あるきメデス

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植木の里 安行周辺を歩く(埼玉)

2015-11-16 17:00:41 | カタツムリ歩行
 2015年11月15日(日)

 JR武蔵野線とその周辺を歩き続けている、「続カタツムリ歩行」の第29回例会に参
加した。集合は埼玉高速鉄道の戸塚安行(とづかあんぎょう)駅。午前中は雨の予報だっ
たが、駅に着いた頃には雨は止んでいた。10時ちょうどにスタートする。


 地下にある改札口周辺から1番出口に出たが、どの方角を向いているのかよくわからな
い。地図と周辺の道路の状況を照合して、まずは西福寺(さいふくじ)を目指す。

 東進して県道103号を少し北へ、すぐに東側台地に向かって上がる。路傍の民家の盆
栽や庭先の木々が紅葉の彩りを見せる。
        

 上がりきると右手に西福寺の三重塔が見えてきた。
      

 西福寺は、弘仁年間(810~24)に弘法大師が国家鎮護のために創建したと伝えら
れる古寺で、新西国百観音霊場第26番霊場でもある。

 三重塔は3代将軍家光の長女千代姫が奉建し、元禄6年(1693)に建立したもの。
高さ約23mあり、埼玉県下では1番高い木造建造物だという。


 正面の観音堂は、西国、坂東、秩父札所の百観音像が安置され、このお堂に参拝すれば
百か所の観音霊場を参詣したと同じ功徳があるとされるようだ。

      
 新しい観音像の横には、川口市保存樹木のチャボヒバが立っている。境内に延命地蔵堂
もあり、標高17.5mの三角点が埋設されていた。
         


 正面入口から北北西に延びる旧道を進む。うっそうとした竹林やさつき園のサツキの盆
栽、たくさん実を付けたユズ、色づいたハゼなどが目に入る。
    

 外環道(東京外環自動車道)の近くには(株)安行植物園の看板があった。個人経営の
ようで入園可否が分からないので、門を入って少しだけのぞかせてもらう。


    

 外環道の北側側道を少し東へ、県道161号を横断した先にある持宝院に入る。


 「安行八景 俳句と持宝院」の看板があり、道路際に句碑があったが、ほかには見当た
らない。
         

 庫裡(くり)の横のユズが大きな実をたくさん付けていた。
      

 外環道の高架下を南に向けて、安行領家の集落に向かう。西福寺からの道沿いもそうだ
ったが、こちらも350年の歴史を有するという安行地区特産の植木畑が多く、〇〇造園
の看板も幾つか目に付く。

    
 民家の庭先に鬼ユズというカボチャのような大きなユズが実り、その先に安行氷川神社
がある。

 朱塗り社殿は元禄13年(1700)の造営とか。現在の境内はこぢんまりしているが、
移転前の東側30mほどのところにあった頃には、スギの大木があったことが明治初期の
「武蔵国郡村誌」に記録されていたという。

    
 近くの犬塚造園のカエデなどがよい彩りを見せ、次の十字路を左折した先の造園の一角
には古い石仏が祭られていた。
         

 県道103号に合するY字路際には、「埼玉県花と緑の振興センター」がある。

 埼玉県特産の花や植木、果樹苗木の生産振興を図るための生産出荷技術や、環境緑化の
指導、情報提供などのための施設で、約2.3㏊ある園内の花木や園芸品種などの植物は
公開されていて、四季折々の花や葉、実などが見学できるようだが、時間が無いので見学
は別途とした。


 県道を挟んで東側にある興禅院の山門を入る。山門周辺の、ハウチワカエデの紅葉が始
まっていた。境内は緑が豊富で、落ち着いたたたずまい。
    

 興善院は、室町時代の天文15年(1546)の開創、本尊釈迦如来座像は江戸時代の
貞享4年(1687)に旗本藤川氏により寄進されたと伝えられ、「新編武藏風土記稿」
には恵心(源信)の作と記載されているという。


 寺域は「安行八景」に選定されていて、桜、アジサイ、シャクナゲ、ヒガンバナ、モミ
ジなど様々な季節毎の花が見どころとか。

       
 本堂の手前右手から、背後の広大な広葉樹林に回る。一帯は「川口市野鳥の森」になっ
ていて、散策路を下った弁天池に弁財天が祭られている。


 弁天池から散策路を東にたどれば、十三仏石像が台地に上がる散策路沿いに次々に安置
され、各々の石像の傍らには御詠歌を記した石碑も並ぶ。
    

        

