2023年5月24日(水) (新発田市内を観光後 新潟駅前へ・前半)
宿泊した新発田市の南西郊・月岡温泉の「湯あそび宿 曙」で、5時半過ぎに起床した。
まずは昨夜は入らなかった温泉に入って部屋に戻り、窓を開けてみると眼前の広場は濡
れていて、夜間に雨が降ったと思われた。まだ周辺の雲は低く、雨雲のようにも思われる。
7時30分から、昨夜と同じ「茶処飲処ちゃらくてい」で和食の朝食すする。
食事処への途中、中庭の池にはたくさんのニシキゴイが。
9時前にチェックアウトして宿を出た。今日も新発田市内の観光予定なので、昨日と逆
行の豊栄駅に向かう9時30分発のシャトルバスに乗ることした。
まだ少し時間があるので、月岡新湯バス停とは逆方向にある近くの足湯周辺を見てくる
ことに。
足湯の手前に、「ふらっと」と呼ぶインフォメーションセンターの建物があり、そこに
バス停があった。
よく見たら、9時27分発の新発田駅方面行きの「本田・天王号」というバスがあるこ
とが分かり、料金も豊栄駅行のシャトルバス同様の300円。
このバスを利用すれば、豊栄駅~新発田駅間の運賃が不要になり、時間も早いと思われ
たので、シャトルバスは止めて乗ることににした。
隣接の足湯をのぞいて見る。かなり広い足湯だが、時間は無いので浸かるのは省く。
足湯近くのマンホールデザイン
足湯周辺は広場になっていて、その南側に咲く花
9時27分の定刻に発車のバスはここ月岡足湯前が始発で、途中までほ乗客はなかった。
昨日のシャトルバスも立ち寄った羽越本線月岡駅前。
バスは越後平野の田園地帯を抜けて、豊浦地域の集落を幾つも回りながら新発田駅方面
に向かい、9時53分に新発田駅前に着いた。
シャトルバスとJR白新線経由だと、10時19分着の予定なので24分早かった。
昨日同様に駅構内のコインロッカーに不要荷物を預けて、2日目の新発田市内観光へ。
まずは、昨日同様に駅前から西に延びる道路を少し進んで東公園に入る。
園内東側には、「大倉喜八郎寿像 移設跡地碑」と刻まれた大きな石碑がある。
大倉喜八郎は、新発田が生んだ大実業家。1837(天保8)に生まれ、17歳で江戸
に上がり、大倉財閥を一代で築きあげてさまざまな近代産業の育成や企業の設立に関わる
など、近代日本の発展に大きく寄与している。
大倉喜八郎が興した主な企業や学校は、大成建設、サッポロビール、帝国ホテル、リー
ガルコーポレーション、日進オイルグループ、東京経済大学など。
ふるさと新発田への思いも大変深く、大倉製糸新発田工場を新設したり、多くの分野に
多大の寄付をするなど、新発田の発展のために大きな功績を残したという。
この公園は、大倉喜八郎が大正初期に寄付したもので、ここにあった大倉喜八郎像は、
平成15(2003)年からの区画整理に伴い、新発田駅前公園に移設したとのこと。
その由緒を記した碑が大きいことからも、大倉喜八郎の新発田市への貢献度が多大だっ
たことがしのばれる。
園内南東側には、SL D51 512号が保存展示されていた。
公園の西側道路際には、4月29日(土・祝)から公開を始めたばかりの「蔵春閣(ぞ
うしゅんかく)」がある。
蔵春閣は、大倉喜八郎が東京・向島の別邸の一部として1912(明治45)年に建設
したもので、渋沢栄一ら政財界の大物や海外からの賓客をもてなす「迎賓館」の役割を担
っていたよう。
(公財)大倉文化財団から新発田市に寄贈され、大倉喜八郎ゆかりのここ東公園に移築
したという。
6月末までは無料公開されていて、それ以降の入館料は大人500円になる。
週半ばの今日もかなりの来訪者が見られたが、並ぶほどではないので入館して館内を一
巡することに。
蔵春閣の平面図
まずは玄関を入り1階正面の食堂1と食堂2、さらに階段を上がり三十三畳敷きの2階
の大広間などを観覧する。
各部屋とも、豪華な飾りものや格天井、シャンデリア、ふすま絵、掛け軸、床面の装飾
タイルなどにあふれており、目を見張らされた。
30分近く観覧して、11時過ぎに東公園を出た。
