2010年2月24日(振休・月) 〈続き〉
徳蔵寺からT字路に戻りさらに東へ、やはり高架化工事用の鉄柱の立ち並ぶ西武新宿線
の踏切を渡る。
渡ってすぐ左手の石材店には、石灯籠などたくさんの石材が並んでいた。
都道16号・府中街道と交差する久米川辻交差点のすぐ先で左折して北東へ進む。府中
街道に合する直前を横断して、5つ目のスポット梅岩寺(ばいがんじ)へ。
梅岩寺の創建年代は不詳だが、真言宗観音寺として応永5(1397)年の創建と伝え
られ、戦国時代の兵乱で焼失後、曹洞宗梅岩寺と改号し、浄牧院二世の阿山呑硯(あさん
どんせき・承応元(1652)年没)が中興開山したといわれるとか。
徳川家からは寺領10石を受領しており、狭山三十三観音霊場の9番と10番(瀧谷寺)
札所である。
参道に並ぶ何本もの白梅と紅梅がかなり見ごろに。
山門を入った両横には、樹齢約700年で都の天然記念物のケヤキと、樹齢約600年
で市の天然記念物のカヤの巨木が目につく。ケヤキはさらに横に2本の古木がある。
ケヤキは、目通り幹囲7.1m、高さ約32.5mあり、都内のケヤキの中でも有数の
巨樹で、特に樹高が秀でているとか。
また、カヤも都内でも有数の大木で、目通り幹囲5m、高さ約30mという。
正面の本堂は堂々たる構え。その前や、境内の何本もの梅の古木が何れも花をいっぱい
見せている。
左手の庫裡前にはシダレ梅とロウバイが咲き、鐘楼のそばではサンシュユが咲き出して
いた。
府中街道に入り、すぐ近くに最近開店したらしいスーパーアルプスで昼食を求める。
久米川町交差点で府中街道に分かれて北西への細道へ。豪壮な民家の庭に、なぜか丸い
郵便ポストが立っていた。
次のT字路を北に向かうと、大きなアセビがピンクの花をいっぱいに。
秋津街道から秋津町の住宅地を北へ、墓地に囲まれた地蔵堂があり、入口際に市指定有
形民俗文化財の一石六地蔵(いっせきろくじぞう)が祭られていた。
六角形の石柱の各面に地蔵菩薩立像が浮彫りされているもので、地元旧家の先祖が宝暦
10(1760)年と明和3(1766)年に亡くなった幼児の冥福を祈り造立したもの。
一つの石に彫られた六地蔵は、多摩地域では非常に少ないという。
北に緩やかに下る路傍、小さな地蔵尊の背後でたくさんのパンジーが春の訪れを感じさ
せてくれる。
柳瀬川の秋津橋際には、「光あまねしの碑」があった。
文化勲章を受章の詩人・草野心平は、東村山の自然に魅了され、晩年を過ごしたこの地
を「自然のまま」という意味の「五光」と命名し、この地の幸せを祈り「光あまねし」と
したためたという。
その先には西武鉄道の研修センターがあり、構内に研修用の電柱や架線、信号機などが
見られた。
南東側、秋津町四丁目の住宅地の中に、6つ目のスポット氷川神社が祭られている。
現在の社殿は鉄筋コンクリート造りで境内に樹木も少ないが、秋津村真言宗竜泉寺の境
内社として弘仁9(818)年頃に村の鎮守として祭られていたという古社。
江戸時代は南秋津村の鎮守社に、明治6(1873)年には村社になったとか。
毎年10第1日曜日の例大祭には山車が町内を練り歩き、境内では輪踊り(盆踊り)が
行われるという。13時半を過ぎていたので、境内の一隅で昼食にした。
南側の鳥居を出て東側の道路を北へ、十字路際の民家の庭先で、河津桜が見ごろになっ
ている。
北側の秋津第二児童遊園に回ってトイレを借りる。住宅街を東進する途中の民家にも、
シダレザクラが咲き出していた。
秋津町五丁目に入り、最後、7つ目のパワースポット秋津神社へ。広い空き地のある境
内、ケヤキの高木などが社殿を囲んでいる。
祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)で、元弘(1331~4)の戦いの際、新田
義貞が日本武尊の武威を慕ってこの地に陣をはり、不動像を木にかけて祈念したとされて
いるよう。
現在の本殿は文政4~5(1821~2)年か文化7(1810)年の再建と推定され、
正面と側面に精巧な彫刻が施されているようだが、覆屋の中なのでその様子は確認できな
かった。
本殿右手背後には、倶利伽羅(くりから)不動像↑と宝永7(1710)年造立の↓庚申
塔が目につく。
境内東北側から急坂を台地下に下ると、境内の鎮守の森の下からの湧水池があり、その
傍らは児童遊園地になっていた。
東に進み、JR武蔵野線の新秋津駅の北側を跨道橋で越える。ゴールの西武池袋線秋津
駅には14時49分に着いた。
今回の7つのスポット中、諏訪神社と梅岩寺以外は何度か訪れていたが、いつも忙しく
通過していた。今回はゆっくりと巡れたので新発見もあり、好天で暖かな日差しの中、見
ごろの梅などもあちこちで見ることができた。
(天気 快晴、距離 7・5㎞、地図(1/2.5万) 所沢、歩行地 東村山市、歩数
16,200)
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徳蔵寺からT字路に戻りさらに東へ、やはり高架化工事用の鉄柱の立ち並ぶ西武新宿線
