2024年1月9日(火)
所澤神明社とともに市内では参詣者の多いのが北野天神社だが、9日になればもう空い
ているだろうと考え、参拝に行くことにした。
国道463号バイパスや県道4号・東京所沢線バイパス、県道179号・所沢青梅線の
交わる大六天交差点から県道179号線を少し西進し、Y字路を右に入って県道の北側を
平行する車の少ない市道に入る。
小手指(こてさし)小の北側にある、「みどりの学校ファーム」と名付けられた学校の
畑の隅に、昨年同様何本かの綿の木があり、実を残していた。
近くの民家の庭先では、たくさんのサザンカが咲く。
その先、小手指中の北西側斜面を上がって西側の市道に出て、少し南下し10時50分
頃、北野天神社の西鳥居前へ。
鳥居際にある当社のパネル
西参道の中ほどには、細い竹の棒を組み合わせたものが。正月の飾り付けの一種のよう。
突き当たりの手水舎で手を洗う。
手水舎には、極彩色の色彩と彫刻が施されている。
横にはナンテンの飾り付けが。
まずは左手、南向きに立つ正面の本殿に参拝する。
拝殿の両側には4種類のおみくじ箱が用意されていた。
拝殿の西側には、当地小手指のキャラクター「こてまる」が
このあと、拝殿の西側に並ぶいくつかの摂社にも参拝することに。最初は小手指神社。
日進日露の両戦役から第二次大戦の終戦にいたるまでの戦いに参戦し、祖国の尊い英霊
となられた方々を祭る社で、毎年4月15日には当地周辺の地区の関係者による慰霊祭が
執行されているという。
もとは航空神社だった、この神社の経緯について記したパネル。
拝殿内には航空神社ゆかりの木札も。
その右手(北側)に立つ「彰忠碑」の碑文は、「元帥伯爵 東郷平八郎」の書。
拝殿背後の本殿の西北側に並ぶのは、稲荷大明神と八雲社
北側を覆う豊富な樹林は、市の保安林になっている。
本殿の東側に回ると、養蚕や機織ゆかりの文子天神社。
その前には、ススキで作ったトトロが。
拝殿の南東側、手水舎横の絵馬掛けには、新しい合格祈願などの絵馬が並ぶ。
近くのロウバイは、かなり開花していた。
手水舎横の、境内維持基金募集のパネルには江戸時代の当社の絵図が。
手水舎の背後、東側の建物は室町期の再建という諸神宮
境内東南側の社務所にて、昨春同様「厄除招福」のお守りを分けていただいた。
社務所付近から眺める手水舎や拝殿周辺
拝殿前の広場の南側にある神楽殿
その横には「尊桜(みことざくら)」と呼ぶ、日本武尊が御東征の折にお手植えされた
桜の4度目のひこばえという、幹が傾いた桜がある。
桜と神楽殿の間には「尊桜の歌碑」があるが、碑文は判読しがたいので説明パネルで。
所沢市最古の歌碑のようで、市の指定文化財(名勝)になっている。
中央部にある手水舎の西側には、ワラで作った神馬が立つ。
令和元(2019)年5月に、氏子会有志が奉納したよう。
その左手は「北野地名由来之碑」と、天正18(1590)年に前田利家が兼栽したと
いう「大納言梅」が並ぶ。
南側には、当地出身の俳優、左卜前(ひだりぼくぜん)の歌碑が。
「常道の芸では 先がしれてる されば 道 遠き苦難のみちを求めん」と刻まれていた。
近くには「宗良親王遺跡」碑も。
ここが、正平7(1352)年12月の小手指ヶ原合戦の御在陣跡のよう。
背後(西側)には「白旗塚」碑なども。
境内の数々の遺跡などをほぼ一巡したので、南側正面から退出することに。
正面参道にも、竹を組み合わせた飾りものが並んでいる。
そばに、徳川時代末期から明治初期まで「に奉納された力石(ちからいし)が。
2つの鳥居をくぐって南側の県道側の正面へ。
石段を下りて県道179号・所沢青梅線に出て、もう一度ふり返り拝礼して11時30
分過ぎに北野天神社を後にした。
そばの北野天神前交差点を少し南下し、東西に走る六つ家川沿いの遊歩道に入り東へ。
南斜面に樹林の残る一帯は「小手指緑地」と名付けられ、保護されている。
流れの北側には遊園地もあるが、この時期は日陰で寒いのか閑散としている。
さらに六つ家川沿いの遊歩道を東進する。
沿道には、たくさんのサザンカ咲く民家も。
県道所沢青梅線の小手指南交差点から南に延びる車道に出て、県道に向かって上がり、
大六天交差点のそばのスーパー・マミーマートで買い物をして帰路に着く。
今日の所沢の気温は11時に5.3℃、12時で7.5℃、快晴ながら日陰では寒さが
気になる陽気だった。
