2020年12月21日(月)
今朝は零下2.5℃まで冷え込んだようだが、日中は昨日のような風も治まり穏やかな
日和になりそうなので、久しぶりに狭山湖とトトロの森周辺へのウオーキングに出かけた。
参考にしたコースは、最近所沢市内で配布を始めた小冊子『所沢市おさんぽナビ』に紹
介されている「狭山湖とトトロの森 おさんぽコース」である。
西武狭山線の終点、西武球場前駅に10時39分に着き、10時45分にスタートする。
そばの県道55号・所沢武蔵村山立川線を横断して、西側斜面にある狭山不動尊へ。
この寺は、西武鉄道など西武グループの創業者で第44代衆議院議長も務めた堤康次郎
氏が、東京・芝のプリンスホテル開発に際して買収した用地の遺構や、各地の文化財を移
築して天台宗別格本山として1975(昭和50)年に開山したとのこと。
境内には、10を越える門やお堂が並んでいる。まずは入口にあたる勅額門を入る。
もとは東京・芝の徳川家台徳院(2代将軍秀忠の廟)にあったものとか。寛永9(1632)
年に3代将軍家光が建立したもので、国指定重要文化財という。
門の右手には御神木であるイチョウの大木が立っている。もとは江戸城を築いた太田道
灌が城塞を築いていた城山城址にあったもので、関東大震災の際には大勢の人々がこの木
の下に寄って難を免れたと言われているよう。
少し上がると朱塗りの御成門。やはり東京・芝の台徳院に勅額門と同じ寛永9(1632)
年に建立され、同様に国指定重要文化財になっているとのこと。
その上にある総門は、もと長州藩(山口県)主毛利家の江戸屋敷の門で、すべてケヤキ
造りのようで、直線が巧みに組み合わされた武家屋敷らしい構えだ。
門を入った正面に、本堂にあたる不動寺の建物がある。
東側に立つのは埼玉県指定有形文化財の第一多宝塔。大阪府高槻市の畠山神社に美濃国
林丹波守が建立したと伝えられ、慶長12(1607)年の建立のよう。
西側高みには弁天堂がある。滋賀県彦根市の清涼寺に井伊直孝の息女が建立したもので、
万治2(1659)年から元禄6(1693)年の間の建立と考えられているという。
近くに並ぶお地蔵さん。
境内南西側に立つのは第二多宝塔。室町中期の永享7(1435)年に兵庫県加東市の
椅鹿寺に播磨国守護の赤松満男教康が建立したものとか。室町時代中期の様式をよく伝え
ている秀作という。
ほかにもいくつかの建造物があり、一巡してから北西側に上がって東京・芝の増上寺か
ら移設された石灯ろうの間を進み桜井門から狭山不動尊を後にした。
なお、桜井門は奈良県十津川村の桜井寺の山門として建立されたもの。
桜井寺は幕末に尊王攘夷派の一派である天誅組(てんてゅうぐみ)の本陣として利用さ
れたことで知られている。
北に進んで間もなく、東京都の水瓶の一つ、狭山湖の堰堤(えんてい)南端に出た。
休憩舎の周辺には、世界初の既設アーチダムに耐震強化工事を行ったことに対する業績
を称えた土木学会の表彰パネルや、同じく堤体の耐震強化工事完成を記念して平成14
(2002)年に設置した当時の石原都知事揮毫(きごう)の石碑がある。
静かな湖面に設けられた取水塔の向こうには、奥多摩のシンボル大岳山など奥多摩から
奥武蔵の山並みが連なり、湖面を囲む広葉樹林は初冬の彩りを見せる。
堤体上を北端に向かう。東北側眼下には地元山口集落の家並みが、その向こうには所沢
中心市街地の高層マンションなどが望まれ、東側遙かには、都心の超高層ビル群らしいの
も眺められた。
狭山湖の堤体上を進んで北端の休憩舎際へ。
ここまで進むと、西南西に富士山が見えてきた。12月になっても関東平野は雨が少な
いが、富士山の降雪も少な目に見える。
北側の広葉樹林の中には、葉が落ちて枯枝になったのも望まれる。そばの芝生地や、周
辺に立つケヤキらしい大きな木も枯れ枝になっていた。まだ葉の残るのはクヌギのよう。
北側の芝生地には、春の花見時には賑わうソメイヨシノがあるが、やはり枯れ枝となっ
ていた。
北側湖岸を囲む金網越しにもう一度富士山を眺め、狭山湖畔を離れた。
車道を横断して東へ、二つ並ぶ所沢市西部浄水場のタンクと狭山丘陵の雑木林の間を進
