前日に続き、8年前の2001年7月に訪れた、奈良近郊の古寺めぐり
のレポートです。
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◇◇◇ 斑鳩の里を巡る ◇◇◇
2001年7月17日(火)
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寝坊してしまい、8時半過ぎ奈良市内の宿を出る。さっそくシンシンシン
シンと鳴く西日本特有のセミの声が暑さを感じる。
電車で近鉄郡山駅まで行き、少し離れたバス停から法隆寺行きバスに
乗り10時1分終点で下車する。
松並木が続く参道入口にある法隆寺 i センターに入り、斑鳩(いかるが)
の里のジオラマなどを見て短時間で出る。車の多い国道を、西に役場前
まで進み、北側に平行する旧道を500mほど進んで龍田神社へ。
神社前の通りは大坂と奈良を結ぶ街道筋。龍田は浪花、奈良、伊勢、
当麻(たいま)への分岐点として、龍田神社を中心に商家、旅籠が軒を並
べ商業の中心地だったところ。
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神社周辺には当時の面影をしのばせる家並みが残っている。
龍田神社は聖徳太子が法隆寺建立の際、法隆寺の鬼門守護神として
祭られた。有原業平が古今集で詠んだ紅葉の名所でもある。
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境内には楠大明神のご神体で樹齢1,000年の楠の大樹(上)、樹齢
1,200年のソテツの巨樹(下)、能楽の大和猿楽の一つ、金剛流発祥
の地の碑などがある。
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神社の北に出て、水田や古い民家の間を東に進み、役場の北側山す
そにある藤ノ木古墳へ行く。
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草木に覆われた円墳は、6世紀後半のものと推定され、昭和60年
(1985)と63年の発掘調査で一躍脚光を浴びた。
埋葬当時の姿がほとんど残され、被葬者は2人、豪華な副葬品が数
多く発掘されたという。そばに家形石棺のレプリカ(下)があった。
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古墳入口の三叉路には、「くさでんば」と呼ぶ瘡地蔵、病気身代わり
地蔵、延命地蔵、道祖神のような双体地蔵など、20体以上の小さな地
蔵さんが並んでいる。
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古墳付近から法隆寺までの間は「西里」と呼ばれ、かつて法隆寺を
支えた大工集団の本拠。長い築地塀で囲まれたT家、N家など、宮大
工の家ではないかと思われる家があった。
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いよいよ、修学旅行以来40数年ぶりの法隆寺へ。1993年12月、
日本最初の世界遺産に登録され、1,300年前の飛鳥時代の姿を現在
に伝える世界最古の木造建築群である。
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境内図を見てこんなに広く、こんなにたくさんの建物があったとは…。
広さ約18万7千㎡の境内に40以上の建物が並んでいる。
金堂、五重塔を中心とする西院、夢殿中心の東院、さらに中間にある
大宝蔵院が拝観の中心。時期がら修学旅行や大口団体の人たちの姿
が全くないのがなにより。
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まず中門を入って五重塔、大講堂、金堂(下)などを回る。
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大講堂で国宝・薬師三尊像や四天王像を、金堂では釈迦三尊像、薬師
如来像、阿弥陀如来像などの国宝仏を拝観した。
鏡池の前から、綱封蔵という細い建物の横を入って、3年前に落成した
大宝蔵院に入る。白鳳時代の夢違観音像、飛鳥時代の玉虫厨子、阿弥
陀三尊像、百万塔、金堂小壁画など法隆寺の貴重な宝物類が多数安置・
展示されている。
中心の百済観音堂には、わが国仏教美術の代表として世界的に知ら
れる飛鳥時代作、八頭身のすらりとした百済観音像が優美で慈悲深い
姿で立つ。拝観の人たちもじっくりと見入っていた。
暑さが厳しい。途中の休憩所で冷たいものを飲んで一休みする。
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古い築地塀の通りを東に進んで東院の夢殿(上)を拝観。聖徳太子の
遺徳をしのんで天平11年(739)に建立した八角形の伽藍。中央の厨
子に、聖徳太子等身の秘仏、救世(くせ)観音像を安置している。
夢殿の北から東に回って中宮寺へ。聖徳太子の母、穴穂部間人(あな
ほべのはしひと)皇后の発願により、西の法隆寺と対照的な位置に創建
された。現在の建物は耐震耐火建築により昭和43年(1968)落慶の
もの。
国宝の本尊如意輪観世音菩薩半跏像は、飛鳥彫刻の最高傑作であり、
エジプトのスフィンクス、ダ・ヴィンチのモナリザと並んで「世界の三つの
微笑像」とも呼ばれているという。
スピーカからの説明を聞きながら、気品あるお姿をゆっくりと拝観した。
13時を過ぎたので昼食とする。法隆寺門前に戻り、民家風で古い農
具などが吊してある茶房・松鼓堂という店に入り、赤米御飯つきのざる
