2020年1月27日(月)(後半)
草津温泉の中心、湯畑の西側から西の河原(さいのかわら)通りに入ると、立派な旅館
や土産物店などが続いている。
奈良屋と呼ぶこの旅館は徳川将軍に温泉を献上していたよう。
右手からの湯滝通りと合し、左へとカーブしてさらに進む。
ユニークな店がいろいろあり、両側のウィンドウなどを眺めながら進む。
大きなガラス店の前では、温泉たまごを造っていた。別の入口の前には、3つのポスト
が並んでいる。
傍らの説明によれば、「日本の初期のポストは黒色だった。しかし当時は公衆便所が普
及し始めた頃でもあり、「便」の字を見た通行人が垂便箱(トイレ)と勘違いしたり、夜
間は見にくいなどの問題が起こり、明治34(1901)年に鉄製ポストを試験導入した
際、「目立つ色」として赤色に変えられた」という。
3つのポストは実際に使われていたものをレトロ風に塗り替えたものだが、郵便物の投
函はできない。
左手高みから合した「しゃくなげ通り」に入り、すぐ先を左折して草津片岡鶴太郎美術
館前を過ぎると家並みが途絶え、前方のあちこちから湯気の立ち上る西の河原公園に入る。
西の河原公園は、温泉街の西方にあるのでこの名があり、湯畑と並んで草津温泉の人気
スポット。
公園の東側山すそを流れる湯川や、その右岸側の幅広い河原のそちこちに湯気が立ち上
がり、摂氏50℃以上の温泉が湧き出していて、湧出量は毎分1万5千リットルに及んで
いるとか。
遊歩道などが整備されていて、気軽に温泉が湧出する様子を観察できる。
両側の斜面には残雪があるが、何か所も湧出する源泉に手を入れると熱々の源泉が確認
でき、冷えた手が温まり気持ち良い。
遊歩道を少し進むと、左手に「鬼の茶釜」碑があった。その先、斜面上には草津稲荷神
社が祭られている。
遊歩道沿いに数体のお地蔵さんが並び、その中には「縁結地蔵尊」「ぴんころ地蔵尊」
「夫婦円満 子宝地蔵尊」などもある。近くの路傍にあった温度計はちょうど0℃を示し
ていた。
その辺りから西の河原は幅が広がり、あちこちから湯煙が・・・。
左手山すそに2体の胸像がある。ベルツ・スクリバ両博士胸像で、傍らにその説明板が
立っていた(左がベルツ博士、右がスクリバ博士)。
そばの2つの記念碑↓は、「ベルツ先生記念碑」(左)と「水原秋桜子碑」(右)。
ベルツ博士は明治11(1878)年に草津温泉を訪れて草津温泉の優れた効能と環境
に魅せられ、草津を愛し、特に高温入浴法の「時間湯」が博士の貴重なテーマとなり、そ
の治療効果を学会に発表しており、碑は昭和10(1935)年に建てられたという。
水原秋桜子碑は、俳人秋桜子が「ベルツ博士の胸像に注ぐ秋日和のすがすがしさは、ベ
ルツの心に触れているようだ」と、草津町の恩人ベルツ博士の遺徳をたたえて読んだもの。
昭和57(1982)年10月、ベルツ博士の生誕地ドイツ・ビーティッヒハイム・ビ
ッシンゲン市と草津町の姉妹都市締結20周年祭の折、序幕建立されたという。
ちなみに、草津温泉の北から東側にかけて周回する最外周の道路は、「ベルツ通り」と
名付けられている。
足湯のできる大きな泉源や東屋などが設けられていた。
公園の突き当たりまで進むと、その上部に草津ビジターセンターの建物が見えた。高山
植物展示室や西の河原露天風呂などもあるようだが、センターへの階段も雪が凍って滑り
そうなのと、時間も経過しているので入館は省いた。
公園の最上部東側斜面からは、湯気の上がる大きな流れが滝となって落下している。
その横の谷間の流れは高温のようで「立入禁止」の立て札がある。
滝の上部の橋を渡って東側の遊歩道に回り、折り返すことにした。その一角には近年の
建立らしい斎藤茂吉の歌碑や延命子育地蔵尊がある。
西の河原公園の上流から下流に向かってもう一度見返しながら進む。
公園の入口から片岡鶴太郎美術館前まで戻ると、その背後に草津ホテルの立派な建物が
2棟見えたので上がってみた。
ホテル前の広場からは、対斜面のホテルらしい建物も望まれる。
西の河原通りから湯畑を経て、15時40分にバスターミナルに戻る。そばに足湯もあ
るが、誰も入っていなかった。
15時50分発のシャトルバスで連泊のホテルヴィレッジに帰着した。
ホテルの部屋にあった、ベルツ博士のこと記した「ベルツ博士と群馬の温泉-抜刷-」
という小冊子をゆっくり読んでみたいと思い、フロントで在庫を聞いたらあるとのことな
ので、1冊分けてもらった。
(天気 曇、地図 「草津温泉タウンマップ」、歩数 13,200)
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草津温泉の中心、湯畑の西側から西の河原(さいのかわら)通りに入ると、立派な旅館