む。雑木林の一角に「トトロの森 39号地」の説明板が立っていた。
2016年8月に公益財団法人「トトロのふるさと基金」が取得したもの。面積は
1,435㎡という。なお、今月初めまでに取得したトトロの森は55号地まである。
ちなみに、トトロのふるさと基金は1990年にナショナル・トラストとして発足し、
1998年に財団法人化したもので、会員の年会費と寄付のみで運営する公益法人。
狭山丘陵とその周辺の良好な自然環境、里山や文化財の保全・活用することにより公共
の福祉に寄与することを目的としており、私も会員になっている。
浄水場の東南端の一角には、小さな稲荷神社のほこらが2つ並んでいた。
その先突き当たりが、「とことこソーラー北野」と呼ぶメガソーラー所沢の施設。
もとは所沢市北野一般廃棄物最終処分場だったが、埋め立て処分終了後その上に土を覆
ってたくさんのソーラーパネルを設置したもの。
見学用デッキには、施設概要や現在の発電能力などのパネルがある。
メガソーラー前から、クヌギなどの紅葉の残る雑木林の北側沿いを東進する。400m
余り進んで南に向きを変えて少しずつ下る。東側一帯は埼玉県の「緑のトラスト保全第2
号地」の「狭山丘陵・雑魚入(ざこいり)樹林地」である。
下り坂の右手(西側)中ほどに、堀口天満天神社が祭られている。10年以上前には周
辺への用事で年4回は参拝していたが、以後はほとんど来たことがなく久しぶりになる。
堀口天満天神社は地頭の久松氏が天正年間(1573~93)に耕地を寄附して堀口村
の鎮守とし、慶安2(1649)年には江戸幕府から社領5石の朱印状を拝領したという。
明治元(1868)年には、近くの清照寺境内にあった八坂神社と稲荷神社を合祀し、
昭和初期に狭山湖の造成に伴い当地へ遷座したようだ。
今日は、新型コロナウィルスの感染防止と早期沈静化などを祈願して参拝した。境内に
は、合祀した八坂神社と稲荷神社の社殿もある。
雑魚入り樹林地沿いに南から東へと林道を回り込むと、「トトロの森45号地」がある。
2017年5月に取得したもので面積は289m余りと少な目だが、今年初めにコナラ
やアカマツ、ヤマツツジを植林したことが記されていた。
少し戻り林道の三差路から雑魚入り樹林内に入り、東南側の東屋(あずまや)際に下る。
南側斜面一帯は、1991年8月にトトロ財団が最初に所得した「トトロの森 1号地」
である。
それらの間を東に緩やかに下ってT字路際に出た。突き当たりの樹林に何本かのモミジ
があり、まだ葉を残していた。
林間を少し南進した茶畑の東側斜面は「トトロの森3号地」。1990年の取得で面積
は1,250㎡ほどのよう。この辺り一帯は、「上山口堀口天満天神社周辺 里山保全地域」
と「狭山丘陵いきものふれあいの里 虫たちの森」であることを記したパネルもある。
3号地の南側にももう一つのパネルが立っていた。こちらは「トトロの森15号地」で、
2011年10月に「チカタの景観を考える会」から引き継いだという。
南進して車道と柳瀬川の八生橋を横断する。その先の新興住宅地の間に所沢市内では数
少ない水田が数枚残っている。
その間を西進して、小さな林間にわずかに流れる柳瀬川の源流部を確認した。
周辺の農家の屋敷林だろうか、ケヤキなどの高木や竹林などが望まれる。
狭山湖の南側に向かう車道を横断して南側の集落に入ると、三差路際に赤い帽子とマフ
ラーをまとった3体のお地蔵さんと古い石仏が集められていた。
何れもかなりの年月を経過しているようで、文字などは全く認識できない。
県道55号線と西武球場前駅に近い西武狭山線の高架下をくぐって南側の新興住宅地の
西端の急坂を上がる。
住宅地の南側に、「狭山湖畔霊園」の標石と菩提樹池への道標が立っていた。霊園の南
側沿いにつけられた遊歩道を上がって行くと、墓地の向こうに山口地区の家並みや所沢市
街地中心街のマンション群などがよく見える。
マンション群の左手遙かには、筑波山らしい双耳峰も望まれた。
稜線上に出ると奇妙な形の建物がある。霊園の休憩所のようだが道路側からは入れない
