2021年6月12日(土) 〈続き〉
北山公園の北東側、西武 西武園線沿いに咲くアナベルのそばを離れて東側の菖蒲田に移
動して、さらに花菖蒲を眺める。
スイレンの池もあり、小さなスイレンが清楚な花をたくさん開いていた。
ほぼ園内を一巡して、東端付近まで回って西側を一望する。
最後に東南側の大きな休憩舎に入り、中から菖蒲田を望んだ。
毎年この次期開に催されていた「東村山花菖蒲まつり」は、新型コロナウィルス感染拡
大防止のため、昨年に引き続き今年も中止になった。
たっぷり花菖蒲を観賞して、11時38分に東南側出入り口から北山公園を後にする。
南側、野口町4丁目の住宅地を進んで、西側の墓地から正福寺へ。
境内中央部には、東京都内で唯一の国宝建造物である千体地蔵堂がある。
鎌倉の円覚寺舎利殿とともに唐様建築の代表的な建物で、建立は室町時代の応永14年
〈1407〉とのこと。
寺の縁起によれば、鎌倉幕府の執権だった北条時宗が鷹狩りの際に病気になり、夢の中
で地蔵菩薩からもらった丸薬で病が治ったことから地蔵堂を建立したといられているよう。
地蔵堂の本尊は、昭和48〈1917〉年の修理の際、文化8〈1811〉年に江戸神
田須田町 万屋市兵衛の弟子 善兵衛の作と分かったという。
堂内に多数奉納されている千体小地蔵尊像についての説明パネル
千体地蔵堂の左手には、最近奉納されたらしい新しい小地蔵尊が並んでいる。
その由来についてはこちらのパネルに。
千体地蔵堂の右手(東側)から背後の本堂に向かう参道には、新しい十三仏石像が並ぶ。
創建730年記念に建立されたようだ。
その前を進んで本堂に参拝する。
本堂周辺にはアジサイが咲くが、ハスはまだ開花前だった。
千体地蔵堂と南側の山門との間には、「貞和〈じょうわ〉の板碑」を収蔵するお堂があ
るが、堂内は狭くて板碑の全体は撮りにくい。
貞和の板碑は貞和5(1349)年の造立で、完全な形をとどめるものとしては都内最
大級の緑泥片岩(りょくでいへんがん)製の板碑のよう。
南側の山門を出てすぐ東側、境内の一部には八坂神社が祭られている。
東側の十字路から南へ、都道128号線・東村山東大和線に回り、東側のY字路から細
い旧道に入ると天台宗 野口不動尊 大善院の前に出た。
創立時期は不詳で、もとは八王子市高月町 円通寺の塔頭(たっちゅう)だったようだが、
明治32(1899)年に当地に移って開山したという。
「野口のお不動さま」と呼ばれ、門と正面の本道の間には溶岩を積み重ねた岩塊に五葉
松や童子像が配されている。
境内西側には、さらにたくさんの溶岩が積み重ねられていて、その上に三十六童子像が
立っていた。
門を入って左手には「家庭円満のこぶし」の木がある。
昭和の初めに5㎝くらいの太さの木を10本植えたのだが、それぞれの木が大きくなり、
根っこ同士が引き寄せ合って1本の大木となったもの。
どんなに仲の悪い家族でも長い間一緒にいると、一つの家族になることが出来る家族の
絆の木として知られているようだ。
境内には何本かのアジサイがあり、花は何れも見ごろに。
本堂前の岩塊のそばにはアマチャの木もあり、アジサイの仲間のようでアジサイに似た
花が咲いていた。
屋根掛けの下にちょうちんの下がる細い参道を都道137号線に出て東へ、500mほ
ど進めば西武新宿線の東村山駅西口に突き当たる。
わが家からも見える駅前の高層ビル。駅には13時35分に着いた。
駅構内や周辺は高架工事中で、駅舎も改札口も仮設のもの。
ホームからの眺めも、仮設工事中のために数年前とは一変していた。
西武国分寺線上り小川方
西武新宿線上り久米川方
西武新宿線下り所沢方
間もなく来た、本川越行き下り電車に乗る。
(天気 曇後晴、距離 6㎞、地図 所沢(1/2.5万)、歩行地 所沢市(埼玉)、
東村山市(東京)、歩数 12,800)
