大変遅ればせながら新年のご挨拶を申し上げます。新型コロナウィルスの感染拡大は止
まず、1月8日(金)から首都圏1都4県に緊急事態宣言が発令されました。
このような現況から、今年も限られたエリアで巡ったことなどをアップしたいと考えま
す。どうぞよろしくお願いいたします。
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2021年1月1日(金)
最近の新年は、2日に東京都ウオーキング協会主催の都内の七福神巡りに参加していた
のだが、新型コロナウィルスの感染拡大が止まらぬ現況では都心に行くのがためらわれ、
今年は参加しないことにした。
その代わりに、今朝は昨年末から続く好天で風も無く穏やかな新春となったので、市内
にある富士山に上って富士山を眺めてみようと考えた。
10時36分に自宅を出た。まずは近くの普門院に初参りとする。普門院は武蔵野三十
三観音霊場第12番と狭山三十三番霊場第7番霊場である。
門前は市内ウオーキングでいつも通っているが、山門を入るの久しぶり。
昨年は武蔵野三十三観音開創80周年で総開帳の年だったが、巡ろうとした頃に緊急事
態宣言が出されて出鼻をくじかれ、とうとう回ることが出来なかった。
本堂前には小さい観音様が立ち、子どもたちが小さかった当時は4月の釈迦祭の日には
甘茶がふるまわれたことを思い出す。
知らなかったが、門を入った左手に「ぼけ除け地蔵尊」が祭られていた。
門前には、西国三十三観音霊場第14番三井寺の本尊、如意輪観音座像の等身大石像が
ある。
1.7㎞ほどだけ開通中の県道4号・東京所沢線バイパスの梨子の木戸(なしのきど)
交差点を横断して南に下り、弁天池の畔へ。
池の西北に岩崎弁財天が祭られているが、氏子の方々が集まり新年祭が始まったところ
だったので、道路際から拝礼するのみに留めた。
西武狭山線の上山口駅東側の踏切を渡り、柳瀬川の橋を過ぎる。住宅地が途切れ、南側
の稜線に向かって上がると東南側に樹林が近づく。
さらにその上には、この後回る予定の「ドレミの丘公園」の芝生地や背後の荒幡(あら
はた)小の校舎が望まれる。
右手は市の特別緑地保全地区「荒幡富士市民の森」中の「学習の森」と呼ぶ樹林である。
さらに上がった右手に、県の「狭山丘陵いきものふれあいの里センター」の建物がある。
上がりきった正面が今日の目的地、「荒幡の富士」である。
荒幡の富士は、旧荒幡村と近隣の村々の有志により明治17(1884)年から明治
32(1899)年まで16年かけて築き上げた、富士講のシンボルである大きな富士塚。
近郷近在では最大級の富士塚で高さは12mほど。山頂の標高は約119mになる。
登山口には鳥居があり、その右手には大正10(1921)年に文人・大町桂月の撰文
になる「荒幡富士築山碑」が立っている。
登山路は、数m~10m前後で左右にジグザグ状に折れ曲がりながら上がり、曲がり角
には1合目から9合目までの標石が置かれている。
山頂には小さな祠(ほこら)が祭られている。その周囲には10数人の人が上がってい
て、少し密なので注意する。
西南方には大山から丹沢山塊の山並みが、さらに右にお目当ての富士山も左側に少し雲
をまとってはいたが望まれた。
さらに右手間近には埼玉西武ライオンズのホームグラウンドのメットライフドームが。
一方、東方には都心の超高層ビルなどの中に東京スカイツリーも。
北側には地元山口の民家やマンション群、西武池袋線小手指(こてさし)駅周辺のマン
ションなどが望まれ、小手指の背後の山並みは上州三山のひとつ赤城山かと思われる。
眼下の登山口横に祭られているのは富士山には欠かせぬ浅間神社で、氏子会のテントも
設けられている。
10分足らずで登山口を下り、浅間神社に参拝して新型コロナウィルスに感染しないよ
う、あわせて早期の終息を祈願した。
そばの「狭山丘陵いきものふれあいの里センター」に回ってみたが、閉館していた。
浅間神社を出て、北北東へと稜線上の遊歩道を進む。
正面に荒幡小の校舎が見え、その手前を左に回り込み、校舎の背後に広がる「ドレミの
丘公園」と呼ぶ芝生地際へ。
北側一帯の展望が開け、西北には奥武蔵や日本二百名山の武甲山などの山並みが。
北側一帯には、眼下に山口地区の家並みや小手指駅前の高層マンションなどが望まれた。
荒幡の住宅地を東に下って光蔵寺へ。
昨年正月から開創された所沢七福神の寿老人の寺で、新しい寿老人像は山門を入った右
手に祭られている。