そば定食を食べた。
西院と東院の間を北に抜け、山すその天神池に向かう。畑の一角に夢
殿を形取った、野菜を無人販売する建物があり、いかにも斑鳩らしい。
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南の空が暗くなりゴロゴロと鳴り出した。片野池の東にある斑鳩神社
に寄る。
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天慶年間(938~)に、旧法隆寺の守り神として建立され、元享4年
(1324)現在地に移したといわれる。
神社裏を東に進み片野池の横から北に向かうと、正面に三重塔が見
えてきた。地名にちなんで三井寺とも呼ばれる法輪寺である。
聖徳太子の子、山背大兄王(やましろのおおえのおう)の建立で、創建
当時の三重塔は昭和19年(1944)に落雷で消失し、現在の塔は昭和
50年(1975)に再建したもの。
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講堂で薬師如来座像、虚空蔵菩薩立像、弥勒菩薩立像、地蔵菩薩立
像など、飛鳥時代や平安時代の重文を拝観した。
上空が暗くなり、雷鳴が近づき雨も落ちてきた。傘を差して600mほど
東の法起寺(ほうきじ)に急ぐ。間は田んぼと畑、寄り道するような建物は
無い。
途中から本降りとなり、急いで法起寺にかけ込む。間もなく激しい雷雨
になった。
庭の一角にある休憩舎でしばらく雨宿り。小降りになった頃、受付の方
が来て、法起寺や法隆寺などにつきいろいろ説明して下さった。
法起寺は、聖徳太子が法華経を講説した岡本宮を寺に改めたと伝えら
れ、太子建立の七ケ寺の一つ。幾度かの火災で荒廃したが、国宝の三
重塔は慶雲3年(706)建立の日本最古の三重塔。世界遺産でもある。
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1時間ほどで雨も上がった。三重塔、講堂、聖天堂などを回り、収蔵庫
の木造十一面観音菩薩立像を拝観し、寺を出る。
芦川を越え、東1㎞ほどの庭園が見事だという慈光院にも寄りたかった
が、拝観時間の終了間近だったのあきらめ、小泉町からの細道を入って、
16時40分にJR関西本線大和小泉駅に着いた。
(天気 晴曇一時雷雨、地図(1/2.5万) 信貴山、大和郡山、距離 8㎞)
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〈注〉最初にお断りした通り、これは8年前の写真です。
現在の藤ノ木古墳の様子は、当ブログ・ブックマーク欄のトップ、「冬青
(そよご)風」の「竜馬16」さんが、7月12日付けで投稿されていますの
で、以下をクリックしてご覧下さい。
http://blog.goo.ne.jp/ryouma16_october/d/20090712
のレポートです。
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◇◇◇ 斑鳩の里を巡る ◇◇◇
2001年7月17日(火)
寝坊してしまい、8時半過ぎ奈良市内の宿を出る。さっそくシンシンシン
シンと鳴く西日本特有のセミの声が暑さを感じる。
電車で近鉄郡山駅まで行き、少し離れたバス停から法隆寺行きバスに
乗り10時1分終点で下車する。
松並木が続く参道入口にある法隆寺 i センターに入り、斑鳩(いかるが)
の里のジオラマなどを見て短時間で出る。車の多い国道を、西に役場前
まで進み、北側に平行する旧道を500mほど進んで龍田神社へ。
神社前の通りは大坂と奈良を結ぶ街道筋。龍田は浪花、奈良、伊勢、
当麻(たいま)への分岐点として、龍田神社を中心に商家、旅籠が軒を並
べ商業の中心地だったところ。
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神社周辺には当時の面影をしのばせる家並みが残っている。
龍田神社は聖徳太子が法隆寺建立の際、法隆寺の鬼門守護神として
祭られた。有原業平が古今集で詠んだ紅葉の名所でもある。
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境内には楠大明神のご神体で樹齢1,000年の楠の大樹(上)、樹齢
1,200年のソテツの巨樹(下)、能楽の大和猿楽の一つ、金剛流発祥
の地の碑などがある。
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神社の北に出て、水田や古い民家の間を東に進み、役場の北側山す
そにある藤ノ木古墳へ行く。
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草木に覆われた円墳は、6世紀後半のものと推定され、昭和60年
(1985)と63年の発掘調査で一躍脚光を浴びた。
埋葬当時の姿がほとんど残され、被葬者は2人、豪華な副葬品が数
多く発掘されたという。そばに家形石棺のレプリカ(下)があった。
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古墳入口の三叉路には、「くさでんば」と呼ぶ瘡地蔵、病気身代わり
地蔵、延命地蔵、道祖神のような双体地蔵など、20体以上の小さな地
蔵さんが並んでいる。
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古墳付近から法隆寺までの間は「西里」と呼ばれ、かつて法隆寺を
支えた大工集団の本拠。長い築地塀で囲まれたT家、N家など、宮大
