今日は、2010年5月20日(木)に訪ねた、ベルガマ(ベルガモン)遺跡を紹介
します。
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遺跡のあるベルガマは、かつて「ベルガモン」と呼ばれ、「第二のアテネ」といわ
れるほどに栄えたとのこと。
アレクサンダー大王の遺産を継ぎ、紀元前281年に建設された、ベルガモン王
国の壮大な遺跡がアクロポリスで、遺跡はベルガマの丘陵地帯に残っていました。
遺跡には、キョウチクトウがたくさん咲いています。
ここは確か、水道施設だったと思われます。
大理石の石柱の残るトラヤヌス神殿。王宮跡に造営されたもので、ローマ皇帝
ハドリアヌスが、先帝トラヤヌスに捧げたもの。
遺跡は標高392mの山上にあり、眼下にベルガモの町並みが見下ろせます。
きれいなアーチを見せる通路。
丘陵の急斜面を利用して、扇形に造られた野外劇場です。
観客席は80段あり、収容人員は1万人だったとか。
ディオニソス神殿跡↓。 上の劇場の写真の、左手中ほどに見える白い一角です。
劇場上部からの展望。
ベルガモの周辺は、緩やかな丘陵が広がっています。
石を巧みに組み合わせて造られたアーチ。このようなアーチはたくさん残っていま
した。
遺跡の入場口のそばに、下からのロープウェイの山上駅の工事が進んでいました。
左手の赤いテント群は、土産物を売る売店。その左に遺跡入場のチケット売り場
と入場口があります。
ここにあった図書館は当時世界最大級で、エジプトのアレキサンドリア図書館に
対抗して、20万巻もの蔵書があったとか。
この図書館に脅威を感じたエジプトが、パピルスの輸出を禁止したので、困った
ベルガモンでは、保存性の優れた羊皮紙を発明し、それにより蔵書数が飛躍的に
伸びたようです。
します。
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遺跡のあるベルガマは、かつて「ベルガモン」と呼ばれ、「第二のアテネ」といわ
れるほどに栄えたとのこと。
アレクサンダー大王の遺産を継ぎ、紀元前281年に建設された、ベルガモン王
国の壮大な遺跡がアクロポリスで、遺跡はベルガマの丘陵地帯に残っていました。
遺跡には、キョウチクトウがたくさん咲いています。
ここは確か、水道施設だったと思われます。
大理石の石柱の残るトラヤヌス神殿。王宮跡に造営されたもので、ローマ皇帝
ハドリアヌスが、先帝トラヤヌスに捧げたもの。
遺跡は標高392mの山上にあり、眼下にベルガモの町並みが見下ろせます。
きれいなアーチを見せる通路。
丘陵の急斜面を利用して、扇形に造られた野外劇場です。
観客席は80段あり、収容人員は1万人だったとか。
ディオニソス神殿跡↓。 上の劇場の写真の、左手中ほどに見える白い一角です。
劇場上部からの展望。
ベルガモの周辺は、緩やかな丘陵が広がっています。
石を巧みに組み合わせて造られたアーチ。このようなアーチはたくさん残っていま
した。
遺跡の入場口のそばに、下からのロープウェイの山上駅の工事が進んでいました。
左手の赤いテント群は、土産物を売る売店。その左に遺跡入場のチケット売り場
と入場口があります。
ここにあった図書館は当時世界最大級で、エジプトのアレキサンドリア図書館に
対抗して、20万巻もの蔵書があったとか。
この図書館に脅威を感じたエジプトが、パピルスの輸出を禁止したので、困った
ベルガモンでは、保存性の優れた羊皮紙を発明し、それにより蔵書数が飛躍的に
伸びたようです。