その隣には耳を傾けた「聞くぞう地蔵尊」が、悩みごとや困りごとを聞いてくれる。
そばの信号を渡って東側の台地に上がる。市の西部浄水場横の北側を回って東に延びる
樹林帯の中の遊歩道へ。少し進むと「トトロの森2号地」がある。
狭山丘陵の豊かな自然環境を保護するナショナルトラスト運動「トトロのふるさと基金」
により1996年に取得したエリアで、面積は1712㎡という。
さらに広葉樹林を主体に構成される鳩峯公園の落葉した樹林内の遊歩道を進み、右手の
久米水天宮に参拝する。
久米水天宮は北側にある鳩峯八幡神社の摂社のひとつ。安産の神様として市内の人々の
崇敬を集め、毎年1月5日の例大祭にはだるま市が開かれて初詣客などで賑わうが、今日
は3~4組の参拝客のみ。拝殿には小さなだるまが並んでいた。
石段を上がり、北側の林間に祭られた鳩峰八幡神社に回る。
鳩峯八幡神は、延喜21(921)年に山城国(京都)の石清水八幡宮を分祀し勧請し
たと伝えられる古社。
元弘3(1333)年5月、新田義貞が鎌倉討伐の折に参拝して戦勝を祈願したと伝え
られるとか。天正19(1591)年には徳川家康から朱印5石を寄進され、以後代々の
将軍から寄進を受けているという。
慶長13(1608)年に修復された社殿は、一間社流れ造り見世棚形式と呼ぶ建築で、
県内では数少ない室町時代以前の古社建造物として、埼玉県有形文化財に指定されている。
境内には、新田義貞が参拝の時に兜をかけた「兜掛けの松」の何代目かの松があるが、
枯れてしまっていた。
林間を東に延びる参道を進んで鳥居を出て、鳩峯八幡宮を後にした。
東側にある幼稚園も豊富な樹林に囲まれていて、広い園庭には落ち葉が積もっていた。
北に下って久米の住宅地を進み、一部開通中の県道4号・東京所沢線バイパスの東端に
なる北久米交差点に入る。
バイパスを北西に進んで県道55号と交差する岩崎交差点を通過し、西武狭山線を山口
陸橋で越えて梨子の木戸交差点で往路に戻った。
(天気 快晴、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 所沢、歩数 14,400)
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まず、1月8日(金)から首都圏1都4県に緊急事態宣言が発令されました。
このような現況から、今年も限られたエリアで巡ったことなどをアップしたいと考えま
す。どうぞよろしくお願いいたします。
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2021年1月1日(金)
最近の新年は、2日に東京都ウオーキング協会主催の都内の七福神巡りに参加していた
のだが、新型コロナウィルスの感染拡大が止まらぬ現況では都心に行くのがためらわれ、
今年は参加しないことにした。
その代わりに、今朝は昨年末から続く好天で風も無く穏やかな新春となったので、市内
にある富士山に上って富士山を眺めてみようと考えた。
10時36分に自宅を出た。まずは近くの普門院に初参りとする。普門院は武蔵野三十
三観音霊場第12番と狭山三十三番霊場第7番霊場である。
門前は市内ウオーキングでいつも通っているが、山門を入るの久しぶり。
昨年は武蔵野三十三観音開創80周年で総開帳の年だったが、巡ろうとした頃に緊急事
態宣言が出されて出鼻をくじかれ、とうとう回ることが出来なかった。
本堂前には小さい観音様が立ち、子どもたちが小さかった当時は4月の釈迦祭の日には
甘茶がふるまわれたことを思い出す。
知らなかったが、門を入った左手に「ぼけ除け地蔵尊」が祭られていた。
門前には、西国三十三観音霊場第14番三井寺の本尊、如意輪観音座像の等身大石像が
ある。
1.7㎞ほどだけ開通中の県道4号・東京所沢線バイパスの梨子の木戸(なしのきど)
交差点を横断して南に下り、弁天池の畔へ。
池の西北に岩崎弁財天が祭られているが、氏子の方々が集まり新年祭が始まったところ
だったので、道路際から拝礼するのみに留めた。
西武狭山線の上山口駅東側の踏切を渡り、柳瀬川の橋を過ぎる。住宅地が途切れ、南側
の稜線に向かって上がると東南側に樹林が近づく。
さらにその上には、この後回る予定の「ドレミの丘公園」の芝生地や背後の荒幡(あら
はた)小の校舎が望まれる。
右手は市の特別緑地保全地区「荒幡富士市民の森」中の「学習の森」と呼ぶ樹林である。
