2014年3月19日(水)
西武鉄道と秩父鉄道合同の、第2回秩父札所午歳総開帳(うまどしそうかいちょう)記
念ハイキングに出かけた。スタートは西武秩父線の横瀬(よこぜ)駅。
穏やかな日和となり、参加者は前週水曜の第1回よりかなり多い感じで受付も賑わう。
横瀬町のイメージキャラクター「ブコーさん」が迎えてくれる。受付を済ませ、9時
47分にスタートした。
駅から東へ緩やかに下って行くと、北斜面にはまだ2月中旬の大雪が残る。南東に三菱
マテリアルの工場と二子山が見え、南には日本二百名山のひとつ、武甲山(ぶこうざん)
(1,304m)の北面がきれいに望まれる。
T字路の「巡礼古道道しるべ石」の先に、九番札所明智寺(あけちじ)があった。
スタート直後なのでハイキング参加者で賑わい、観音堂には参拝者の列が伸びる。「文
塚」と記されたお堂に吊り人形が下がり、路傍には天明5年(1785)奉納のお地蔵さ
んが立っていた。
近くの民家の庭先に咲く花を眺めて南に向かう。
三菱マテリアルの工場の先で西武秩父線のガードをくぐり、線路沿いを進む。マテリア
ルの工場からの道と合したところに、延命地蔵を祭る小さな地蔵堂があった。
すぐ先で、折り返すように梅の古木の咲く土道に下り、車道を横断する。車道にいた西
武鉄道の係員に聞いたら、すでに515人の参加者が通過したとのことだった。
スイセンの咲く斜面を生川(うぶかわ)に向かって下って二番集落に入り、南側高台に
向かって緩やかに上がって、八番札所西善寺(さいぜんじ)に着いた。
「東国花の寺百ヶ寺」の看板の下がる山門を入ると、本堂の手前に、樹齢約600年と
いうコミネモミジの古木が大きく枝を広げ、そばには青銅の「なで仏」もある。
北に下り、城谷沢を渡ったところに「史跡城谷澤の井」の井戸が残っていたが、説明板
などは無い。
その先には、武甲山御嶽神社里宮の小さい社殿が祭られ、神楽殿の前には残雪が残る。
往路とのY字路際に立つ標柱と標石に従い東北に進み、西武秩父線と国道299号下を
抜ける。
横瀬川を渡って四番集落に上がると、養蚕農家だったらしい民家が目に入る。
近くの畑では、2月の大雪で崩壊したビニールハウスを片付け始めていた。
イチゴ狩りツアー客の来ていた小松沢レジャー農園前を過ぎ、民家の庭先に咲くクロッ
カスを眺め、小さい流れを越えて六番札所卜雲寺(ぼくうんじ)へ。
寺への上り道の曲り角に、お願い地蔵のお堂がある。
卜雲寺の本尊は山岳宗教の流れをくむ蔵王権現で、古くは武甲山頂にあったが長享年間
(1487~9)に、ここに移されたとか。
境内は南が開けた山腹にあり、正面に本尊ゆかりの武甲山が望まれる。
西に7~8分で、五番集落にある次の七番札所の法長寺(ほうちょうじ)に着く。
山門を入ると、今日の札所中では最大の大屋根の本堂が目に付く。本堂前には、狭いな
がら趣ある植え込みがあり、納経所のそばには豊川稲荷を祭る小さいお堂があった。
さらに北に向かい、近くで横瀬川に合流する古山沢を渡る。
その先から上り坂となり、右手に寺坂棚田が現れた。荒れた休耕田を少しずつ復元し、
埼玉県では数少ない棚田の景観が蘇っている。
棚田が終わり、小さい峠から下り道となり、西に日本百名山、両神山(りょうがみさん)
(1723)の独特の山容が望まれる。
横瀬町町民グランド横を通過して、田んぼの間を貫く車道を進んで十三番集落に入り、
五番札所の納経所になっている長興寺(ちょうこうじ)に行く。
山門を入ると六地蔵が並び、そばのミツマタが花を見せ始めている。正午を過ぎたので、
ここで昼食をするウオーカーも多い。
五番札所の語歌堂(ごかどう)は、西側、麦畑の先にあり、境内は開け放たれているが
りっぱな山門がある。
別当寺である長興寺の檀徒、本間孫八が、慈覚大師の作といわれる准定(じゆんてい)