や土産物店などが続いている。
奈良屋と呼ぶこの旅館は徳川将軍に温泉を献上していたよう。
右手からの湯滝通りと合し、左へとカーブしてさらに進む。
ユニークな店がいろいろあり、両側のウィンドウなどを眺めながら進む。
大きなガラス店の前では、温泉たまごを造っていた。別の入口の前には、3つのポスト
が並んでいる。
傍らの説明によれば、「日本の初期のポストは黒色だった。しかし当時は公衆便所が普
及し始めた頃でもあり、「便」の字を見た通行人が垂便箱(トイレ)と勘違いしたり、夜
間は見にくいなどの問題が起こり、明治34(1901)年に鉄製ポストを試験導入した
際、「目立つ色」として赤色に変えられた」という。
3つのポストは実際に使われていたものをレトロ風に塗り替えたものだが、郵便物の投
函はできない。
左手高みから合した「しゃくなげ通り」に入り、すぐ先を左折して草津片岡鶴太郎美術
館前を過ぎると家並みが途絶え、前方のあちこちから湯気の立ち上る西の河原公園に入る。
西の河原公園は、温泉街の西方にあるのでこの名があり、湯畑と並んで草津温泉の人気
スポット。
公園の東側山すそを流れる湯川や、その右岸側の幅広い河原のそちこちに湯気が立ち上
がり、摂氏50℃以上の温泉が湧き出していて、湧出量は毎分1万5千リットルに及んで
いるとか。
遊歩道などが整備されていて、気軽に温泉が湧出する様子を観察できる。
両側の斜面には残雪があるが、何か所も湧出する源泉に手を入れると熱々の源泉が確認
でき、冷えた手が温まり気持ち良い。
遊歩道を少し進むと、左手に「鬼の茶釜」碑があった。その先、斜面上には草津稲荷神
社が祭られている。
遊歩道沿いに数体のお地蔵さんが並び、その中には「縁結地蔵尊」「ぴんころ地蔵尊」
「夫婦円満 子宝地蔵尊」などもある。近くの路傍にあった温度計はちょうど0℃を示し
ていた。
その辺りから西の河原は幅が広がり、あちこちから湯煙が・・・。
左手山すそに2体の胸像がある。ベルツ・スクリバ両博士胸像で、傍らにその説明板が
立っていた(左がベルツ博士、右がスクリバ博士)。
そばの2つの記念碑↓は、「ベルツ先生記念碑」(左)と「水原秋桜子碑」(右)。
ベルツ博士は明治11(1878)年に草津温泉を訪れて草津温泉の優れた効能と環境
に魅せられ、草津を愛し、特に高温入浴法の「時間湯」が博士の貴重なテーマとなり、そ
の治療効果を学会に発表しており、碑は昭和10(1935)年に建てられたという。
水原秋桜子碑は、俳人秋桜子が「ベルツ博士の胸像に注ぐ秋日和のすがすがしさは、ベ
ルツの心に触れているようだ」と、草津町の恩人ベルツ博士の遺徳をたたえて読んだもの。
昭和57(1982)年10月、ベルツ博士の生誕地ドイツ・ビーティッヒハイム・ビ
ッシンゲン市と草津町の姉妹都市締結20周年祭の折、序幕建立されたという。
ちなみに、草津温泉の北から東側にかけて周回する最外周の道路は、「ベルツ通り」と
名付けられている。
足湯のできる大きな泉源や東屋などが設けられていた。
公園の突き当たりまで進むと、その上部に草津ビジターセンターの建物が見えた。高山
植物展示室や西の河原露天風呂などもあるようだが、センターへの階段も雪が凍って滑り
そうなのと、時間も経過しているので入館は省いた。
公園の最上部東側斜面からは、湯気の上がる大きな流れが滝となって落下している。
その横の谷間の流れは高温のようで「立入禁止」の立て札がある。
滝の上部の橋を渡って東側の遊歩道に回り、折り返すことにした。その一角には近年の
建立らしい斎藤茂吉の歌碑や延命子育地蔵尊がある。
西の河原公園の上流から下流に向かってもう一度見返しながら進む。
公園の入口から片岡鶴太郎美術館前まで戻ると、その背後に草津ホテルの立派な建物が
2棟見えたので上がってみた。
ホテル前の広場からは、対斜面のホテルらしい建物も望まれる。
西の河原通りから湯畑を経て、15時40分にバスターミナルに戻る。そばに足湯もあ
るが、誰も入っていなかった。
15時50分発のシャトルバスで連泊のホテルヴィレッジに帰着した。
ホテルの部屋にあった、ベルツ博士のこと記した「ベルツ博士と群馬の温泉-抜刷-」
という小冊子をゆっくり読んでみたいと思い、フロントで在庫を聞いたらあるとのことな
ので、1冊分けてもらった。
(天気 曇、地図 「草津温泉タウンマップ」、歩数 13,200)
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黒と木材の色を基調にした彩りになっていて、ほかの店舗もケバケバしいものは無く、
町で景観条例といったようなもので規制しているのではないかと感じました。
外国で温泉入りにゆくと水着着用してくださいと言われ驚きました。