さらに上がった右手に、県の「狭山丘陵いきものふれあいの里センター」の建物がある。
上がりきった正面が今日の目的地、「荒幡の富士」である。
荒幡の富士は、旧荒幡村と近隣の村々の有志により明治17(1884)年から明治
32(1899)年まで16年かけて築き上げた、富士講のシンボルである大きな富士塚。
近郷近在では最大級の富士塚で高さは12mほど。山頂の標高は約119mになる。
登山口には鳥居があり、その右手には大正10(1921)年に文人・大町桂月の撰文
になる「荒幡富士築山碑」が立っている。
登山路は、数m~10m前後で左右にジグザグ状に折れ曲がりながら上がり、曲がり角
には1合目から9合目までの標石が置かれている。
山頂には小さな祠(ほこら)が祭られている。その周囲には10数人の人が上がってい
て、少し密なので注意する。
西南方には大山から丹沢山塊の山並みが、さらに右にお目当ての富士山も左側に少し雲
をまとってはいたが望まれた。
さらに右手間近には埼玉西武ライオンズのホームグラウンドのメットライフドームが。
一方、東方には都心の超高層ビルなどの中に東京スカイツリーも。
北側には地元山口の民家やマンション群、西武池袋線小手指(こてさし)駅周辺のマン
ションなどが望まれ、小手指の背後の山並みは上州三山のひとつ赤城山かと思われる。
眼下の登山口横に祭られているのは富士山には欠かせぬ浅間神社で、氏子会のテントも
設けられている。
10分足らずで登山口を下り、浅間神社に参拝して新型コロナウィルスに感染しないよ
う、あわせて早期の終息を祈願した。
そばの「狭山丘陵いきものふれあいの里センター」に回ってみたが、閉館していた。
浅間神社を出て、北北東へと稜線上の遊歩道を進む。
正面に荒幡小の校舎が見え、その手前を左に回り込み、校舎の背後に広がる「ドレミの
丘公園」と呼ぶ芝生地際へ。
北側一帯の展望が開け、西北には奥武蔵や日本二百名山の武甲山などの山並みが。
北側一帯には、眼下に山口地区の家並みや小手指駅前の高層マンションなどが望まれた。
荒幡の住宅地を東に下って光蔵寺へ。
昨年正月から開創された所沢七福神の寿老人の寺で、新しい寿老人像は山門を入った右
手に祭られている。
その隣には耳を傾けた「聞くぞう地蔵尊」が、悩みごとや困りごとを聞いてくれる。
そばの信号を渡って東側の台地に上がる。市の西部浄水場横の北側を回って東に延びる
樹林帯の中の遊歩道へ。少し進むと「トトロの森2号地」がある。
狭山丘陵の豊かな自然環境を保護するナショナルトラスト運動「トトロのふるさと基金」
により1996年に取得したエリアで、面積は1712㎡という。
さらに広葉樹林を主体に構成される鳩峯公園の落葉した樹林内の遊歩道を進み、右手の
久米水天宮に参拝する。
久米水天宮は北側にある鳩峯八幡神社の摂社のひとつ。安産の神様として市内の人々の
崇敬を集め、毎年1月5日の例大祭にはだるま市が開かれて初詣客などで賑わうが、今日
は3~4組の参拝客のみ。拝殿には小さなだるまが並んでいた。
石段を上がり、北側の林間に祭られた鳩峰八幡神社に回る。
鳩峯八幡神は、延喜21(921)年に山城国(京都)の石清水八幡宮を分祀し勧請し
たと伝えられる古社。
元弘3(1333)年5月、新田義貞が鎌倉討伐の折に参拝して戦勝を祈願したと伝え
られるとか。天正19(1591)年には徳川家康から朱印5石を寄進され、以後代々の
将軍から寄進を受けているという。
慶長13(1608)年に修復された社殿は、一間社流れ造り見世棚形式と呼ぶ建築で、
県内では数少ない室町時代以前の古社建造物として、埼玉県有形文化財に指定されている。
境内には、新田義貞が参拝の時に兜をかけた「兜掛けの松」の何代目かの松があるが、
枯れてしまっていた。
林間を東に延びる参道を進んで鳥居を出て、鳩峯八幡宮を後にした。
東側にある幼稚園も豊富な樹林に囲まれていて、広い園庭には落ち葉が積もっていた。
北に下って久米の住宅地を進み、一部開通中の県道4号・東京所沢線バイパスの東端に
なる北久米交差点に入る。
バイパスを北西に進んで県道55号と交差する岩崎交差点を通過し、西武狭山線を山口
陸橋で越えて梨子の木戸交差点で往路に戻った。
(天気 快晴、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 所沢、歩数 14,400)
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