古い時代の麦が発見されたとのこと。

 シルクロードには、かつては遠くても50㎞ごとには隊商宿があり、政府の政策
で当時の商人は、2日間は無料で泊まれたという。

 今も残る隊商宿のひとつ。沿道にはほかにも、修復した隊商宿などが幾つか見
られた 


 最初は右手の一番高い山が富士山のようにひとつだけ見えたが、進むにつれて
3つのピークを見せるようになった。ピークの標高は2,000mを超えている。 


 コンヤから230㎞ほどで、世界遺産カッパドキア地方に着く。カッパドキアは、
紀元前15~12世紀ごろにはヒッタイト王国の中心地として栄えたという。

 カッパドキア地方は、行政やビジネスの中心都市ネブシェヒルなど、南北約50
㎞に広がっており、この日は、その中にある幾つかの地域をめぐった。

 最初の下車地、カイマルクが近づき、山の斜面の岩を利用した住居群が見え
てきた。


 まず訪ねたのが、カイマルクの地下都市。キリスト教徒がアラブの迫害を逃れる
ために造ったといわれ、多いときには5,000人以上が暮らしたという。

 地下都市の内部は地下8階まであり、外気を取り入れる換気設備、台所や厨房、
食料庫やワイナリー、教会など、生活をするための施設が整っていたようだ。

 複雑な地下通路を上り下りして、その一部を回ったが、よくもこのように迷路の
ような穴を掘削して、大きな地下都市を形づくったものだと感心させられる。

 地下都市のそばにある観光客向けの露店。この先のどこにも、似たような店が
あった。




 次の目的地への途中、この地方の特産品のひとつ、じゅうたん工房に寄る。

 トルコじゅうたんの織り師たちの実演を見た後、トルコじゅうたんの特徴などの
説明を受け、多彩な彩りのじゅうたんの数々を見せられ、買うよう勧められる。

 丈夫なことと彩りの素晴らしさは良く分かったが、お値段はわが家では買える
ようなものではないので、全く買う気はなかった。

 だが、この部屋に、われわれツアーメンバー12人より多いセールスマンが集
まり、ひとりずつ執拗に声をかけてくる。買わなければ部屋から出さないのでは
ないかとさえ思われ、私にとっては不快なところだった。

 結局一人の方が、玄関に置きたいというじゅうたんを1枚買って解放?され、店
を後にした。


 次は、カッパドキア一帯では一番高所にある小さな村、ウチヒサール。村の中心に、
敵の侵入を防ぐ城塞としたという大きな岩山がそびえ、周辺に幾つもの岩窟住居が
見られた。


 眼下に、この周辺に産出する赤土を利用して造る、レンガ工場↓を見下ろす、丘の
上のレストランで昼食をする。

 
 昼食後も、カッパドキアの奇岩群の幾つかをめぐる。(続く)
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トルコ旅行第4日(世界遺産パムッカレからコンヤへ)

2010-05-28 17:36:17 | トルコ旅行
 2010年5月21日(金)

 パムッカレのホテルを7時半に出て、まずは近くの高地にある世界遺産、古代都市
ヒエラポリス遺跡に行く。


 ヒエラポリスは紀元前2世紀ころ、良質の温泉の周囲に建設された都市と考えられ
ているという。一時地震で町が崩壊したが、皇帝ネロの時代に再建され、2~3世紀
には人口10万を超えるローマ地方都市として復活したようだ。


 ヒエラポリス遺跡のあるパムッカレとは、トルコ語で「綿の城」を意味し、長い年月を
経て凝結した温泉の石灰岩が、綿の城のような広大な石灰棚となった珍しい光景が
見られる。

 石灰棚は、長さ約3㎞、厚さは300mあり、ふもとの平地から100mほどの高さ
のところにできている。

 観光客は石灰棚に、はだしで入って、温泉の流れる細い溝に足を浸して足湯を
体験できる。 ただ、温泉の流れの底はぬるぬるしているので、滑らぬよう注意が
必要だ。


 高台に広がるヒエラポリス遺跡からは、眼下の町並みや広大な平原、はるか向こ
うの残雪の山並みまで一望できる。


 緩やかな山の斜面の広いエリアに、古代都市の遺跡が残っていた。




 紀元206年に完成したという劇場。観客席の直径は100mあるという。


 遺跡の一角にはアンティックプールがあり、たくさんの観光客が温泉に浸かっていた。

 でも、日本人らしい姿は見えない。日本から観光ツアーは、ここで温泉に浸る
だけの時間のスケジュールがなく、かけ足で次の観光地に向かうようだ。

 パムッカレの観光を終え、バスは東に向かう。近づいてきた2000m級の山の
上部には残雪が見える。


 このあたりは一面麦畑が広がる。1000mを超える高地なので、収穫はもう少し先
になりそう。


 一面の白い花はケシ、麻薬を造るわけではなく、花の種を収穫してパンや香辛料
などの食品として使う。麻薬に転用されぬよう、耕作に当たっては面積を報告して
許可を得て栽培し、収穫期には検査があるらしい。