昨日同様に西ヘ向かい、昨日観覧した清水園への交差点から逆方向の北へ延びる通りへ。
通りの両側には寺院が並び「寺町エリア」と呼ばれ、流れにはコイが泳いでいる。
左手(西側)最初の寺院は福勝禅寺で、門前には新発田重家公座像があった。
境内に咲くフジのような花
門を入って左手にあった新発田重家公廟
福勝寺の斜向かい、東北側の建物は「寺町たまり駅」と呼ぶお土産カフェ。
無料休憩も出来るので入り、展示されていたこども御輿(みこし)や休憩用和室など眺
め、2点の土産物を求めた。
さらに北へ、最初に訪ねた福徳寺から左手2つめの寺、真宗大谷派の託明寺へ。
正面に堂々たる本堂があるが、説明パネルなど無いのですぐに出た。
少し先、反対の東側に曹洞宗宝光寺の豪壮な門が見えたので入る。
山門は県内随一のようで、新発田市指定有形文化財である。
宝光寺は、新発田藩祖の溝口秀勝公が開基した禅寺とのこと。歴代藩主と奥方の墓塔を
祭る霊屋があるようだが、どの建物かは分からなかった。
境内右手には、三大将軍家光公寄進と伝えられる推定樹齢350年以上のしだれ桜があ
り、春先には多くの人が訪れるという。新発田市の保存樹木でもある。
寺町通りを北に抜け、市の中心部を東西に走る通りへ。両側はアーケードに覆われてい
るが、ほとんどがシャッターを下ろして閑散としている。市の中心部でもこうなのか・・
正午近いので、食事処を探しながら西進する。2つめの信号のすぐ先が市役所↑で、そ
ばに「新発田藩 札の辻跡」の標石が。
江戸時代にはここに高札場があり、札の辻は街道の出発点で、会津街道に残る一里塚は、
この札の辻からの距離を基準にしていたという。
近代的建築の新発田市役所に入ってみた。1階には市民の窓口のほかに、新発田の特産
品のショーケース、「エフエムしばた」(76.9MHZ)のサテライトスタジオなどがあ
った。
エフエムしばたのサテライトスタジオ
〈続く〉
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^。
宿泊した新発田市の南西郊・月岡温泉の「湯あそび宿 曙」で、5時半過ぎに起床した。
まずは昨夜は入らなかった温泉に入って部屋に戻り、窓を開けてみると眼前の広場は濡
れていて、夜間に雨が降ったと思われた。まだ周辺の雲は低く、雨雲のようにも思われる。
7時30分から、昨夜と同じ「茶処飲処ちゃらくてい」で和食の朝食すする。
食事処への途中、中庭の池にはたくさんのニシキゴイが。
9時前にチェックアウトして宿を出た。今日も新発田市内の観光予定なので、昨日と逆
行の豊栄駅に向かう9時30分発のシャトルバスに乗ることした。
まだ少し時間があるので、月岡新湯バス停とは逆方向にある近くの足湯周辺を見てくる
ことに。
足湯の手前に、「ふらっと」と呼ぶインフォメーションセンターの建物があり、そこに
バス停があった。
よく見たら、9時27分発の新発田駅方面行きの「本田・天王号」というバスがあるこ
とが分かり、料金も豊栄駅行のシャトルバス同様の300円。
このバスを利用すれば、豊栄駅~新発田駅間の運賃が不要になり、時間も早いと思われ
たので、シャトルバスは止めて乗ることににした。
隣接の足湯をのぞいて見る。かなり広い足湯だが、時間は無いので浸かるのは省く。
足湯近くのマンホールデザイン
足湯周辺は広場になっていて、その南側に咲く花
9時27分の定刻に発車のバスはここ月岡足湯前が始発で、途中までほ乗客はなかった。
昨日のシャトルバスも立ち寄った羽越本線月岡駅前。
バスは越後平野の田園地帯を抜けて、豊浦地域の集落を幾つも回りながら新発田駅方面
に向かい、9時53分に新発田駅前に着いた。
シャトルバスとJR白新線経由だと、10時19分着の予定なので24分早かった。
昨日同様に駅構内のコインロッカーに不要荷物を預けて、2日目の新発田市内観光へ。
まずは、昨日同様に駅前から西に延びる道路を少し進んで東公園に入る。
園内東側には、「大倉喜八郎寿像 移設跡地碑」と刻まれた大きな石碑がある。
