あるきメデス

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2023新春 所沢七福神巡り(後半)(埼玉・所沢)

2023-01-20 21:47:05 | 七福神めぐり
 2023年1月8日(日) 〈後半・5番 光蔵寺~7番 海蔵寺〉

 所沢七福神巡りの前半から1日おいて今日、後半を巡ることにした。

 自宅を9時28分に出た。西武池袋線・狭山線の西所沢駅西側で狭山線の踏切を渡り、
南南東へ住宅地を進む。

 池袋線の東側踏切から南西へと延びる県道55号・所沢武蔵村山立川線を越えて、台地
下へと県道横の細道を下る。


 第4番永源寺の西側、釣り堀を埋め立てた造成地横を進み、永源寺バス停際から南西に
少しで県道4号・東京所沢線バイパスを山王橋(西)を横断した。


      あとは一昨日のルートを逆に進んで、鳩宮八幡の東側鳥居を入る。
     

          
 所沢市保存樹林に指定されているヒノキ科樹林などの間を上がり、鳩峯八幡宮の拝殿に
参拝する。


 鳩峰八幡神社は、延喜21(921)年に山城国(京都)の石清水八幡宮を分祀して鎮
座したと伝わる古社。元弘3(1333)年5月に新田義貞が鎌倉討伐の折、一昨日通過
した八国山の将軍塚に陣を置き、当社に参拝して戦勝を祈願したと伝わるとか。

 拝殿背後の本殿は埼玉県指定文化財で、県内に数少ない室町時代以前の古社建造物のよ
うだが、覆屋の中なので見られない。

                     
 拝殿の左手前に「新田義貞兜掛松史跡」碑があり、その横には枯れて何代目かに植え替
えられた細い松が立っていた。
     

 豊富な樹林に覆われた境内の南側には、摂社の久米水天宮が祭られている。

 
 毎年1月5日には早朝から日没まで初水天宮が開催され、当日は大小さまざまなだるま
が並ぶ「はだるま市」が開かれ、祈願成就を願う多くの参拝客がだるまを求めるという。


 拝殿の濡れ縁には色とりどりのだるまが並び、奉納されたたくさんの折り鶴が下がる。
     

 
 拝殿前の休憩舎には、古い絵馬が幾つか掲額されていた。


     
 鳩峯八幡宮と久米水天宮の間の樹林帯の遊歩道を、西南西へ延びる所沢市の保存樹林に
なっている稜線を進む。一帯の樹林は、所沢市の鳩峯公園となっている。


 近くには、いくつかの保存活動団体の立札が。


     

 さらに進むと「トトロの森2号地」がある。



  前方に所沢市の浄水場のタンクが現れ、その横を下って行くと、次の光蔵寺の大屋根が
見えてきた。


 北に見える高層ビルは、西武池袋線小手指駅北口のもの。


 下りきり南北に走る市道を渡れば、第5番寿老人の光蔵寺の山門前に。


 光蔵寺は、上組と下組に分かれていた荒幡地区の下組の寺とされ、創建年代は不詳だが、
石碑の年代を見ると鎌倉時代から続く寺らしい。


      本堂の右手前には弘法大師像が。
     

      手前の、山門を入ってすぐ右手に寿老人が祭られている。
     

 寿老人の右手には「聞くそう地蔵尊」があり、うれしいことや愚痴など何でも聞いてく
れるようで、日頃のストレス発散に話してみるのがよさそう。


 境内右手、北側から南西へと回り込んで少し行き過ぎ、北に向かって荒幡小の東側方面
へと上がると、斜面の花畑にたくさんの花キャベツやパンジーが並ぶ。


 荒幡小の東北端から北へと斜面を下り、西から南西へと寺の周囲を回り込み、西側、山
門のない開放的な境内に入って、第6番布袋尊の本覚院へ。


 創建は室町時代で、一時荒れ果てたが平成12(2000)年に本堂が新築再建された
とか。先ほどの光蔵寺と対をなすというか、荒幡上組の寺とされているよう。

      布袋尊は、本堂右手前でに微笑んで立っている。
     

     
      境内には、観音像や露座の六地蔵などがある。


 西側入口際には弁天池があり、小さなお堂に弁天様は祭られているようだ。


 その横から南に延びる間道を進み、荒幡公民館の先から上り坂となる。

 左手に広々とした芝生地が現れ、階段もあるので上がって行く。



 稜線沿いの遊歩道からは来たことのある「ドレミの丘公園」で、北側の北野や小手指方
面の住宅地の展望が開けている。


 西方には、少し霞んではいるが秩父の武甲山も望まれた。



 稜線上の遊歩道を北西へ。南側眼下は荒幡小で、東方には先ほど北側を通過した水道タ
ンクが。


     
   この辺りも、ブナ科樹木が主体の市の保存樹林になっている。西側斜面には茶畑も。





 少し先、突き当たりが荒幡富士で、山麓には浅間神社が祭られているので参拝する。


 荒幡富士は、浅間神社の南側に明治17(1884)年から15年かけて、当時の荒幡
村の住民たちが作った人工の小富士で、各地にある富士塚の中では最大級のもの。

 

 北側から、つづら折りの登山道を標高差約10mほど上がると、山頂には小さな祠が祭
られている。



 山頂からは狭山丘陵をはじめ、丹沢から奥多摩、秩父連山などが一望できるが、今日は
かなり霞んでいて、遠望は利きにくい。

 
 北側には、小手指方面の高層ビルやマンションなどが望まれた。


 北側山麓、登山口横には、この絶景を称えた文人、大町桂月の撰文による荒幡富士築山
碑が立っている。
     

 この辺り一帯、コナラやアカマツを主体とする林は所沢市の荒幡富士特別緑地保全地区
で、「荒幡富士市民の森」とも呼ばれている。北西側からもう一度、荒幡富士を眺める。



 市民の森の一角、すぐ北側を少し下がると「埼玉県狭山丘陵いきものふれあいの里セン
ター」があり、平坦な建物の屋上は自生した草に覆われている。



 ここも何度か来ているが今回も入館して、狭山丘陵に生息するいきものなどの展示を一
巡して観覧した。


     

     
 荒幡富士から西に延びる稜線沿いの遊歩道をさらに少し進み、西広場から北に向かって
下る。
          

 荒幡の住宅地を北に進んで神明橋際から西進して次の橋を渡り、すぐのT字路から西南
西に進んで第7番、毘沙門天の海蔵寺へ。

 海蔵寺は、鎌倉時代の小手指ヶ原の戦いや、南北朝時代の動乱で戦死した武士を弔らう
ため、室町時代にそばの山口城主の一族が建立した寺で、江戸時代には出世寺として人気
があったよう。
 
 本堂や庫裡などは、近年に再建したようで新しい。


          
      毘沙門天は、本堂左手前に立ち、左手近くには弘法大師像も。
     

 庫裡の前の、流れに囲まれた庭木などもよく整えられている。


 ここで七福神巡りを終えた。最寄り駅、西武狭山線の下山口駅に向かって来た道を戻り、
されに少し進む。柳瀬川の橋際に桜淵延命地蔵堂があったので参拝する。


     
 
 お堂の傍らのスイセンが、見ごろになっていた。



 13時12分に下山口駅に着き、13時21分発上り西所沢駅行電車に乗る。


     

 (天気 快晴、距離 9㎞、地図 「所沢七福神めぐり 八国山・荒幡富士コース」地図、
  歩数 16,000) 



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