観音を安置するために、長い年月を費やしてこの観音堂を造ったという。
お堂の周囲に巡らした濡れ縁を借りて、昼食をした。
西進して県道11号に出て、横瀬川の語歌橋を渡る。梅林の横から十六番集落の中を平
行する旧道を進み、十番札所の大慈(だいじじ)寺(じ)へ。
寺は石段を上がるのだが、石段下で大きな石仏が迎えてくれた。山門を入ると境内は狭
いが、きれいな花鉢が幾つか下がり、彩りを添えている。
高台の境内からは、東方に二子山が望まれた。
少し先の旧道沿いの本橋家に、町指定有形民俗文化財「本橋家気楽流柔術資料」の標柱
が立ち、庭にあった標石には、この家には、明治から昭和初期にかけて全盛だった気楽流
柔術の巻物や武具、入門者名簿などがあることが記されていた。
入門者は、地元から県内はもとより、関東一円や新潟、新潟などに及んていたという。
隣の家には、手造りのユニークな人形が所狭しと並んんでいた。
県道に合して羊山公園の北側台地下まで進む。車の多い国道299号に入り、横瀬町か
ら秩父市へ。市町境がピークで、少し下って北側斜面に上がると、今日最後の十一番札所、
常楽寺(じょうらくじ)である。
現在は観音堂だけだが、江戸時代には仁王門や庫裡(くり)を備えたりっぱな寺だった
が、明治11年(1878)の大火で類焼したとか。
境内は狭いが、南に秩父市の中心街方面が一望できる。
住宅地の間を西北西に延びる車道を進んで、国道140号に出る。移転中で塀に囲まれ
た秩父市役所の南側を回り、ゴールの西武秩父線の終点、秩父駅に13時50分に着いた。
(天気 晴、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 秩父、歩行地 横瀬町、秩父市、
累積標高差 上り約210m、下り約230m、歩数 16,900)
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西武鉄道と秩父鉄道合同の、第2回秩父札所午歳総開帳(うまどしそうかいちょう)記
念ハイキングに出かけた。スタートは西武秩父線の横瀬(よこぜ)駅。
穏やかな日和となり、参加者は前週水曜の第1回よりかなり多い感じで受付も賑わう。
横瀬町のイメージキャラクター「ブコーさん」が迎えてくれる。受付を済ませ、9時
47分にスタートした。
駅から東へ緩やかに下って行くと、北斜面にはまだ2月中旬の大雪が残る。南東に三菱
マテリアルの工場と二子山が見え、南には日本二百名山のひとつ、武甲山(ぶこうざん)
(1,304m)の北面がきれいに望まれる。
T字路の「巡礼古道道しるべ石」の先に、九番札所明智寺(あけちじ)があった。
スタート直後なのでハイキング参加者で賑わい、観音堂には参拝者の列が伸びる。「文
塚」と記されたお堂に吊り人形が下がり、路傍には天明5年(1785)奉納のお地蔵さ
んが立っていた。
近くの民家の庭先に咲く花を眺めて南に向かう。
三菱マテリアルの工場の先で西武秩父線のガードをくぐり、線路沿いを進む。マテリア
ルの工場からの道と合したところに、延命地蔵を祭る小さな地蔵堂があった。
すぐ先で、折り返すように梅の古木の咲く土道に下り、車道を横断する。車道にいた西
武鉄道の係員に聞いたら、すでに515人の参加者が通過したとのことだった。
スイセンの咲く斜面を生川(うぶかわ)に向かって下って二番集落に入り、南側高台に
向かって緩やかに上がって、八番札所西善寺(さいぜんじ)に着いた。
「東国花の寺百ヶ寺」の看板の下がる山門を入ると、本堂の手前に、樹齢約600年と
いうコミネモミジの古木が大きく枝を広げ、そばには青銅の「なで仏」もある。
北に下り、城谷沢を渡ったところに「史跡城谷澤の井」の井戸が残っていたが、説明板
などは無い。
その先には、武甲山御嶽神社里宮の小さい社殿が祭られ、神楽殿の前には残雪が残る。
