2020年2月11日(祝・火)
埼玉県内を中心に歩いているカントリーウオークグループの、発足から満27年の記念
日となる第270会例会に参加した。
集合は東武アーバンパークライン(野田線)の八木崎(やぎさき)駅。快晴たが少し風
が冷たい。10時09分にスタートした。
鎌倉街道中道(なかつみち)の枝道という、線路の北側沿いの道を東北にすぐ、県立春
日部高校前を過ぎる。
さらに少しで春日部八幡神社へ。鳥居の横に「八幡神社参道入口」碑と「都鳥の碑」が
並んでいた。
「都鳥の碑」には、平安初期の歌人、在原業平(ありわらのなりひら)が詠んだ「名に
しおはばいさ事問はん都鳥 わが思ふ人はありやなしやと」の歌碑の由緒が記されている。
業平が奥州に旅したとき、武蔵国と下総(しもふさ)国境にある隅田川の渡しで詠んだ
もの。当時は当神社の辺りが二つの国の境で、奥州への通路にもなっていたとか。その故
事を後世に伝えようと、江戸末期の嘉永6(1853)年に粕壁宿(かすかべしゅく)の
名主が依頼したものという。
豊富な樹木の立ち並ぶ参道を進むと、二の鳥居の先に大イチョウが立ち、その先に端正
な拝殿が祭られていた。
春日部八幡神社は、元弘年中(1331~4)この地の武将だった春日部氏により鎌倉
の鶴岡八幡宮を勧請(かんじょう)したといわれているよう。
春日部氏の領地だった新方領(にいがたりょう)の総鎮守で、天保11(1840)年
の氏子連名帳には、現在の春日部市のほか、久喜市、白岡町、宮代町を含む52か村の氏
子の名が記録されているという。
参道中央の大イチョウには、元弘年間に飛来したイチョウの枝が一夜のうちに生長し、
参詣人を驚かせたという伝説があるようだ。
拝殿右手の壁面には、生まれ年の絵馬に願いを込めると福が来るという、新しい十二支
大絵馬が掲示されている。
拝殿の右手に「希典書」と刻まれた招魂碑が立っていた。日露戦争の将軍・乃木希典の
書で、背後には、日露戦争で戦死した地元の英霊の名が刻まれているよう。
この碑は、昭和20(1945)年の敗戦後、GHQによりつぶされそうになったが、
近所の人が土に埋めて難を逃れ、昭和26(1951)年夏掘り起こしたという。
その奥の稲荷神社横には、「浅間山」と呼ぶ高さ8・2m、周囲200mある、江戸時
代の富士信仰の対象として築かれた富士塚があるようだが、確認は省いた。
また、招魂碑の右手には、「中川低地の河畔砂丘群 浜川戸砂丘」の説明板がある。
榛名山や浅間山の火山灰などによる大量の砂が、平安~室町時代の寒冷期の強い季節風
で利根川の旧河道沿いに吹き溜ためられてできた内陸性の砂丘で、境内の長さ200m、
幅50mの規模で見ることができるという。
ちなみに、この時代の利根川は隅田川から東京湾に流入していた。隅田川も現在の流路
ではなくて、これから向かう古隅田川が本流だった。
大イチョウの近くには、重さ63.75㎏と123.75㎏の力石が保存されていた。
駅前まで戻りさらに西へ、西八木崎三丁目の住宅地を進む。庭に石灯籠などのある家や、
ミツマタの咲き出した家の前など過ぎ、国道16号線に出た。
北に少しで、内牧工業団地の南側沿いの古隅田川遊歩道へ、遊歩道は流路に従い西から
北へと緩やかにカーブする。
沿道の白梅が咲き出し、その先は堤防だったらしい盛土になった樹林に沿って進む。
国道から700m前後で、樹林越しに見えた西側の満蔵寺に入ることにした。柵を越え
て墓地を抜けると、大きな本堂が西向きに建っている。
本堂前の大イチョウは高さ27m、根回り周囲10.4m、推定樹齢350年で、「満
蔵寺のお葉付イチョウ」と呼ばれ、県指定天然記念物である。