大倉喜八郎は、新発田が生んだ大実業家。1837(天保8)に生まれ、17歳で江戸
に上がり、大倉財閥を一代で築きあげてさまざまな近代産業の育成や企業の設立に関わる
など、近代日本の発展に大きく寄与している。
大倉喜八郎が興した主な企業や学校は、大成建設、サッポロビール、帝国ホテル、リー
ガルコーポレーション、日進オイルグループ、東京経済大学など。
ふるさと新発田への思いも大変深く、大倉製糸新発田工場を新設したり、多くの分野に
多大の寄付をするなど、新発田の発展のために大きな功績を残したという。
この公園は、大倉喜八郎が大正初期に寄付したもので、ここにあった大倉喜八郎像は、
平成15(2003)年からの区画整理に伴い、新発田駅前公園に移設したとのこと。
その由緒を記した碑が大きいことからも、大倉喜八郎の新発田市への貢献度が多大だっ
たことがしのばれる。
園内南東側には、SL D51 512号が保存展示されていた。
公園の西側道路際には、4月29日(土・祝)から公開を始めたばかりの「蔵春閣(ぞ
うしゅんかく)」がある。
蔵春閣は、大倉喜八郎が東京・向島の別邸の一部として1912(明治45)年に建設
したもので、渋沢栄一ら政財界の大物や海外からの賓客をもてなす「迎賓館」の役割を担
っていたよう。
(公財)大倉文化財団から新発田市に寄贈され、大倉喜八郎ゆかりのここ東公園に移築
したという。
6月末までは無料公開されていて、それ以降の入館料は大人500円になる。
週半ばの今日もかなりの来訪者が見られたが、並ぶほどではないので入館して館内を一
巡することに。
蔵春閣の平面図
まずは玄関を入り1階正面の食堂1と食堂2、さらに階段を上がり三十三畳敷きの2階
の大広間などを観覧する。
各部屋とも、豪華な飾りものや格天井、シャンデリア、ふすま絵、掛け軸、床面の装飾
タイルなどにあふれており、目を見張らされた。
30分近く観覧して、11時過ぎに東公園を出た。
昨日同様に西ヘ向かい、昨日観覧した清水園への交差点から逆方向の北へ延びる通りへ。
通りの両側には寺院が並び「寺町エリア」と呼ばれ、流れにはコイが泳いでいる。
左手(西側)最初の寺院は福勝禅寺で、門前には新発田重家公座像があった。
境内に咲くフジのような花
門を入って左手にあった新発田重家公廟
福勝寺の斜向かい、東北側の建物は「寺町たまり駅」と呼ぶお土産カフェ。
無料休憩も出来るので入り、展示されていたこども御輿(みこし)や休憩用和室など眺
め、2点の土産物を求めた。
さらに北へ、最初に訪ねた福徳寺から左手2つめの寺、真宗大谷派の託明寺へ。
正面に堂々たる本堂があるが、説明パネルなど無いのですぐに出た。
少し先、反対の東側に曹洞宗宝光寺の豪壮な門が見えたので入る。
山門は県内随一のようで、新発田市指定有形文化財である。
宝光寺は、新発田藩祖の溝口秀勝公が開基した禅寺とのこと。歴代藩主と奥方の墓塔を
祭る霊屋があるようだが、どの建物かは分からなかった。
境内右手には、三大将軍家光公寄進と伝えられる推定樹齢350年以上のしだれ桜があ
り、春先には多くの人が訪れるという。新発田市の保存樹木でもある。
寺町通りを北に抜け、市の中心部を東西に走る通りへ。両側はアーケードに覆われてい
るが、ほとんどがシャッターを下ろして閑散としている。市の中心部でもこうなのか・・
正午近いので、食事処を探しながら西進する。2つめの信号のすぐ先が市役所↑で、そ
ばに「新発田藩 札の辻跡」の標石が。
江戸時代にはここに高札場があり、札の辻は街道の出発点で、会津街道に残る一里塚は、
この札の辻からの距離を基準にしていたという。
近代的建築の新発田市役所に入ってみた。1階には市民の窓口のほかに、新発田の特産
品のショーケース、「エフエムしばた」(76.9MHZ)のサテライトスタジオなどがあ
った。
エフエムしばたのサテライトスタジオ
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