の踏切を渡る。
渡ってすぐ左手の石材店には、石灯籠などたくさんの石材が並んでいた。
都道16号・府中街道と交差する久米川辻交差点のすぐ先で左折して北東へ進む。府中
街道に合する直前を横断して、5つ目のスポット梅岩寺(ばいがんじ)へ。
梅岩寺の創建年代は不詳だが、真言宗観音寺として応永5(1397)年の創建と伝え
られ、戦国時代の兵乱で焼失後、曹洞宗梅岩寺と改号し、浄牧院二世の阿山呑硯(あさん
どんせき・承応元(1652)年没)が中興開山したといわれるとか。
徳川家からは寺領10石を受領しており、狭山三十三観音霊場の9番と10番(瀧谷寺)
札所である。
参道に並ぶ何本もの白梅と紅梅がかなり見ごろに。
山門を入った両横には、樹齢約700年で都の天然記念物のケヤキと、樹齢約600年
で市の天然記念物のカヤの巨木が目につく。ケヤキはさらに横に2本の古木がある。
ケヤキは、目通り幹囲7.1m、高さ約32.5mあり、都内のケヤキの中でも有数の
巨樹で、特に樹高が秀でているとか。
また、カヤも都内でも有数の大木で、目通り幹囲5m、高さ約30mという。
正面の本堂は堂々たる構え。その前や、境内の何本もの梅の古木が何れも花をいっぱい
見せている。
左手の庫裡前にはシダレ梅とロウバイが咲き、鐘楼のそばではサンシュユが咲き出して
いた。
府中街道に入り、すぐ近くに最近開店したらしいスーパーアルプスで昼食を求める。
久米川町交差点で府中街道に分かれて北西への細道へ。豪壮な民家の庭に、なぜか丸い
郵便ポストが立っていた。
次のT字路を北に向かうと、大きなアセビがピンクの花をいっぱいに。
秋津街道から秋津町の住宅地を北へ、墓地に囲まれた地蔵堂があり、入口際に市指定有
形民俗文化財の一石六地蔵(いっせきろくじぞう)が祭られていた。
六角形の石柱の各面に地蔵菩薩立像が浮彫りされているもので、地元旧家の先祖が宝暦
10(1760)年と明和3(1766)年に亡くなった幼児の冥福を祈り造立したもの。
一つの石に彫られた六地蔵は、多摩地域では非常に少ないという。
北に緩やかに下る路傍、小さな地蔵尊の背後でたくさんのパンジーが春の訪れを感じさ
せてくれる。
柳瀬川の秋津橋際には、「光あまねしの碑」があった。
文化勲章を受章の詩人・草野心平は、東村山の自然に魅了され、晩年を過ごしたこの地
を「自然のまま」という意味の「五光」と命名し、この地の幸せを祈り「光あまねし」と
したためたという。
その先には西武鉄道の研修センターがあり、構内に研修用の電柱や架線、信号機などが
見られた。
南東側、秋津町四丁目の住宅地の中に、6つ目のスポット氷川神社が祭られている。
現在の社殿は鉄筋コンクリート造りで境内に樹木も少ないが、秋津村真言宗竜泉寺の境
内社として弘仁9(818)年頃に村の鎮守として祭られていたという古社。
江戸時代は南秋津村の鎮守社に、明治6(1873)年には村社になったとか。
毎年10第1日曜日の例大祭には山車が町内を練り歩き、境内では輪踊り(盆踊り)が
行われるという。13時半を過ぎていたので、境内の一隅で昼食にした。
南側の鳥居を出て東側の道路を北へ、十字路際の民家の庭先で、河津桜が見ごろになっ
ている。
北側の秋津第二児童遊園に回ってトイレを借りる。住宅街を東進する途中の民家にも、
シダレザクラが咲き出していた。
秋津町五丁目に入り、最後、7つ目のパワースポット秋津神社へ。広い空き地のある境
内、ケヤキの高木などが社殿を囲んでいる。
祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)で、元弘(1331~4)の戦いの際、新田
義貞が日本武尊の武威を慕ってこの地に陣をはり、不動像を木にかけて祈念したとされて
いるよう。
現在の本殿は文政4~5(1821~2)年か文化7(1810)年の再建と推定され、
正面と側面に精巧な彫刻が施されているようだが、覆屋の中なのでその様子は確認できな
かった。
本殿右手背後には、倶利伽羅(くりから)不動像↑と宝永7(1710)年造立の↓庚申
塔が目につく。
境内東北側から急坂を台地下に下ると、境内の鎮守の森の下からの湧水池があり、その
傍らは児童遊園地になっていた。
東に進み、JR武蔵野線の新秋津駅の北側を跨道橋で越える。ゴールの西武池袋線秋津
駅には14時49分に着いた。
今回の7つのスポット中、諏訪神社と梅岩寺以外は何度か訪れていたが、いつも忙しく
通過していた。今回はゆっくりと巡れたので新発見もあり、好天で暖かな日差しの中、見
ごろの梅などもあちこちで見ることができた。
(天気 快晴、距離 7・5㎞、地図(1/2.5万) 所沢、歩行地 東村山市、歩数
16,200)
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今回は、見ごろの梅と河津桜などもたくさん見ることができ、良いタイミングでした。