2023年10月3日(火)
4か月ごとの定期検診の案内が来たので、近くに職場があった頃からお世話になってい
るJR品川駅東口の歯科医院に検診に出かけた。
受付の前に「祝開業30年」の花束が2つ並んでいたので、診療時に院長先生に「私は
開業間もなくからお世話になっているはずですが、何年になりますか?」と聞いたら、開
業の1993年の翌年、1994年からなので29年になるとのこと。
私の診療券のID番号は730番台だが、現在は20,000番台になっているという。
いつも丁寧なチェックと治療をしてもらっているので信頼して、30年近くなっても2
時間半余りかけて4か月ごとに通院している。
さて、正午過ぎに検診を終えたが、今日は気温も30度までは上がらない予報なので、
久しぶりに寄り道して帰ることにして、JR浜松町駅で下車した。
予定してきたのは、北口を出て右手(東側)に1分の、国指定史跡になっている「旧芝
離宮恩賜公園」である。12時30分頃着いた。
入口近くに掲示されていたこの庭園の由来
庭園案内図もある。
門を入り右手のサービスセンターの受付で入園券を求める(65歳以上70円)。
置いてある庭園のリーフレットをもらい、中心部に池の周囲を巡る遊歩道を西北(右下)
から西南(右上)、さらに東(左側)へと反時計回りで一周することにした。
まずは、入口に近い庭園の北西側からの池周辺の眺め。
池は「大泉水(だいせんすい)」と呼ばれ、庭園の要になっていて広さ約9,000㎡。
昔は海水を引き入れた潮入りの池だったが、現在は淡水の池になっているという。
右手の遊歩道を少しずつ進む。池の周辺は松の植え込みが多い。
芝生の一角に咲き残るヒガンバナ
松と静かな池の佇まいを眺めながらされに進むと、雪見灯籠が。
東側にそびえ立つ高層ビル
南西側は緩やかな斜面になっている。
池の中央部、中島に延びる「西湖の堤(せいこのつつみ)」と呼ぶ石堤と橋。
中国、杭州(現在の浙江省)にある西湖の堤を模した石造りの堤のよう。
池の南西側にまわると盛り上がった芝生地も。
近くには「萩の小道」があり、やや盛りを過ぎてはいるがハギの花がたくさん咲く。
その池寄りには梅林もある。
池の南西側、梅林の先の「大山」。庭園内の最も高い築山である。
頂上に上がって園内を一望する。こちらはいま歩いてきた園の西側
北側に広がる池と背後のビル群
こちらは東北側
大山を下りてさらに南側へ回ると、ヒガンバナがかなり咲き残っていた。
池の南側にはソメイヨシノが何本かあり、その一角に4本の石柱が。
この石柱は、小田原北条家に仕えた戦国武将の宮邸から運ばれたようで、ここが小田原
藩の上屋敷(かみやしき)だった当初は、茶室に使われていたといわれているよう。
太い常緑広葉樹の根元には、色鮮やかな若葉が。
西湖の堤の南東側へ
咲き残る紅白のサルスベリの花
園の南東側を囲むカシなどの古木
西側のビルの間に見える東京タワー
東側をさらに進んで大島にかかる橋際へ。橋の向こうが大島。
大島の北側辺りからの池の眺め
大島の東側に立つ小さいサギ
大島の東側にある唐津山。ここにもヒガンバナが。
こちらの石橋は池の中央にある大島への橋
大島の東側の盛り上がりは「九尺台(きゅうしゃくだい)」あるいは「九盈台(きゅう
えいだい)」と呼ぶところ。
「九尺」は高さ、「盈」とは水や月が満ちるという意味、明治天皇が明治8(1875)
年にこの庭園に行啓された際、この台上から海で漁民たちが漁をする様子や、海の眺望を
楽しまれたところとか。
現在は樹木が生い茂り、東側の海も埋め立てられてビル街となっている。
九尺台と池の間にあるあずまや
東側から中島への八つ橋
八つ橋の東側、芝生広場には何か所かガンバナが咲き残る。
池の東側を東北端付近まで進む。
池の畔にはススキ科の草やガマなどが。
池の東北端近くからもう一度池を眺める。
池の北東端に残る「海水取入口跡」
この「潮入りの池」に海水を取り入れるために設けられた水路で、水路の石垣や鋼鉄
製の水門の遺構が見られるが、現在は海とのつながりを絶たれた淡水の池になっている
という。
海水取入口跡近くから、最後に池を一望する。
近くにはフジ棚があり、下のベンチの日差しを遮ってくれる。
そばに、リンドウがわずかに咲き残っていた。
1時間近くかけてゆっくりと園内を巡り、13時25分頃に旧芝離宮恩賜公園を出た。
JR浜松町駅北口改札から駅に入り、山手線内回り電車にて東京駅で再度途中下車する。
八重洲地下街にあるおなじみの店「おらが蕎麦」に入り、いつものように「旨辛牛肉そ
ば」で遅い昼食を済ませる。(1月26日は790円だったが今日は870円)
さらに山手線内回り電車で池袋駅に戻り、15時発西武池袋線の飯能行き下り急行電車
に乗る。