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所澤神明社とともに市内では参詣者の多いのが北野天神社だが、9日になればもう空い
ているだろうと考え、参拝に行くことにした。
国道463号バイパスや県道4号・東京所沢線バイパス、県道179号・所沢青梅線の
交わる大六天交差点から県道179号線を少し西進し、Y字路を右に入って県道の北側を
平行する車の少ない市道に入る。
小手指(こてさし)小の北側にある、「みどりの学校ファーム」と名付けられた学校の
畑の隅に、昨年同様何本かの綿の木があり、実を残していた。
近くの民家の庭先では、たくさんのサザンカが咲く。
その先、小手指中の北西側斜面を上がって西側の市道に出て、少し南下し10時50分
頃、北野天神社の西鳥居前へ。
鳥居際にある当社のパネル
西参道の中ほどには、細い竹の棒を組み合わせたものが。正月の飾り付けの一種のよう。
突き当たりの手水舎で手を洗う。
手水舎には、極彩色の色彩と彫刻が施されている。
横にはナンテンの飾り付けが。
まずは左手、南向きに立つ正面の本殿に参拝する。
拝殿の両側には4種類のおみくじ箱が用意されていた。
拝殿の西側には、当地小手指のキャラクター「こてまる」が
このあと、拝殿の西側に並ぶいくつかの摂社にも参拝することに。最初は小手指神社。
日進日露の両戦役から第二次大戦の終戦にいたるまでの戦いに参戦し、祖国の尊い英霊
となられた方々を祭る社で、毎年4月15日には当地周辺の地区の関係者による慰霊祭が
執行されているという。
もとは航空神社だった、この神社の経緯について記したパネル。
拝殿内には航空神社ゆかりの木札も。
その右手(北側)に立つ「彰忠碑」の碑文は、「元帥伯爵 東郷平八郎」の書。
拝殿背後の本殿の西北側に並ぶのは、稲荷大明神と八雲社
北側を覆う豊富な樹林は、市の保安林になっている。
本殿の東側に回ると、養蚕や機織ゆかりの文子天神社。
その前には、ススキで作ったトトロが。
拝殿の南東側、手水舎横の絵馬掛けには、新しい合格祈願などの絵馬が並ぶ。
近くのロウバイは、かなり開花していた。
手水舎横の、境内維持基金募集のパネルには江戸時代の当社の絵図が。
手水舎の背後、東側の建物は室町期の再建という諸神宮
境内東南側の社務所にて、昨春同様「厄除招福」のお守りを分けていただいた。
社務所付近から眺める手水舎や拝殿周辺
拝殿前の広場の南側にある神楽殿
その横には「尊桜(みことざくら)」と呼ぶ、日本武尊が御東征の折にお手植えされた
桜の4度目のひこばえという、幹が傾いた桜がある。
桜と神楽殿の間には「尊桜の歌碑」があるが、碑文は判読しがたいので説明パネルで。
所沢市最古の歌碑のようで、市の指定文化財(名勝)になっている。
中央部にある手水舎の西側には、ワラで作った神馬が立つ。
令和元(2019)年5月に、氏子会有志が奉納したよう。
その左手は「北野地名由来之碑」と、天正18(1590)年に前田利家が兼栽したと
いう「大納言梅」が並ぶ。
南側には、当地出身の俳優、左卜前(ひだりぼくぜん)の歌碑が。
「常道の芸では 先がしれてる されば 道 遠き苦難のみちを求めん」と刻まれていた。
近くには「宗良親王遺跡」碑も。
ここが、正平7(1352)年12月の小手指ヶ原合戦の御在陣跡のよう。
背後(西側)には「白旗塚」碑なども。
境内の数々の遺跡などをほぼ一巡したので、南側正面から退出することに。
正面参道にも、竹を組み合わせた飾りものが並んでいる。
そばに、徳川時代末期から明治初期まで「に奉納された力石(ちからいし)が。
2つの鳥居をくぐって南側の県道側の正面へ。
石段を下りて県道179号・所沢青梅線に出て、もう一度ふり返り拝礼して11時30
分過ぎに北野天神社を後にした。
そばの北野天神前交差点を少し南下し、東西に走る六つ家川沿いの遊歩道に入り東へ。
南斜面に樹林の残る一帯は「小手指緑地」と名付けられ、保護されている。
流れの北側には遊園地もあるが、この時期は日陰で寒いのか閑散としている。
さらに六つ家川沿いの遊歩道を東進する。
沿道には、たくさんのサザンカ咲く民家も。
県道所沢青梅線の小手指南交差点から南に延びる車道に出て、県道に向かって上がり、
大六天交差点のそばのスーパー・マミーマートで買い物をして帰路に着く。
今日の所沢の気温は11時に5.3℃、12時で7.5℃、快晴ながら日陰では寒さが
気になる陽気だった。
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