 バスはパムッカレから約410㎞走り、トルコでも最も敬虔(けいけん)な回教徒の
多いというコンヤの市街地に入り、メヴラーナ博物館に入る。

 館内は撮影禁止で、中にはメヴラーナ教の創始者の棺や、教団の衣裳、儀式用具
などが展示されていた。

 構内にあるメヴラーナ教の墓。


 博物館のそばにあった陶器店の、外に並ぶ陶器の数々。


 この日の最後は、コンヤの郊外にあったスーパーマーケットでの買い物。町の人
たちがどんなものを購入しているのかが良く分かり、土産店より安い買い物もできる。


 コンヤでの今夜の宿は、スーパーに近いリクソス(RIXOS)という25階建ての
高層の新しいホテルだった。

 コンヤの人口は約80万人、セルジュク帝国の首都だったところで、この近くには
セルジェク大学があるとのことで、市の中心とを結ぶ市街電車が、ひんぱんに走っ
ていた。

 
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トルコ旅行第3日(ベルガマ遺跡とエフェソス遺跡へ)

2010-05-27 22:00:49 | トルコ旅行
 2010年5月20日(木)

 地中海に面したトルコ西部の町、アイヴァリクに泊まり、この日は朝7時にホテル
をバスで出発した。

 間もなくすぐ左手に水を張った塩田が現れ、野生のフラミンゴがたくさん見える。

 塩田には、右手のエーゲ海から海水をくんで天日により濃縮し、塩を造るという。

 最初の目的地ベルガマに近づくと、金を採るために掘った土を盛り上げた、木の
ない小山が幾つも見られた。このあたりでは、1トンの土から3グラムの金が算出
されるとのこと。

 また、ベルガマはトルコ石の産地とのことで、トルコ石の販売店に立ち寄る。女性
の何人かは、トルコ石のアクセサリーを購入した。


 きょう最初の観光は、ベルガモ(ベルガモン)遺跡。紀元前283年から約150
年間、栄えたという。城壁の下に咲くのはキョウチクトウ、この花もあちこちで見た。


 大理石の柱が残るトラヤヌス神殿。


 ベルガモ遺跡は、標高392mの山上にあり、眼下のベルガモの市街や、周辺の
山並みなどが一望できる。 曇りがちの午前中で、ちょっと寒かった。


 丘の斜面を利用して造られた大劇場。世界一急斜面の劇場といわれ、収容人員は
約1万人だったという。


 きれいなアーチの続く通路。


 ここでは本の材料としてパピルスの代わりに、保存性の良い羊皮紙が用いられる
ようになったとのこと。

 遺跡の入口付近では、下の町並みから上がるロープウェイの、山上駅の建設が進
んでいた。

 バスは、地中海に近い道筋を南に向かう。途中の都市イズミール(IZMIR)でも、町
並みの背後の斜面に、新しい集合住宅の建設が進んでいるのが見えた。

 イズミールはトルコ第3の都市で人口は350万人、周辺はブドウ畑が多く、種なし
の白いブドウが収穫できるとのこと。また、美人の多い都市で、毎年の美人コンテスト
には上位入賞者が続いているという。

 町並みを抜けると、松に覆われた山の斜面や、オリーブ畑が続く。

 オリーブは、トルコの重要な産物のひとつで、世界第3の産地とか。樹齢400年
くらいまでは実を収穫でき、11月の収穫期には、ほかの地方からの季節労働者が
たくさんやってくるという。

 ベルガマから約190㎞南下して、次の観光地エフェソス(エフェス)遺跡の見える
ところで昼食をした。 昼食地から望むエフェソス遺跡↓。


 この遺跡の黄金期は、ローマ帝国支配下の紀元前130年ころで、人口20万人
の世界最大級の都市だったという。 


 山の斜面に造られた大劇場。紀元前3世紀に造られ、ローマ時代に増築されて、
72段あり収容人員は2万人を超えたという。

 音響効果も抜群で、左下の舞台で話す声は確実に最上段まで聞こえたとか。私
たちも舞台から「さくら」を合唱したところ、上の方から拍手があった。

 図書館(左)と南門(右)。エフェスノシンボルともいえる図書館は、1階と2階では
異なる様式で造られている。


 大劇場の全景。午前のベルガマ遺跡では少し寒いくらいだったが、ここでは好天
となり暑さを感じ、日陰が欲しかった。また、観光客の多いことも目についた。


 地中海に近いエフェスから東へ、緩やかで広大な谷間を185㎞ほど進み、パムッ
カレの宿が近づいてきた。


 この日は、温泉プールや温泉のあるPOLAT THERMALというホテルに泊まる。

 ホテルの食堂から望む入り日。ちょうど20時だった。
コメント
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