ようになっていた。
その南側からさらに東へ。樹木の間から狭山湖の堰堤や背後の樹林、その背後には比企
丘陵の堂平山や笠山などのスカイラインも望まれる。
北側には山口地区の住宅街や椿峰(つばきみね)団地などが一望である。
霊園の建物の少し先には観音像が霊園の方を向いて北向に立ち、南側には菩提樹池里山
保全地域になっている広葉樹林が広がる。
少しずつ高度を下げて進むと、霊園の南側に樹林に囲まれた菩提樹池があった。周回で
きる道がついたので一周する。
池はこの寒さで薄めながら氷に覆われ、その上に落ち葉がたくさん落ちていた。
池の東南側から、菩提樹池からの流れに沿った湿地帯沿いに東進する。
林を出たところに3枚の谷地田(やちだ)があり、傍らに作業用の小屋も設けられ、菩
提樹池里山保全地域の説明パネルも立っていた。
その先は住宅地を南東に進んだが、おさんぽコース地図上の見晴らしの良い丘に向かう
道が見つからない。
ひとつの目印になる狭山湖からの水道管の埋め込まれた↑アルペンロード(水道路)は
分かったので、その道路を上がって南側に進んでものの西武園ゴルフ場に入りそうなので
折り返す。
14時30分近くなったが今日は昼食を用意してこなかったので、この先はコース確認
を諦めてゴールの下山口駅に向かうことにした。
東北東へと住宅地や畑の間などを進み、山口城址前交差点から北進して西武狭山線の北
側の県道55号線に出て、山口城址に近い中華系のバーミヤンで遅い昼食を済ます。
注文した「海鮮3種あんかけおこげ」
県道を東進して、ゴールの西武狭山線下山口駅には15時32分に着いた。
(天気 快晴、距離 9㎞、地図 『所沢市おさんぽナビ』中の「06 狭山湖とトトロの
森 お散歩コース」、1/2.5万所沢、歩数 18,100)
ちなみに、「トトロのふるさと基金」についてはこちらのサイトをご覧下さい。
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今朝は零下2.5℃まで冷え込んだようだが、日中は昨日のような風も治まり穏やかな
日和になりそうなので、久しぶりに狭山湖とトトロの森周辺へのウオーキングに出かけた。
参考にしたコースは、最近所沢市内で配布を始めた小冊子『所沢市おさんぽナビ』に紹
介されている「狭山湖とトトロの森 おさんぽコース」である。
西武狭山線の終点、西武球場前駅に10時39分に着き、10時45分にスタートする。
そばの県道55号・所沢武蔵村山立川線を横断して、西側斜面にある狭山不動尊へ。
この寺は、西武鉄道など西武グループの創業者で第44代衆議院議長も務めた堤康次郎
氏が、東京・芝のプリンスホテル開発に際して買収した用地の遺構や、各地の文化財を移
築して天台宗別格本山として1975(昭和50)年に開山したとのこと。
境内には、10を越える門やお堂が並んでいる。まずは入口にあたる勅額門を入る。
もとは東京・芝の徳川家台徳院(2代将軍秀忠の廟)にあったものとか。寛永9(1632)
年に3代将軍家光が建立したもので、国指定重要文化財という。
門の右手には御神木であるイチョウの大木が立っている。もとは江戸城を築いた太田道
灌が城塞を築いていた城山城址にあったもので、関東大震災の際には大勢の人々がこの木
の下に寄って難を免れたと言われているよう。
少し上がると朱塗りの御成門。やはり東京・芝の台徳院に勅額門と同じ寛永9(1632)
年に建立され、同様に国指定重要文化財になっているとのこと。
その上にある総門は、もと長州藩(山口県)主毛利家の江戸屋敷の門で、すべてケヤキ
造りのようで、直線が巧みに組み合わされた武家屋敷らしい構えだ。
門を入った正面に、本堂にあたる不動寺の建物がある。
東側に立つのは埼玉県指定有形文化財の第一多宝塔。大阪府高槻市の畠山神社に美濃国
林丹波守が建立したと伝えられ、慶長12(1607)年の建立のよう。
西側高みには弁天堂がある。滋賀県彦根市の清涼寺に井伊直孝の息女が建立したもので、
万治2(1659)年から元禄6(1693)年の間の建立と考えられているという。