このお葉付イチョウは、実が葉の付け根に実ることから名付けられたもの。今は枯れ枝
だが、枝の付き方も普通のイチョウが上に向かって伸びるのに対し、水平もしくは下に向
かって伸びている。
山門を入り左手に立つお堂。
山門の右手前に小さな祠(ほこら)が祭られ、そばに「梅若塚」碑がある。
謡曲「隅田川」のもととなった、大切なわが子・梅若を失った母の哀しい伝説の地は東
京・墨田区の木母寺(もくぼじ)というのが定説のようだが、ここが発祥の地と伝えられ
ていて、ここから木母寺に移されたとされているよう。
この梅若塚を略記した応永3(1393)年の版木が、ここ新方袋の名主の家に所蔵さ
れており、寛延2(1749)年の「葛飾記」にも、ここから木母寺に移されたと記され
ているとか。
この梅若丸の悲しい生涯と母の哀れな運命を知った海蔵寺の裕閑和尚は木像を彫り、体
内に梅若丸が抱えていた母の形見の守り本尊を納め、お堂を立てて安置したといわれ、こ
れが当寺にある子育て地蔵尊だという。
門前にはほかに、日光石、月光石と呼ぶ巨石や、大きな一会(いちえ)観音像などが目
に入る。
寺の周囲は田んぼが広がり、北側には屋敷林に囲まれた古くからの住宅などが望まれる。
寺の前の道路をすぐ先で左折して南西へ、白梅が見ごろな宮川小の北側を進んで古隅田
川の左岸沿いに南下する。
流れは、周辺の住宅の排水だろうかやや汚れていたが、岸辺にはコサギが1羽見えた。
宮川小と豊春中の中間辺り、堤防が続く古隅田公園に、移設された石橋「やじま橋」が
ある。
橋はここ中曽根と対岸のさいたま市岩槻区小溝の間の古隅田川に架けられていたもの。
元文2(1737)年の造立で、石材は江戸城の石垣などにも使用された神奈川県真鶴
(まなづる)地方産。現存の石橋としては県内最古のひとつという。
200mほど先で右折して西にすぐのところで、橋の架けられていたという矢島橋の位
置を確認した。
元の通りに戻り、堤防上に植栽の続く古隅田公園沿いに少し進み、豊春中の南側で公園
の遊歩道に上がった。
間もなく「古隅田野鳥の森」の表示があり、遊歩道は左から右、さらに左へとカーブS
字状に進む。その途中で記念撮影した。
東端まで進んで東武アーバンパークラインの線路際で車道に出る。
踏切を渡り、東側の春日部ハイタウンと呼ぶ住宅地を抜けて県道2号・さいたま春日部
線に出た。
右折してすぐ、古隅田川に架かるのが業平橋。明治時代に架けられた橋だが、もとは
100mほど上流にあり、在原業平が渡ったと伝えられ、近くに在原業平ゆかりの舟塚が
あったといわれているという。
橋の南東側は豊春小。次の十字路を右折し、豊春郵便局前を過ぎ、東武アーバンパーク
ライン隣の駅・豊春(とよはる)駅に12時25分に着いた。
(天気 快晴、距離 5・4㎞、地図(1/2.5万) 岩槻、歩行地 春日部市、歩数
10,300)
このあと、2駅先の岩槻駅まで行き、本町三丁目の愛宕神社の近くにある「にわさきカ
フェいわさ喜」と呼ぶ古民家のカフェへ。
満27年の記念日を祝って乾杯し、27年間の思い出などを語り、大きなメークインを
じっくり煮込んだ今日のメニュー、「ほっこり肉じゃが」を美味しくいただいた。
食後、Nさんが珍しいものを見せてくれた。園芸品種ハツユキカズラの 種だという。イ
ンゲン豆のような細いさやをむくと、このような穂に小さな種が付いているようだ。
14時30分頃岩槻駅に入り、大宮行電車で帰途につく。
帰路、駅のコンコースにある岩槻観光案内所でもらった、「楽楽楽さいたま」第16号を
帰宅後見たら、なんと「にわさきカフェ いわさ喜」が見開きで紹介されていた。