 1万4千㎡余りあるという豊富な広葉樹林に覆われた緑地は、ここが川口市内とは思え
ぬたたずまいを見せている。
       

 天候が回復して青空が広がり、気温も上がってきた。県道を渡ってもとの道を戻り、安
行氷川神社のある通りよりひとつ南側の車道を西北に進む。この通りにも、出荷前の苗木
を並べた造園などが目に付く。


 たくさん花を見せる皇帝ダリアのすぐ先で、県道161号との交差点を渡る。
    


 斜向かいの、花苗を販売するしばみち本店を見て、ゴールの赤山日枝(あかやまひえ)
神社に12時ちょうどに着いた。


 赤山日枝神社は、西側一帯にあった寛永年間(1624~44)に関東郡代伊奈忠治
(いなただはる)が構えた赤山陣屋の守護として、伊奈氏が江戸城鎮護の日枝神社から分
社して祭られたものと考えらるという。


 ゲートボール場にもなっている北側の広場のベンチなどを借りて昼食後、いつものよう
に記念撮影とミーティングをして、13時10分に散会となった。


 帰路は、西側の赤山陣屋跡を抜けて北へ、JR東川口駅に向かうことにした。

 赤山陣屋を築いた伊奈氏は、優れた土木技術により江戸時代の治水、新田開発に大きく
貢献し、関東軍代を世襲した家柄。赤山陣屋は、寛永6年(1629)に3代伊奈忠治に
より築かれたもの。以後163年にわたり在地支配と新田開発の拠点として機能し続けた
が、寛政4年(1792)伊奈家改易(かいえき)に伴い廃止されたという。

 ちなみに改易とは、江戸時代においては大名・旗本などの武士から身分をはく奪して所
領と城や屋敷を没収することのよう。

 改易に伴い、陣屋の建物や家臣の屋敷は取り壊され、土地は払い下げられて田畑や山林
として使われたようだが、現在はその一部を公園として整備して遊歩道が設けられている。

 桜並木もある南堀沿いを西進して西端まで進む。中心の十字路際には、「赤山城址」碑
が立っていた。赤山陣屋は赤山城ともいわれている。
       


 公園の西端から北に、少しだけ西堀が復元されていた。西堀に沿って進み、さらに下る
と豊富な竹林が残っている。
       

 竹林の北で外環道の高架下を北に抜けて、側道を西に向かう。神根東小と神根中の間を
迂回して、神根中の西側にある真乗院に行く。

 本堂は西向きでコンクリート造り。その前に3本の古木が立っていた。
       
 手前が幹が空洞のカシ、奥の左には目通り4.5m、樹高18mで川口市天然記念物の
コウヤマキが、右には川口市保存樹木のカヤが近接して立ち、南側にはスダジイの古木も
目に付いた。

 コウヤマキのそばには5体の石仏が集められていたが、右端の地蔵菩薩は日光御成街道
の道標を兼ねていて、川口市有形文化財に指定されていた。
         

 神根中の西側の車道を北に向かう。地図上、神根中の道路際に9.7m三角点の表記が
あるので道路側から探したら、標柱はあったが三角点は落葉の下らしく確認できなかった。
         

 かなり開発されて住宅の増えつつある石神集落を北進して、T字路で県道103号に出
る。西にすぐ先に妙延寺があった。

 左手の民家風の建物が地蔵堂で、右手奥のより小さな社殿風の建物が本堂のよう。


 道路側には「女郎仏」の表示があるが、その説明などはない。
         
 帰宅後ネットで調べたら、ここに女郎仏のことが記されていた。

 県道を東に300mほどのところにある二宮神社にも入る。
    
 二宮神社は元来は氷川神社と称し、この地立野村の鎮守だったが、明治40年(1907)
に近隣の稲荷社を合祀して改称したとか。境内には、御嶽神社と稲荷神社の小さい社殿も
ある。

 県道をさらに東へ、次のT字路から北に延びる車道を進んで、戸塚南4丁目の三佛寺へ。
東向きの本堂は会館風なつくり。由緒などは記されてない。


 さらに北進して、広い市道を横断して戸塚4丁目に入る。東川口駅に延びる車道沿いに
ある本行寺は、以前来た時には入れなかったが、門扉を押してみたら空いたので境内に入
り、大きな本堂に参拝する。



 駅に向かって幅広い市道を直進して、14時53分にJR武蔵野線の東川口駅に着いた。
午後はさらに気温が上がり、上着無しで十分だった。
 

(天気 曇後晴、距離 例会4㎞+帰路5㎞、地図(1/2.5万) 越谷、浦和、
 歩行地 川口市、歩数 18,100) 
 



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