工の家ではないかと思われる家があった。
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いよいよ、修学旅行以来40数年ぶりの法隆寺へ。1993年12月、
日本最初の世界遺産に登録され、1,300年前の飛鳥時代の姿を現在
に伝える世界最古の木造建築群である。
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境内図を見てこんなに広く、こんなにたくさんの建物があったとは…。
広さ約18万7千㎡の境内に40以上の建物が並んでいる。
金堂、五重塔を中心とする西院、夢殿中心の東院、さらに中間にある
大宝蔵院が拝観の中心。時期がら修学旅行や大口団体の人たちの姿
が全くないのがなにより。
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まず中門を入って五重塔、大講堂、金堂(下)などを回る。
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大講堂で国宝・薬師三尊像や四天王像を、金堂では釈迦三尊像、薬師
如来像、阿弥陀如来像などの国宝仏を拝観した。
鏡池の前から、綱封蔵という細い建物の横を入って、3年前に落成した
大宝蔵院に入る。白鳳時代の夢違観音像、飛鳥時代の玉虫厨子、阿弥
陀三尊像、百万塔、金堂小壁画など法隆寺の貴重な宝物類が多数安置・
展示されている。
中心の百済観音堂には、わが国仏教美術の代表として世界的に知ら
れる飛鳥時代作、八頭身のすらりとした百済観音像が優美で慈悲深い
姿で立つ。拝観の人たちもじっくりと見入っていた。
暑さが厳しい。途中の休憩所で冷たいものを飲んで一休みする。
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古い築地塀の通りを東に進んで東院の夢殿(上)を拝観。聖徳太子の
遺徳をしのんで天平11年(739)に建立した八角形の伽藍。中央の厨
子に、聖徳太子等身の秘仏、救世(くせ)観音像を安置している。
夢殿の北から東に回って中宮寺へ。聖徳太子の母、穴穂部間人(あな
ほべのはしひと)皇后の発願により、西の法隆寺と対照的な位置に創建
された。現在の建物は耐震耐火建築により昭和43年(1968)落慶の
もの。
国宝の本尊如意輪観世音菩薩半跏像は、飛鳥彫刻の最高傑作であり、
エジプトのスフィンクス、ダ・ヴィンチのモナリザと並んで「世界の三つの
微笑像」とも呼ばれているという。
スピーカからの説明を聞きながら、気品あるお姿をゆっくりと拝観した。
13時を過ぎたので昼食とする。法隆寺門前に戻り、民家風で古い農
具などが吊してある茶房・松鼓堂という店に入り、赤米御飯つきのざる
そば定食を食べた。
西院と東院の間を北に抜け、山すその天神池に向かう。畑の一角に夢
殿を形取った、野菜を無人販売する建物があり、いかにも斑鳩らしい。
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南の空が暗くなりゴロゴロと鳴り出した。片野池の東にある斑鳩神社
に寄る。
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天慶年間(938~)に、旧法隆寺の守り神として建立され、元享4年
(1324)現在地に移したといわれる。
神社裏を東に進み片野池の横から北に向かうと、正面に三重塔が見
えてきた。地名にちなんで三井寺とも呼ばれる法輪寺である。
聖徳太子の子、山背大兄王(やましろのおおえのおう)の建立で、創建
当時の三重塔は昭和19年(1944)に落雷で消失し、現在の塔は昭和
50年(1975)に再建したもの。
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講堂で薬師如来座像、虚空蔵菩薩立像、弥勒菩薩立像、地蔵菩薩立
像など、飛鳥時代や平安時代の重文を拝観した。
上空が暗くなり、雷鳴が近づき雨も落ちてきた。傘を差して600mほど
東の法起寺(ほうきじ)に急ぐ。間は田んぼと畑、寄り道するような建物は
無い。
途中から本降りとなり、急いで法起寺にかけ込む。間もなく激しい雷雨
になった。
庭の一角にある休憩舎でしばらく雨宿り。小降りになった頃、受付の方
が来て、法起寺や法隆寺などにつきいろいろ説明して下さった。
法起寺は、聖徳太子が法華経を講説した岡本宮を寺に改めたと伝えら
れ、太子建立の七ケ寺の一つ。幾度かの火災で荒廃したが、国宝の三
重塔は慶雲3年(706)建立の日本最古の三重塔。世界遺産でもある。
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1時間ほどで雨も上がった。三重塔、講堂、聖天堂などを回り、収蔵庫
の木造十一面観音菩薩立像を拝観し、寺を出る。
芦川を越え、東1㎞ほどの庭園が見事だという慈光院にも寄りたかった
が、拝観時間の終了間近だったのあきらめ、小泉町からの細道を入って、
16時40分にJR関西本線大和小泉駅に着いた。
(天気 晴曇一時雷雨、地図(1/2.5万) 信貴山、大和郡山、距離 8㎞)
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〈注〉最初にお断りした通り、これは8年前の写真です。
現在の藤ノ木古墳の様子は、当ブログ・ブックマーク欄のトップ、「冬青
(そよご)風」の「竜馬16」さんが、7月12日付けで投稿されていますの
で、以下をクリックしてご覧下さい。
http://blog.goo.ne.jp/ryouma16_october/d/20090712