近くに並ぶお地蔵さん。
境内南西側に立つのは第二多宝塔。室町中期の永享7(1435)年に兵庫県加東市の
椅鹿寺に播磨国守護の赤松満男教康が建立したものとか。室町時代中期の様式をよく伝え
ている秀作という。
ほかにもいくつかの建造物があり、一巡してから北西側に上がって東京・芝の増上寺か
ら移設された石灯ろうの間を進み桜井門から狭山不動尊を後にした。
なお、桜井門は奈良県十津川村の桜井寺の山門として建立されたもの。
桜井寺は幕末に尊王攘夷派の一派である天誅組(てんてゅうぐみ)の本陣として利用さ
れたことで知られている。
北に進んで間もなく、東京都の水瓶の一つ、狭山湖の堰堤(えんてい)南端に出た。
休憩舎の周辺には、世界初の既設アーチダムに耐震強化工事を行ったことに対する業績
を称えた土木学会の表彰パネルや、同じく堤体の耐震強化工事完成を記念して平成14
(2002)年に設置した当時の石原都知事揮毫(きごう)の石碑がある。
静かな湖面に設けられた取水塔の向こうには、奥多摩のシンボル大岳山など奥多摩から
奥武蔵の山並みが連なり、湖面を囲む広葉樹林は初冬の彩りを見せる。
堤体上を北端に向かう。東北側眼下には地元山口集落の家並みが、その向こうには所沢
中心市街地の高層マンションなどが望まれ、東側遙かには、都心の超高層ビル群らしいの
も眺められた。
狭山湖の堤体上を進んで北端の休憩舎際へ。
ここまで進むと、西南西に富士山が見えてきた。12月になっても関東平野は雨が少な
いが、富士山の降雪も少な目に見える。
北側の広葉樹林の中には、葉が落ちて枯枝になったのも望まれる。そばの芝生地や、周
辺に立つケヤキらしい大きな木も枯れ枝になっていた。まだ葉の残るのはクヌギのよう。
北側の芝生地には、春の花見時には賑わうソメイヨシノがあるが、やはり枯れ枝となっ
ていた。
北側湖岸を囲む金網越しにもう一度富士山を眺め、狭山湖畔を離れた。
車道を横断して東へ、二つ並ぶ所沢市西部浄水場のタンクと狭山丘陵の雑木林の間を進
む。雑木林の一角に「トトロの森 39号地」の説明板が立っていた。
2016年8月に公益財団法人「トトロのふるさと基金」が取得したもの。面積は
1,435㎡という。なお、今月初めまでに取得したトトロの森は55号地まである。
ちなみに、トトロのふるさと基金は1990年にナショナル・トラストとして発足し、
1998年に財団法人化したもので、会員の年会費と寄付のみで運営する公益法人。
狭山丘陵とその周辺の良好な自然環境、里山や文化財の保全・活用することにより公共
の福祉に寄与することを目的としており、私も会員になっている。
浄水場の東南端の一角には、小さな稲荷神社のほこらが2つ並んでいた。
その先突き当たりが、「とことこソーラー北野」と呼ぶメガソーラー所沢の施設。
もとは所沢市北野一般廃棄物最終処分場だったが、埋め立て処分終了後その上に土を覆
ってたくさんのソーラーパネルを設置したもの。
見学用デッキには、施設概要や現在の発電能力などのパネルがある。
メガソーラー前から、クヌギなどの紅葉の残る雑木林の北側沿いを東進する。400m
余り進んで南に向きを変えて少しずつ下る。東側一帯は埼玉県の「緑のトラスト保全第2
号地」の「狭山丘陵・雑魚入(ざこいり)樹林地」である。
下り坂の右手(西側)中ほどに、堀口天満天神社が祭られている。10年以上前には周
辺への用事で年4回は参拝していたが、以後はほとんど来たことがなく久しぶりになる。
堀口天満天神社は地頭の久松氏が天正年間(1573~93)に耕地を寄附して堀口村
の鎮守とし、慶安2(1649)年には江戸幕府から社領5石の朱印状を拝領したという。
明治元(1868)年には、近くの清照寺境内にあった八坂神社と稲荷神社を合祀し、
昭和初期に狭山湖の造成に伴い当地へ遷座したようだ。
今日は、新型コロナウィルスの感染防止と早期沈静化などを祈願して参拝した。境内に
は、合祀した八坂神社と稲荷神社の社殿もある。
雑魚入り樹林地沿いに南から東へと林道を回り込むと、「トトロの森45号地」がある。
2017年5月に取得したもので面積は289m余りと少な目だが、今年初めにコナラ