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埼玉県内を中心に歩いているカントリーウオークグループの、発足から満27年の記念
日となる第270会例会に参加した。
集合は東武アーバンパークライン(野田線)の八木崎(やぎさき)駅。快晴たが少し風
が冷たい。10時09分にスタートした。
鎌倉街道中道(なかつみち)の枝道という、線路の北側沿いの道を東北にすぐ、県立春
日部高校前を過ぎる。
さらに少しで春日部八幡神社へ。鳥居の横に「八幡神社参道入口」碑と「都鳥の碑」が
並んでいた。
「都鳥の碑」には、平安初期の歌人、在原業平(ありわらのなりひら)が詠んだ「名に
しおはばいさ事問はん都鳥 わが思ふ人はありやなしやと」の歌碑の由緒が記されている。
業平が奥州に旅したとき、武蔵国と下総(しもふさ)国境にある隅田川の渡しで詠んだ
もの。当時は当神社の辺りが二つの国の境で、奥州への通路にもなっていたとか。その故
事を後世に伝えようと、江戸末期の嘉永6(1853)年に粕壁宿(かすかべしゅく)の
名主が依頼したものという。
豊富な樹木の立ち並ぶ参道を進むと、二の鳥居の先に大イチョウが立ち、その先に端正
な拝殿が祭られていた。
春日部八幡神社は、元弘年中(1331~4)この地の武将だった春日部氏により鎌倉
の鶴岡八幡宮を勧請(かんじょう)したといわれているよう。
春日部氏の領地だった新方領(にいがたりょう)の総鎮守で、天保11(1840)年
の氏子連名帳には、現在の春日部市のほか、久喜市、白岡町、宮代町を含む52か村の氏
子の名が記録されているという。
参道中央の大イチョウには、元弘年間に飛来したイチョウの枝が一夜のうちに生長し、
参詣人を驚かせたという伝説があるようだ。
拝殿右手の壁面には、生まれ年の絵馬に願いを込めると福が来るという、新しい十二支
大絵馬が掲示されている。
拝殿の右手に「希典書」と刻まれた招魂碑が立っていた。日露戦争の将軍・乃木希典の
書で、背後には、日露戦争で戦死した地元の英霊の名が刻まれているよう。
この碑は、昭和20(1945)年の敗戦後、GHQによりつぶされそうになったが、
近所の人が土に埋めて難を逃れ、昭和26(1951)年夏掘り起こしたという。
その奥の稲荷神社横には、「浅間山」と呼ぶ高さ8・2m、周囲200mある、江戸時
代の富士信仰の対象として築かれた富士塚があるようだが、確認は省いた。
また、招魂碑の右手には、「中川低地の河畔砂丘群 浜川戸砂丘」の説明板がある。
榛名山や浅間山の火山灰などによる大量の砂が、平安~室町時代の寒冷期の強い季節風
で利根川の旧河道沿いに吹き溜ためられてできた内陸性の砂丘で、境内の長さ200m、
幅50mの規模で見ることができるという。
ちなみに、この時代の利根川は隅田川から東京湾に流入していた。隅田川も現在の流路
ではなくて、これから向かう古隅田川が本流だった。
大イチョウの近くには、重さ63.75㎏と123.75㎏の力石が保存されていた。
駅前まで戻りさらに西へ、西八木崎三丁目の住宅地を進む。庭に石灯籠などのある家や、
ミツマタの咲き出した家の前など過ぎ、国道16号線に出た。
北に少しで、内牧工業団地の南側沿いの古隅田川遊歩道へ、遊歩道は流路に従い西から
北へと緩やかにカーブする。
沿道の白梅が咲き出し、その先は堤防だったらしい盛土になった樹林に沿って進む。
国道から700m前後で、樹林越しに見えた西側の満蔵寺に入ることにした。柵を越え
て墓地を抜けると、大きな本堂が西向きに建っている。
本堂前の大イチョウは高さ27m、根回り周囲10.4m、推定樹齢350年で、「満
蔵寺のお葉付イチョウ」と呼ばれ、県指定天然記念物である。
このお葉付イチョウは、実が葉の付け根に実ることから名付けられたもの。今は枯れ枝