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北山公園の北東側、西武 西武園線沿いに咲くアナベルのそばを離れて東側の菖蒲田に移
動して、さらに花菖蒲を眺める。
スイレンの池もあり、小さなスイレンが清楚な花をたくさん開いていた。
ほぼ園内を一巡して、東端付近まで回って西側を一望する。
最後に東南側の大きな休憩舎に入り、中から菖蒲田を望んだ。
毎年この次期開に催されていた「東村山花菖蒲まつり」は、新型コロナウィルス感染拡
大防止のため、昨年に引き続き今年も中止になった。
たっぷり花菖蒲を観賞して、11時38分に東南側出入り口から北山公園を後にする。
南側、野口町4丁目の住宅地を進んで、西側の墓地から正福寺へ。
境内中央部には、東京都内で唯一の国宝建造物である千体地蔵堂がある。
鎌倉の円覚寺舎利殿とともに唐様建築の代表的な建物で、建立は室町時代の応永14年
〈1407〉とのこと。
寺の縁起によれば、鎌倉幕府の執権だった北条時宗が鷹狩りの際に病気になり、夢の中
で地蔵菩薩からもらった丸薬で病が治ったことから地蔵堂を建立したといられているよう。
地蔵堂の本尊は、昭和48〈1917〉年の修理の際、文化8〈1811〉年に江戸神
田須田町 万屋市兵衛の弟子 善兵衛の作と分かったという。
堂内に多数奉納されている千体小地蔵尊像についての説明パネル
千体地蔵堂の左手には、最近奉納されたらしい新しい小地蔵尊が並んでいる。
その由来についてはこちらのパネルに。
千体地蔵堂の右手(東側)から背後の本堂に向かう参道には、新しい十三仏石像が並ぶ。
創建730年記念に建立されたようだ。
その前を進んで本堂に参拝する。
本堂周辺にはアジサイが咲くが、ハスはまだ開花前だった。
千体地蔵堂と南側の山門との間には、「貞和〈じょうわ〉の板碑」を収蔵するお堂があ
るが、堂内は狭くて板碑の全体は撮りにくい。
貞和の板碑は貞和5(1349)年の造立で、完全な形をとどめるものとしては都内最
大級の緑泥片岩(りょくでいへんがん)製の板碑のよう。
南側の山門を出てすぐ東側、境内の一部には八坂神社が祭られている。
東側の十字路から南へ、都道128号線・東村山東大和線に回り、東側のY字路から細
い旧道に入ると天台宗 野口不動尊 大善院の前に出た。
創立時期は不詳で、もとは八王子市高月町 円通寺の塔頭(たっちゅう)だったようだが、
明治32(1899)年に当地に移って開山したという。
「野口のお不動さま」と呼ばれ、門と正面の本道の間には溶岩を積み重ねた岩塊に五葉
松や童子像が配されている。
境内西側には、さらにたくさんの溶岩が積み重ねられていて、その上に三十六童子像が
立っていた。
門を入って左手には「家庭円満のこぶし」の木がある。
昭和の初めに5㎝くらいの太さの木を10本植えたのだが、それぞれの木が大きくなり、
根っこ同士が引き寄せ合って1本の大木となったもの。
どんなに仲の悪い家族でも長い間一緒にいると、一つの家族になることが出来る家族の
絆の木として知られているようだ。
境内には何本かのアジサイがあり、花は何れも見ごろに。
本堂前の岩塊のそばにはアマチャの木もあり、アジサイの仲間のようでアジサイに似た
花が咲いていた。
屋根掛けの下にちょうちんの下がる細い参道を都道137号線に出て東へ、500mほ
ど進めば西武新宿線の東村山駅西口に突き当たる。
わが家からも見える駅前の高層ビル。駅には13時35分に着いた。
駅構内や周辺は高架工事中で、駅舎も改札口も仮設のもの。
ホームからの眺めも、仮設工事中のために数年前とは一変していた。
西武国分寺線上り小川方
西武新宿線上り久米川方
西武新宿線下り所沢方
間もなく来た、本川越行き下り電車に乗る。
(天気 曇後晴、距離 6㎞、地図 所沢(1/2.5万)、歩行地 所沢市(埼玉)、
東村山市(東京)、歩数 12,800)
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