往路とのY字路際に立つ標柱と標石に従い東北に進み、西武秩父線と国道299号下を
抜ける。
横瀬川を渡って四番集落に上がると、養蚕農家だったらしい民家が目に入る。
近くの畑では、2月の大雪で崩壊したビニールハウスを片付け始めていた。
イチゴ狩りツアー客の来ていた小松沢レジャー農園前を過ぎ、民家の庭先に咲くクロッ
カスを眺め、小さい流れを越えて六番札所卜雲寺(ぼくうんじ)へ。
寺への上り道の曲り角に、お願い地蔵のお堂がある。
卜雲寺の本尊は山岳宗教の流れをくむ蔵王権現で、古くは武甲山頂にあったが長享年間
(1487~9)に、ここに移されたとか。
境内は南が開けた山腹にあり、正面に本尊ゆかりの武甲山が望まれる。
西に7~8分で、五番集落にある次の七番札所の法長寺(ほうちょうじ)に着く。
山門を入ると、今日の札所中では最大の大屋根の本堂が目に付く。本堂前には、狭いな
がら趣ある植え込みがあり、納経所のそばには豊川稲荷を祭る小さいお堂があった。
さらに北に向かい、近くで横瀬川に合流する古山沢を渡る。
その先から上り坂となり、右手に寺坂棚田が現れた。荒れた休耕田を少しずつ復元し、
埼玉県では数少ない棚田の景観が蘇っている。
棚田が終わり、小さい峠から下り道となり、西に日本百名山、両神山(りょうがみさん)
(1723)の独特の山容が望まれる。
横瀬町町民グランド横を通過して、田んぼの間を貫く車道を進んで十三番集落に入り、
五番札所の納経所になっている長興寺(ちょうこうじ)に行く。
山門を入ると六地蔵が並び、そばのミツマタが花を見せ始めている。正午を過ぎたので、
ここで昼食をするウオーカーも多い。
五番札所の語歌堂(ごかどう)は、西側、麦畑の先にあり、境内は開け放たれているが
りっぱな山門がある。
別当寺である長興寺の檀徒、本間孫八が、慈覚大師の作といわれる准定(じゆんてい)
観音を安置するために、長い年月を費やしてこの観音堂を造ったという。
お堂の周囲に巡らした濡れ縁を借りて、昼食をした。
西進して県道11号に出て、横瀬川の語歌橋を渡る。梅林の横から十六番集落の中を平
行する旧道を進み、十番札所の大慈(だいじじ)寺(じ)へ。
寺は石段を上がるのだが、石段下で大きな石仏が迎えてくれた。山門を入ると境内は狭
いが、きれいな花鉢が幾つか下がり、彩りを添えている。
高台の境内からは、東方に二子山が望まれた。
少し先の旧道沿いの本橋家に、町指定有形民俗文化財「本橋家気楽流柔術資料」の標柱
が立ち、庭にあった標石には、この家には、明治から昭和初期にかけて全盛だった気楽流
柔術の巻物や武具、入門者名簿などがあることが記されていた。
入門者は、地元から県内はもとより、関東一円や新潟、新潟などに及んていたという。
隣の家には、手造りのユニークな人形が所狭しと並んんでいた。
県道に合して羊山公園の北側台地下まで進む。車の多い国道299号に入り、横瀬町か
ら秩父市へ。市町境がピークで、少し下って北側斜面に上がると、今日最後の十一番札所、
常楽寺(じょうらくじ)である。
現在は観音堂だけだが、江戸時代には仁王門や庫裡(くり)を備えたりっぱな寺だった
が、明治11年(1878)の大火で類焼したとか。
境内は狭いが、南に秩父市の中心街方面が一望できる。
住宅地の間を西北西に延びる車道を進んで、国道140号に出る。移転中で塀に囲まれ
た秩父市役所の南側を回り、ゴールの西武秩父線の終点、秩父駅に13時50分に着いた。
(天気 晴、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 秩父、歩行地 横瀬町、秩父市、
累積標高差 上り約210m、下り約230m、歩数 16,900)
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