だが、枝の付き方も普通のイチョウが上に向かって伸びるのに対し、水平もしくは下に向
かって伸びている。
山門を入り左手に立つお堂。
山門の右手前に小さな祠(ほこら)が祭られ、そばに「梅若塚」碑がある。
謡曲「隅田川」のもととなった、大切なわが子・梅若を失った母の哀しい伝説の地は東
京・墨田区の木母寺(もくぼじ)というのが定説のようだが、ここが発祥の地と伝えられ
ていて、ここから木母寺に移されたとされているよう。
この梅若塚を略記した応永3(1393)年の版木が、ここ新方袋の名主の家に所蔵さ
れており、寛延2(1749)年の「葛飾記」にも、ここから木母寺に移されたと記され
ているとか。
この梅若丸の悲しい生涯と母の哀れな運命を知った海蔵寺の裕閑和尚は木像を彫り、体
内に梅若丸が抱えていた母の形見の守り本尊を納め、お堂を立てて安置したといわれ、こ
れが当寺にある子育て地蔵尊だという。
門前にはほかに、日光石、月光石と呼ぶ巨石や、大きな一会(いちえ)観音像などが目
に入る。
寺の周囲は田んぼが広がり、北側には屋敷林に囲まれた古くからの住宅などが望まれる。
寺の前の道路をすぐ先で左折して南西へ、白梅が見ごろな宮川小の北側を進んで古隅田
川の左岸沿いに南下する。
流れは、周辺の住宅の排水だろうかやや汚れていたが、岸辺にはコサギが1羽見えた。
宮川小と豊春中の中間辺り、堤防が続く古隅田公園に、移設された石橋「やじま橋」が
ある。
橋はここ中曽根と対岸のさいたま市岩槻区小溝の間の古隅田川に架けられていたもの。
元文2(1737)年の造立で、石材は江戸城の石垣などにも使用された神奈川県真鶴
(まなづる)地方産。現存の石橋としては県内最古のひとつという。
200mほど先で右折して西にすぐのところで、橋の架けられていたという矢島橋の位
置を確認した。
元の通りに戻り、堤防上に植栽の続く古隅田公園沿いに少し進み、豊春中の南側で公園
の遊歩道に上がった。
間もなく「古隅田野鳥の森」の表示があり、遊歩道は左から右、さらに左へとカーブS
字状に進む。その途中で記念撮影した。
東端まで進んで東武アーバンパークラインの線路際で車道に出る。
踏切を渡り、東側の春日部ハイタウンと呼ぶ住宅地を抜けて県道2号・さいたま春日部
線に出た。
右折してすぐ、古隅田川に架かるのが業平橋。明治時代に架けられた橋だが、もとは
100mほど上流にあり、在原業平が渡ったと伝えられ、近くに在原業平ゆかりの舟塚が
あったといわれているという。
橋の南東側は豊春小。次の十字路を右折し、豊春郵便局前を過ぎ、東武アーバンパーク
ライン隣の駅・豊春(とよはる)駅に12時25分に着いた。
(天気 快晴、距離 5・4㎞、地図(1/2.5万) 岩槻、歩行地 春日部市、歩数
10,300)
このあと、2駅先の岩槻駅まで行き、本町三丁目の愛宕神社の近くにある「にわさきカ
フェいわさ喜」と呼ぶ古民家のカフェへ。
満27年の記念日を祝って乾杯し、27年間の思い出などを語り、大きなメークインを
じっくり煮込んだ今日のメニュー、「ほっこり肉じゃが」を美味しくいただいた。
食後、Nさんが珍しいものを見せてくれた。園芸品種ハツユキカズラの 種だという。イ
ンゲン豆のような細いさやをむくと、このような穂に小さな種が付いているようだ。
14時30分頃岩槻駅に入り、大宮行電車で帰途につく。
帰路、駅のコンコースにある岩槻観光案内所でもらった、「楽楽楽さいたま」第16号を
帰宅後見たら、なんと「にわさきカフェ いわさ喜」が見開きで紹介されていた。
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