やアカマツ、ヤマツツジを植林したことが記されていた。
少し戻り林道の三差路から雑魚入り樹林内に入り、東南側の東屋(あずまや)際に下る。
南側斜面一帯は、1991年8月にトトロ財団が最初に所得した「トトロの森 1号地」
である。
それらの間を東に緩やかに下ってT字路際に出た。突き当たりの樹林に何本かのモミジ
があり、まだ葉を残していた。
林間を少し南進した茶畑の東側斜面は「トトロの森3号地」。1990年の取得で面積
は1,250㎡ほどのよう。この辺り一帯は、「上山口堀口天満天神社周辺 里山保全地域」
と「狭山丘陵いきものふれあいの里 虫たちの森」であることを記したパネルもある。
3号地の南側にももう一つのパネルが立っていた。こちらは「トトロの森15号地」で、
2011年10月に「チカタの景観を考える会」から引き継いだという。
南進して車道と柳瀬川の八生橋を横断する。その先の新興住宅地の間に所沢市内では数
少ない水田が数枚残っている。
その間を西進して、小さな林間にわずかに流れる柳瀬川の源流部を確認した。
周辺の農家の屋敷林だろうか、ケヤキなどの高木や竹林などが望まれる。
狭山湖の南側に向かう車道を横断して南側の集落に入ると、三差路際に赤い帽子とマフ
ラーをまとった3体のお地蔵さんと古い石仏が集められていた。
何れもかなりの年月を経過しているようで、文字などは全く認識できない。
県道55号線と西武球場前駅に近い西武狭山線の高架下をくぐって南側の新興住宅地の
西端の急坂を上がる。
住宅地の南側に、「狭山湖畔霊園」の標石と菩提樹池への道標が立っていた。霊園の南
側沿いにつけられた遊歩道を上がって行くと、墓地の向こうに山口地区の家並みや所沢市
街地中心街のマンション群などがよく見える。
マンション群の左手遙かには、筑波山らしい双耳峰も望まれた。
稜線上に出ると奇妙な形の建物がある。霊園の休憩所のようだが道路側からは入れない
ようになっていた。
その南側からさらに東へ。樹木の間から狭山湖の堰堤や背後の樹林、その背後には比企
丘陵の堂平山や笠山などのスカイラインも望まれる。
北側には山口地区の住宅街や椿峰(つばきみね)団地などが一望である。
霊園の建物の少し先には観音像が霊園の方を向いて北向に立ち、南側には菩提樹池里山
保全地域になっている広葉樹林が広がる。
少しずつ高度を下げて進むと、霊園の南側に樹林に囲まれた菩提樹池があった。周回で
きる道がついたので一周する。
池はこの寒さで薄めながら氷に覆われ、その上に落ち葉がたくさん落ちていた。
池の東南側から、菩提樹池からの流れに沿った湿地帯沿いに東進する。
林を出たところに3枚の谷地田(やちだ)があり、傍らに作業用の小屋も設けられ、菩
提樹池里山保全地域の説明パネルも立っていた。
その先は住宅地を南東に進んだが、おさんぽコース地図上の見晴らしの良い丘に向かう
道が見つからない。
ひとつの目印になる狭山湖からの水道管の埋め込まれた↑アルペンロード(水道路)は
分かったので、その道路を上がって南側に進んでものの西武園ゴルフ場に入りそうなので
折り返す。
14時30分近くなったが今日は昼食を用意してこなかったので、この先はコース確認
を諦めてゴールの下山口駅に向かうことにした。
東北東へと住宅地や畑の間などを進み、山口城址前交差点から北進して西武狭山線の北
側の県道55号線に出て、山口城址に近い中華系のバーミヤンで遅い昼食を済ます。
注文した「海鮮3種あんかけおこげ」
県道を東進して、ゴールの西武狭山線下山口駅には15時32分に着いた。
(天気 快晴、距離 9㎞、地図 『所沢市おさんぽナビ』中の「06 狭山湖とトトロの
森 お散歩コース」、1/2.5万所沢、歩数 18,100)
ちなみに、「トトロのふるさと基金」についてはこちらのサイトをご覧下さい。
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コロナと体力低下で出かけられる範囲も限られましたが、
来年も出来る範囲で、近辺をあちこちを巡ってみたいと思います。