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4か月ごとの定期検診の案内が来たので、近くに職場があった頃からお世話になってい
るJR品川駅東口の歯科医院に検診に出かけた。
受付の前に「祝開業30年」の花束が2つ並んでいたので、診療時に院長先生に「私は
開業間もなくからお世話になっているはずですが、何年になりますか?」と聞いたら、開
業の1993年の翌年、1994年からなので29年になるとのこと。
私の診療券のID番号は730番台だが、現在は20,000番台になっているという。
いつも丁寧なチェックと治療をしてもらっているので信頼して、30年近くなっても2
時間半余りかけて4か月ごとに通院している。
さて、正午過ぎに検診を終えたが、今日は気温も30度までは上がらない予報なので、
久しぶりに寄り道して帰ることにして、JR浜松町駅で下車した。
予定してきたのは、北口を出て右手(東側)に1分の、国指定史跡になっている「旧芝
離宮恩賜公園」である。12時30分頃着いた。
入口近くに掲示されていたこの庭園の由来
庭園案内図もある。
門を入り右手のサービスセンターの受付で入園券を求める(65歳以上70円)。
置いてある庭園のリーフレットをもらい、中心部に池の周囲を巡る遊歩道を西北(右下)
から西南(右上)、さらに東(左側)へと反時計回りで一周することにした。
まずは、入口に近い庭園の北西側からの池周辺の眺め。
池は「大泉水(だいせんすい)」と呼ばれ、庭園の要になっていて広さ約9,000㎡。
昔は海水を引き入れた潮入りの池だったが、現在は淡水の池になっているという。
右手の遊歩道を少しずつ進む。池の周辺は松の植え込みが多い。
芝生の一角に咲き残るヒガンバナ
松と静かな池の佇まいを眺めながらされに進むと、雪見灯籠が。
東側にそびえ立つ高層ビル
南西側は緩やかな斜面になっている。
池の中央部、中島に延びる「西湖の堤(せいこのつつみ)」と呼ぶ石堤と橋。
中国、杭州(現在の浙江省)にある西湖の堤を模した石造りの堤のよう。
池の南西側にまわると盛り上がった芝生地も。
近くには「萩の小道」があり、やや盛りを過ぎてはいるがハギの花がたくさん咲く。
その池寄りには梅林もある。
池の南西側、梅林の先の「大山」。庭園内の最も高い築山である。
頂上に上がって園内を一望する。こちらはいま歩いてきた園の西側
北側に広がる池と背後のビル群
こちらは東北側
大山を下りてさらに南側へ回ると、ヒガンバナがかなり咲き残っていた。
池の南側にはソメイヨシノが何本かあり、その一角に4本の石柱が。
この石柱は、小田原北条家に仕えた戦国武将の宮邸から運ばれたようで、ここが小田原
藩の上屋敷(かみやしき)だった当初は、茶室に使われていたといわれているよう。
太い常緑広葉樹の根元には、色鮮やかな若葉が。
西湖の堤の南東側へ
咲き残る紅白のサルスベリの花
園の南東側を囲むカシなどの古木
西側のビルの間に見える東京タワー
東側をさらに進んで大島にかかる橋際へ。橋の向こうが大島。
大島の北側辺りからの池の眺め
大島の東側に立つ小さいサギ
大島の東側にある唐津山。ここにもヒガンバナが。
こちらの石橋は池の中央にある大島への橋
大島の東側の盛り上がりは「九尺台(きゅうしゃくだい)」あるいは「九盈台(きゅう
えいだい)」と呼ぶところ。
「九尺」は高さ、「盈」とは水や月が満ちるという意味、明治天皇が明治8(1875)
年にこの庭園に行啓された際、この台上から海で漁民たちが漁をする様子や、海の眺望を
楽しまれたところとか。
現在は樹木が生い茂り、東側の海も埋め立てられてビル街となっている。
九尺台と池の間にあるあずまや
東側から中島への八つ橋
八つ橋の東側、芝生広場には何か所かガンバナが咲き残る。
池の東側を東北端付近まで進む。
池の畔にはススキ科の草やガマなどが。
池の東北端近くからもう一度池を眺める。
池の北東端に残る「海水取入口跡」
この「潮入りの池」に海水を取り入れるために設けられた水路で、水路の石垣や鋼鉄
製の水門の遺構が見られるが、現在は海とのつながりを絶たれた淡水の池になっている
という。
海水取入口跡近くから、最後に池を一望する。
近くにはフジ棚があり、下のベンチの日差しを遮ってくれる。
そばに、リンドウがわずかに咲き残っていた。
1時間近くかけてゆっくりと園内を巡り、13時25分頃に旧芝離宮恩賜公園を出た。
JR浜松町駅北口改札から駅に入り、山手線内回り電車にて東京駅で再度途中下車する。
八重洲地下街にあるおなじみの店「おらが蕎麦」に入り、いつものように「旨辛牛肉そ
ば」で遅い昼食を済ませる。(1月26日は790円だったが今日は870円)
さらに山手線内回り電車で池袋駅に戻り、15時発西武池袋線の飯能行き下り急行電車
に乗る。
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