すでに2か月以上になり、遅くなりましたが、昭和の日の4月29日
に歩いた葛飾探見歩行のレポートです。
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2009年4月29日(水・祝)
快晴の昭和の日、総武線新小岩駅北口に集まったのは8人。記念
撮影をして、10時ちょうどにスタートする。
南口に回ると、駅前の交番のそば広場に、トランペット吹きと楽譜の
彫刻があった。
新小岩一丁目を貫くりっぱなアーケードの商店街、ルミエールに入る。
各地にシャッターを下ろした商店街が多いが、ここは活気に満ちていた。
区境でアーケードは終わり、江戸川区に少し入った松島3丁目に、大相
撲の鏡山部屋があった。玄関前で清掃をしていた青ノ里さんと記念撮影。
新小岩3丁目に入り、葛飾区最南端にある住宅を探した結果、この家で
あることを確認した。そばの小松川を挟んで、南側は江戸川区になる。
その小松川の流れは葛飾区と江戸川区の区境になっていて、流れに沿
って、小松川境川親水公園の緑陰が3.5㎞続いている。
この近く、左手に「鏡山部屋」の看板の残る、もとの建物があった。
緑道を北に向かうと、流れでザリガニ取りをする小学生もいる。
鹿骨街道が流れを横断するところで、緑道は終わった。その先の暗渠
(あんきょ)に沿ってさらに進む。JR総武線の線路際に出ると、ミニ公園
にサクランボが色づいていた。
その先の環七通りに上がり、総武陸橋で総武線の北に回って、奥戸
4丁目の東奥戸集い交流館のそばにあった公園で昼食にする。
広いサニーゴルフ練習場の南に回ると、天祖神社があった。社殿は
鉄筋コンクリートの端正な造り。
南側に回り、大きな本堂が目につく正福寺へ。本堂背後に樹木はない
が、広い境内には、樹齢420年というスダジイの大木など、緑が多い。
境内にある子育て地蔵は、子どもを抱いた珍しい造りで、このような
お地蔵さんは初めて。そばの水子地蔵も、子どもを抱いていた。
「古代の湯」の看板の出た大きな天然温泉のビルの横を西に入る。
山浦敬子さんの勤務先という東奥戸小の横を過ぎ、緑に囲まれた森永
乳業の広い工場の東から北を回り、中川の左岸堤防際へ。
堤防のそばに、南葛弘法大師と森市福地蔵尊の旗の立つ2つの小さな
社があり、般若心経を絵文字で記した「絵心経」が掲げてあった。
中川左岸堤防を上流に向かう。堤防には高いコンクリートが張られていて、
小学生低学年の子には、流れがのぞけない。
大きくS字状にカーブする流れの2つめのカーブまで進むと、桜並木や芝
生の豊富な公園があり、その先には葛飾区総合スポーツセンターの体育館
も見える。
木陰のない堤防を来て、暑い日差しが気になったので、桜の下の緑陰の
ベンチで小休止。陸上競技場の横を進んで体育館に入り、スポーツ関係の
展示を見た。
体育館の北側を走る奥戸橋を渡り、中川右岸を少し折り返す。とげぬき
地蔵尊の先の南蔵院は、再建したばかりで真新しい本堂。
とげぬき地蔵尊まで戻り、北に少しで、安倍晴明により勧請された東京
でただひとつの神社という、熊野神社にお参りする。
社殿の両側背後に、高さ約25m、樹齢300年前後という大クスが豊富
な枝を高く伸ばしている。
北に隣接の幼稚園には、ポニーなどの動物が飼育されていた。
大正か昭和初期の建築かと思われる古い商店や民家の残る青戸1丁
目に入り、15時20分に京成電鉄の青砥駅にゴールした。
(参加 8人、天気 快晴、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 東京首部、
歩行地 葛飾区、歩数 16,900)
に歩いた葛飾探見歩行のレポートです。
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2009年4月29日(水・祝)
快晴の昭和の日、総武線新小岩駅北口に集まったのは8人。記念
撮影をして、10時ちょうどにスタートする。
南口に回ると、駅前の交番のそば広場に、トランペット吹きと楽譜の
彫刻があった。
新小岩一丁目を貫くりっぱなアーケードの商店街、ルミエールに入る。
各地にシャッターを下ろした商店街が多いが、ここは活気に満ちていた。
区境でアーケードは終わり、江戸川区に少し入った松島3丁目に、大相
撲の鏡山部屋があった。玄関前で清掃をしていた青ノ里さんと記念撮影。
新小岩3丁目に入り、葛飾区最南端にある住宅を探した結果、この家で
あることを確認した。そばの小松川を挟んで、南側は江戸川区になる。
その小松川の流れは葛飾区と江戸川区の区境になっていて、流れに沿
って、小松川境川親水公園の緑陰が3.5㎞続いている。
この近く、左手に「鏡山部屋」の看板の残る、もとの建物があった。
緑道を北に向かうと、流れでザリガニ取りをする小学生もいる。
鹿骨街道が流れを横断するところで、緑道は終わった。その先の暗渠
(あんきょ)に沿ってさらに進む。JR総武線の線路際に出ると、ミニ公園
にサクランボが色づいていた。
その先の環七通りに上がり、総武陸橋で総武線の北に回って、奥戸
4丁目の東奥戸集い交流館のそばにあった公園で昼食にする。
広いサニーゴルフ練習場の南に回ると、天祖神社があった。社殿は
鉄筋コンクリートの端正な造り。
南側に回り、大きな本堂が目につく正福寺へ。本堂背後に樹木はない
が、広い境内には、樹齢420年というスダジイの大木など、緑が多い。
境内にある子育て地蔵は、子どもを抱いた珍しい造りで、このような
お地蔵さんは初めて。そばの水子地蔵も、子どもを抱いていた。
「古代の湯」の看板の出た大きな天然温泉のビルの横を西に入る。
山浦敬子さんの勤務先という東奥戸小の横を過ぎ、緑に囲まれた森永
乳業の広い工場の東から北を回り、中川の左岸堤防際へ。
堤防のそばに、南葛弘法大師と森市福地蔵尊の旗の立つ2つの小さな
社があり、般若心経を絵文字で記した「絵心経」が掲げてあった。
中川左岸堤防を上流に向かう。堤防には高いコンクリートが張られていて、
小学生低学年の子には、流れがのぞけない。
大きくS字状にカーブする流れの2つめのカーブまで進むと、桜並木や芝
生の豊富な公園があり、その先には葛飾区総合スポーツセンターの体育館
も見える。
木陰のない堤防を来て、暑い日差しが気になったので、桜の下の緑陰の
ベンチで小休止。陸上競技場の横を進んで体育館に入り、スポーツ関係の
展示を見た。
体育館の北側を走る奥戸橋を渡り、中川右岸を少し折り返す。とげぬき
地蔵尊の先の南蔵院は、再建したばかりで真新しい本堂。
とげぬき地蔵尊まで戻り、北に少しで、安倍晴明により勧請された東京
でただひとつの神社という、熊野神社にお参りする。
社殿の両側背後に、高さ約25m、樹齢300年前後という大クスが豊富
な枝を高く伸ばしている。
北に隣接の幼稚園には、ポニーなどの動物が飼育されていた。
大正か昭和初期の建築かと思われる古い商店や民家の残る青戸1丁
目に入り、15時20分に京成電鉄の青砥駅にゴールした。
(参加 8人、天気 快晴、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 東京首部、
歩行地 葛飾区、歩数 16,900)